2005年6月のブルガリアでのこと。


2005年6月26日(日)〜30日(木) 6月が終わります。あっという間だったような、それほどでもなかったような。
26日(日)、目覚ましもなしに、6時過ぎ起床。なんだろ、短時間睡眠の癖がついたかな。まー、時間がたくさんあるということは良いことだ。今日は怒涛のメール返信と、家事全般。1週間以上ためてたメールに返事を書いて、掃除やら布団干しやらしてました。んー、報告書を書かなきゃならんのだけど、やる気が起きん…。27日(月)、しばらく休んだあとの職場って、だるいですねぇ〜。大した仕事してないから、別にいいんですが。現代史のおばちゃんのパソコンに、OCRソフト入れたくらい。お昼に行こうと思ってた電気代と電話代の支払いも、面倒くさくなって行かなかったし。まー、明日。28日(火)、昨日できなかったことをやりました。電気代と固定電話代の支払い。あと、ルーマニア旅行で余ったドルの両替。電気代支払い窓口のおばちゃん、めっちゃ無愛想で感じわるー。一っ言も喋らんかったで。こっちから「こんちわ〜」って言ってるのに。金額も「そこ(お金の引渡し口に電光表示されるようになっている)に出てるでしょ」みたいな見下した視線だけだったし。…固定電話代支払いの窓口は、多少並んだだけで、割とスムーズに支払い終了。両替、1ドル=1.6レヴァ、多分ここらで上げどまりでしょう、きっと。あとは…えーっと、明日、職場の館長のイーメンデン(名前の日。Св. св. апостоли Петър и Павел (Петров ден)=聖アポストリ・ペタルとパヴェル(ペトゥロフ・デン)。館長の名前がペタルなので、その名前の由来となった聖人の日にお祝いをする)だから、10時からお祝いをするよ、と言われたことかな。職場のみんなからプレゼントを渡すようで、1レフ(約70円、物価換算約350円)徴収されました。それから、帰り道、ふと思い立って、キャベツを買って、家でお好み焼きを作りました。お好み焼きソースが欲しい…。29日(水)、昨日書いた、ペトゥロフ・デン。大体午前中一杯つぶれました。ちょうどみんな集まるよい機会だったので、ルーマニア土産の絵葉書をばらまきました。…これくらい…。夕食は、またお好み焼き作って食べました。あと1食分ある、明日もだな…。30日(木)、暑かった〜。いや〜、暑かった。ここ最近で、多分一番暑いと感じた1日。その反動か、夜、雷が鳴って、雨が降りました。ちょっとだけですが。ラジオを聞いてたら、明日も暑いようなこと言ってたし。最高気温が30度から35度だって…。そんなわけで、6月最終日は、とても暑い日でした。出さなきゃいけない報告書も、なんとなく形になったし、良かった良かった。

2005年6月18日(土)〜25日(土) 家に帰るまでが遠足です。というわけで、ソフィア出発からスタラザゴラ帰宅までをまとめました。
18日(土)、国際列車〜。チャラッチャラッチャラ〜、チャ〜ララ〜(「世界の車窓から」のイメージで)。午前中、博物館関係者(+約1名)の話し合いに参加したあと、夕方まで時間をつぶし、鉄道駅へ移動。列車が出る1時間くらい前に着きましたが、列車はもう来てました。乗る車両を確認し(係員のおっちゃん、ロシア語で何言ってるかわからんでー。スタラザゴラからたまたま来てたMさんがいてくれて助かった)、指定のコンパートメントへ。寝台列車なんて、日本でも乗った記憶ないし、島国である日本で、列車に乗って国境越えなんて有り得ないので、否が応でも気分は高まってきます。今回は、スモリャンのKさんと、ヴェリコ・タルノヴォのKさんの旅行に乗っかる形でルーマニア行きが実現しました。全部お任せで申し訳ない、と思いつつ、1人では行くことがなかったであろう国外旅行ができることに感謝。荷物番をしている間に買って来てもらった軽食をつまんでいると、列車が動き出しました。途中の風景を楽しみながら、一方で内職みたいに折り紙をしたりして、ゆるゆると時間が過ぎていきました。折っていたクス玉が、一応完成したので、ベッドメーキングして就寝。国境越えは、日付が変わってからだったので、明日のところに書きます。19日(日)、昨日の続き、越境の話です(分けた意味ないじゃん、続けて書けば良かったかな)。ソフィアを出発した列車は、北ブルガリアを走り、Kさんの住んでいるヴェリコ・タルノヴォ近くのゴルナ・オリャホヴィツァを抜け、前に行ったことがあるルセに、夜中の2時半頃到着。当然眠っているんですが、容赦なくパスポートコントロールが始まりました。いくつかの質問に答え、その場でパスポートを見ながら無線で照会、本人の確認ができたら終わり。国境を越え、ルーマニア側では、入国審査、一旦パスポートを預け、少し眠り込んでいると返ってきました。この一連の作業で、2時間以上かかったものと思われます。もっと効率良くできんかなぁ。あ、そうそう、このパスポートコントロールと全然関係ないと思われるおっちゃんが途中で来て、何やら喋ってましたが、Kさん2人に対応してもらって、自分はうつらうつらしてました。申し訳ない。とりあえず、無事ブルガリア出国・ルーマニア入国できたので、問題なし、ということで。そのあと、ブカレスト到着までは爆睡。といっても、3時間くらいしかなかったので、熟睡はできてないと思いますけどね。予定の7時15分を数分過ぎ、駅に到着。着いたねー、ルーマニアの首都。今日お世話になる、シナイアのNさん、前日からブカレスト入りしてくれてて、今日もホームまで迎えに来てくれました。ありがたや。駅のファーストフードで、朝からデュネル(ルーマニア語は別の名前だったけど忘れた)、ピクルスがやたらと酸っぱかったですが、合格点(偉そうに)。地下鉄で、Nさんち方向のバスが出ているバスターミナルまで移動、そこからバスで2時間、Nさんち到着。コーヒーをいただいて、いざ、観光。まず町の中心へ行き、ドルからレイ(ルーマニアの通貨単位)へ両替、すんません、ここまでの料金、Nさんに立て替えてもらってました。ありがたや。ちなみにこの両替商、なんと日本円の両替ができます。ほとんど有用性はないけど、なんかうれしい。そのあと、市内散策。まず、シナイア僧院へ。教会の中では、ミサが行われていたので、奥まで行けませんでしたが、遠目に見ても、きれいな聖障。壁画も美しく、全体的に落ち着いた雰囲気。教会の中で寄付できなかったので、外の鐘楼の1階部分にある土産屋で、お金を落としてみました。ルーマニアでの初買い物、絵葉書。1枚3000レイ、全くもってお金の感覚がわかりません。地球の歩き方によると、10000レイが36円くらいらしい、ということは、1枚10円ちょっとの絵葉書。やす〜。でも、Nさんに訊いたら、物価は日本の10分の1くらいらしい。ということは、100円ちょっと。まぁ、そんなもんか。そのあと、坂をのぼって、ペレシュ城へ。入城料を払って中へ、靴の上から履くスリッパを履き、英語のガイドと共に城内を見てまわりました。説明はさっぱりわからんかったけど、豪華な雰囲気はよくわかりました。城を出て、次はすぐ近くのペリショール城。さっきのペレシュ城と同じく、靴の上からスリッパを履いて入城。英語のガイドをお願いしたかったけど、タイミングが悪かったようで、ルーマニア語のガイドにくっついて行くことに。さっぱりわからず。まぁ、でも、落ち着いた豪華さというのはわかりました。そのあと、僧院方面へおりて行き、土産屋を冷やかしながらNさんちへ。おいしいおいしいご飯をいただきました。ありがとう、Nさん。あとは、まったりまったりと話をしたりテレビを見たり、メールを見させてもらったりして、適当に就寝。明日は首都ブカレストに移動です。20日(月)、まただよ…。最低。旅行はまだ初盤なのに。Kさん2人に迷惑かけまくり。朝、シナイア市内を散歩、昼前のバスでブカレストに向かったんですが(Nさん、大変お世話になりました、ありがとう)、乗ってから、ものの10分くらいで具合が悪くなりました。最初、珍しくバスに酔ったかな、と思ってたんですが、どうやらそうではなかったようで、ずいぶん前になったのと同じ症状。疲れと寝不足とストレスによる、一時的な自律神経失調症(勝手に診断)。満席で立ってたのも良くなかったと思うんですよねー。途中から、扉の開閉用のアームに無理矢理座ってたんですが。それで、袋をもらって準備してたけど、なんとか吐く前に休憩場所でバスがとまりました。腹痛というわけじゃないから、別に吐かなくてもいいんだよねー、外の風に当たってしばらくじっとしてたら、おさまってきました。この先、まだ2時間弱あるから、シナイアまで戻るか?と、Kさん2人は言ってくれましたが、多分大丈夫だろうと判断、スモリャンのKさんが座ってた階段のステップを譲ってもらい、うとうとしながらバスに揺られてました。眠ってればとりあえず大丈夫のようです。結局2時間くらいかかったかな、ブカレストに到着。アレクサンドリアから、HさんとKさんが迎えに来てくれてました。スモリャンのKさんと、アレクサンドリアのKさんは、ここで1日別行動。ヴェリコ・タルノヴォのKさんと、アレクサンドリアのHさんと自分の3人は、タクシーで別のバスターミナルまで移動、そこからバスでアレクサンドリアへ向けて出発。今度はシートに座れたので、気持ちよく爆睡。1時間ちょっとで到着、HさんのボーイフレンドS君に荷物を持ってもらって、まずHさんちへ。買い物に行ってもらっている間、自分はまた爆睡。みんなが戻って来て、4人で出発、同じ町のMさんちへ、タクシーで。途中でS君は降りて家に帰って行きました。ほどなくMさんち到着、ここでも買い物に行ってもらっている間、爆睡。みんなが戻って来て、Kさんとテレビを見ている間、MさんとHさん、料理。いたれりつくせりで、申し訳ないです、ありがとう。うまい夕食をいただき、テレビを見ながらごろんごろん、眠くなったので寝ました。明日はブカレストに戻って観光…のはず。21日(火)、観光というよりは、休養と言ったほうが良いかも知れない今回の旅行、今日もごろんごろんです。朝、職場に用事がある、と出かけたHさんを待つ間、3人でごろんごろん。Kさんちょっとお腹の調子が良くないようで、心配です。Hさんが戻って来て、とりあえずみんなでHさんち移動、Kさんは休養、Mさん、Hさん、S君、自分の4人で昼食。ルーマニア料理です。トキトゥーラというものを食べました。あと、ミティティというのも、少し分けてもらいました。美味しいです。量が多くて全部食べ切れんかったけど(もったいない)。Hさんちへ戻って、Kさんも一緒にバス乗り場へ。ここでMさんとS君とはお別れ、Hさんはこの先1日同行してくれます。お世話になりました。ありがとう。そしてもう少しお世話になります。ブカレスト行きのバスの中は、冷房がきいてなくて暑かったけど、ほどよく眠っていきました。1時間ちょっとで、ブカレスト到着、トランバイと地下鉄を乗り継いで、今日泊まる、事務所に併設の宿泊施設へ。ここでも、テレビを見たり、洗濯をさせてもらったり、メールを見させてもらったり、ごろんごろんしてました。夜になって、別行動のKさん合流、アレクサンドリアのKさんも一緒に、みんなで夕食。Hさん手作り、うまいです〜、ありがと〜。あとは夜更けまで色々と話をして眠りました。明日はトゥルチャというドナウ川沿いの町へ移動です。22日(水)、うー、久し振りに声聞けたー、うれしー。…いや、なんでもないです、心の叫び。今日は、軽くブカレスト市内観光、そのあと、トゥルチャへ移動です。9時頃出発、Hさんのガイドのもと、市内中心部へ地下鉄で移動。アテネ音楽堂、立派です。共和国宮殿(現在は国立美術館)、中は見てないけど、建物でけー。クレツレスク教会、イコノスタシスが祭壇と正反対の形をとるように湾曲しているのが印象的。中心は大体こんな感じ(だったと思う)、また地下鉄で移動、旧市街へ。クルテア・ヴェケ教会、小ぢんまりしてるけど、きれー。お土産屋さん、ちょっと冷やかしー。少し早かったけど、旧市街にある、ハヌル・ルイ・マヌクというホテル併設のレストランで昼食、途中でアレキサンドリアのKさんも合流。ブルガリアにもある、牛の胃袋スープ「チョルバ・デ・ブルタ」を食べました。シュケンベ・チョルバより肉に歯応えがあって美味かったです。あとは、昨日も食べたミティティと他の焼き物の盛り合わせと、サラダ。デザートには、パパナッシュというドーナツ。丸いボール状のものが多いそうですが、ここのは本当にドーナツでした。サワークリームとジャムがのってて、普通に美味かったです。店を出て、再び地下鉄で移動、途中でHさんは、我々の帰り(ルーマニアからブルガリア)の列車の切符を買うために別行動。Kさんとともに一旦事務所へ戻り、待機。切符を買いに行ってくれたHさん、てこずっているようで(待っている人がたくさんいるらしい)、14時発のトゥルチャ行きバス乗車は断念。16時発に狙いを定め、事務所を出たんですが、時間的に余裕があったにもかかわらず、満席。他にも乗りたいという人が多ければ臨時バスもあるよ、という淡い期待も結局かなわず、17時半のバスと相成りました。全ては、鉄道がストライキで正常に動いてないのがいけないんだー。まったくもー。待っている間に、アレクサンドリアのHさんとKさんとはお別れ。本当に何から何までお世話になりました。ありがとう。バスの中では爆睡かと思いきや、意外と景色を見てたりしました。途中30分くらいの休憩をはさみ、22時頃トゥルチャ到着。バスターミナルまで、トゥルチャ在住のKさんが迎えに来てくれてました。Kさんちへタクシーで移動すると、トゥルチャに住む、もう2人、首都ブカレストから来てた人、合計3人が、料理を作って待っててくれました。お待たせして申し訳なかったです。そしてありがとう。美味しい夕食を腹いっぱいいただき、色々話をして、3人は帰って行きました。自分たちはそのままKさんち泊。お休みなさ〜い。23日(木)、ドナウデルタクルーズ最高〜。今日は1日中舟の上です。ドナウ川が黒海に注ぎ込むあたりのドナウデルタ(世界遺産)へ行って来ました。10時からの約束だったので、間に合うようにKさんち出発、結構早めに港へ着いたのに、Kさんの同僚(に頼んだんです、クルーズ。)は、もう来てました。荷物積み込みなどの準備をして、いざ出発。定員3人の小舟なので、水面がすぐそこ(ちなみに舟は2艇です)。手が触れられそう、というか、いつでも好きな時に水に手を入れられます。天気も上々、波のある海と違い川なので、船酔いの心配もなし。トゥルチャの港を出て、舟は黒海方面に向かいます。途中で段々細くなっていく支流に入って行き、時折舟の速度を落としたりとまったりして自然満喫。お昼には、陸地にあがって、ピクニック気分の昼食。外で食べるのって、なんでこんなに美味しいんでしょ。ドナウ川の水で淹れてもらったコーヒーも1口もらったんですが、これを書いている25日22時52分現在、なんともないので、多分大丈夫でしょう。普通に美味かったし。あと、ペリカンの群れが飛んでいるのを見たり、そのほかの野鳥をたくさん見たり、ちょっとだけルアーフィッシングをさせてもらったり(もちろん釣果は0)、ドナウデルタを満喫しました。戻る途中、少しだけ雨に降られたけど、それ以外は暑すぎるでも寒すぎるでもなく、非常に気持ち良く7時間くらいのクルーズを楽しめました。港に戻って、Kさんの同僚氏たちと一杯やってると(自分はホットチョコレートですけどね)、すっごい雨が降ってきました。やむのを待って(というか、Kさんの同僚氏たちの足止めをくらってた)、Kさんちへ帰り、夕食をいただいて就寝。チャーハン美味かったよー。24日(金)、コンスタンツァ観光(ちょっとだけ)、そして、ブルガリア帰還。朝、少し早い時間にKさんち出発、トゥルチャの町を少し散策。1つ目の教会では、大きなイコノスタシスに圧倒され、2つ目の教会では、工事中で壁画が見られず残念な思いをし、あと買い物をしてバスターミナルへ。8時半のバスのチケットが買えました。ここで、Kさんとはお別れ、大変お世話になりました。ありがとう。2時間弱で、コンスタンツァのバスターミナル到着、コンスタンツァ在住のIさんが待っててくれました。4人で、まずはブカレスト行きのバスが出ているバスターミナルへタクシーで移動。バスは頻繁に出ているようで、一安心。そのあと、センターへ移動し、少し買い物、さらに旧市街へ。趣のあるレストランで、ルーマニア料理を食べました。サルマーレという、ブルガリアにも似た料理(サルミと言います)があるものを食べました。ようは、ロールキャベツです。チョルバ・デ・ブルタも食べて、腹いっぱい。食後、旧市街散策。民族博物館の土産屋をのぞき(展示は見てない、時間がねぇ…)、ひたすらでかい考古学博物館の建物を外から眺め、その横にある、ローマのモザイク博物館を外から眺め、さらに海のほうへ。マフムード2世モスクの尖塔に登ってみたかったけど、時間の関係で断念、トミス主教教会、でかいです、中もきれい。すぐ横の、ギリシア時代の住居遺跡をちらっと見て、海に出ました。昔カジノ、今はレストランの建物と、水族館の建物を見て(どっちも中に入ってない、時間がねぇ…)、雨が降り出したので、タクシーでバスターミナルへ向かいました。大して待たずにブカレスト行きのバスに乗車、ここでIさんとはお別れ、案内ありがとうございました〜。バスは、途中20分くらいの休憩をはさんで、3時間くらいでブカレストに到着、国際列車に乗る駅のすぐ近くでバス停車、ラッキー。列車出発まで時間があったので、駅近くをぷらぷら散歩、戻って、19時35分のソフィア行きの列車に乗車。眠る時間がほとんどないけど、普通の席が空いてなかった(と思う)ので、帰りも寝台車。行きは2段ベッドだったけど、帰りは3段ベッド。初めて見るよ、すごいね、空間の有効利用。国境までは座席に座って3人でお喋り、国境の駅「ギゥルギゥ」で、出国審査。ルーマニア側は、やっぱりパスポートを預けるみたい、行きと同じように、パスポートを預けて、しばらくすると、戻ってきました。国境の橋を渡り、ブルガリア側の国境の駅「ルセ」で、入国審査。こちらも行きと同じように、無線でパスポート照会。ルーマニア側も、こうすればいいのに。でも、無線だと、傍受されてる可能性もあるよな、普通のFM変調っぽかったから、誰でも聞けるんじゃないのか?とか思ったり。スクランブルはかかってるのかな、一応。わからんけど。一通りパスポートコントロールが終わり、さて、寝るぞ…といっても、2時間くらいしか睡眠がとれない。降りる駅「ゴルナ・オリャホヴィツァ」には、1時半頃到着予定。パスポートコントロールが終わったのが23時頃。うーん、睡眠不足。まぁ、ヴェリコ・タルノヴォのKさんちで寝させてもらうからいいか。結局、列車は予定時刻を10分ちょっとオーバーして、駅に到着、うーん、帰って来ました、ブルガリア。タクシーでKさんちまで移動、写真の整理をさせてもらって、3時頃就寝。よくよく振り返ってみると、ハードな移動内容だったなぁ…。さて、明日は自分の町へ久し振りに戻ります。25日(土)、♪やっぱり〜いえが〜いち〜ばんねぇ〜、ほなはじめから〜行くなぁ〜(嘉門達夫ネタ)…というわけで、10日ぶりくらいにアパートへ戻ってきました。朝、8時のバスでヴェリコ・タルノヴォ出発、スモリャンのKさんと、途中まで一緒。微妙に眠りながらだったけど、途中の休憩所を過ぎてからは、Kさんと喋ってました。2時間半くらいで、スタラザゴラのバスターミナルに到着、バスが出発するまで時間があるので、Kさんと軽くお茶して、時間になったら見送って、自分ちに戻ってきました。片づけやらなんやら、洗濯したり、これを書いたりしてたら、いつの間にやら日付が変わりそう、旅行の総括は、明日書くとしよう。お休みなさ〜い。
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ルーマニア旅行を振り返って。一番印象深いのは、全てが大きい、ということ。ブルガリアと比べて、ですが。建物が大きい、道路も大きい、土地の使い方が贅沢、お金のゼロの数が多い(笑)。道路や土地の使い方については、ブルガリアの約2倍の面積のルーマニアだから、ある程度納得できるんですけど、建物の大きさは、それとは関係ないはず。やっぱりチャウシェスクの影響は大きかった、ということでしょう。パリを真似して街づくりをしてたそうです。でもそれって…結局「真似」であって、オリジナルじゃないじゃん…。通貨については、近々デノミ(でしたっけ、ゼロを減らすこと)した上で、補助通貨単位を設けるそうです。あとは、隣接国ということをよく認識させられました。特に土産なんですけどね、「これ、ブルガリアにもある」ってのがたくさんありました。木彫りのお皿やでかいスプーン、陶器のお皿、じゅうたんのような織物、ほとんど同じです。民族衣装も、かなり似てます。そんなわけで、お土産にはあんまり手が伸びなかった…(言い訳)。教会も、若干形は違いますが、やはり東方正教会という同系列の宗派だけあって、あまり違和感を感じませんでした。逆に、隣接国なのに違うところ、というのも感じました。スラブ系(って言ったらいいんかな、トルコっぽい感じ)のブルガリアと違って、ラテン系の国、ルーマニア、情熱的のような気がします。まぁ、騒ぎ出したら、どっちも似たようなもんかも知れんけど。あと、車の運転マナー。これはブルガリアが見習って欲しいところ。歩行者優先が根付いてます。交通量が多い道路でも、渡ろうとすると、車が停まってくれます。ただ、それを過信して轢かれそうになった人もいるそうで、注意は必要です。
総じて大きな問題もなかった今回の旅行、ストライキで列車が正常に動いておらず、国内線に乗れなかったのは残念でしたが、まぁしょうがないですね。代替のバス会社がボロ儲けなのに、何考えてんだろ、国鉄…。ちなみに、ブカレスト市内、バスターミナルが多すぎです。10箇所以上あるとかないとか。地方都市でも、数箇所あるところが多かったですねぇ。そのへんは、鉄道よりバスのほうが発達しているブルガリアのほうがわかりやすい気がします。
以上、簡単ではありますが、今回の旅行のまとめでした。行く先々でお世話になった方々、そして、旅行に連れて行ってくれたKさん2人、資金源の皆々様、全ての関係者の方々に、この場をお借りして、感謝します。どうもありがとうございました。

2005年6月13日(月)〜17日(金) 週末はソフィア、そのあと、ルーマニア出発。国内での出来事で区切りました。
13日(月)、ありえん。火事ですよ、火事。うちじゃないんですが。夕方、同じ町のUさんの職場(チタリシュテ。日本語に訳すのが難しい。コミュニティセンターって、日本語じゃないよね)の子どもたちのファッションショーが、近くの人形劇場であるというので、似非カメラマンとして行ってきました。一番前の列の端っこの席に陣取って、開演を待ってたんですが、開始直前に、目の前の舞台裾で、おっちゃんがなんかやらかしたあとに「ぽんっ」という音が。あー、ショートして、なんかとばしたっぽいなぁ、ちゃんとショーが始まるのかなぁ、なんてのん気に考えてたら、どうもそこから火が出ている模様。おぃおぃ、危険じゃないのか?せめてこの辺の人たちだけでも避難させたほうがいいんじゃないの?とか考えてたら、スタッフと思われる人が、消火器を持ってきて、火を消してました。その消化粉が舞台から観客席に流れ込み、かなり空気が悪くなりました。もーねー、気分は最低。見てるだけのこっちがこんな気持ちだから、出演者は、更に気分が悪くなったんじゃないかなぁ。でも、そんなトラブルをモノともせず、ちょっと遅れてショーは始まりました。ショー自体は、何事もなく、1時間くらいで終わりました。良かった良かった。そんなわけで、舞台管理もいい加減です、この国。でも、それをカバーできる(カバーしきれているかどうかは別問題として)度量があるのも事実。第3者的に見ている分にはいいんですが、今回のように、自分にも粉が降りかかってくるとなると、ちょっとなぁ、と思いますねぇ…。あ、あと、昨日の日記を読んだ人は「ちゃんと帰ったんか?」と思っていると思うので、報告を。7時のバスで、カザンラクを出発、40分くらいで、スタラザゴラ到着。一旦家に帰り、準備をして、出勤。普段通りの生活に戻れました。14日(火)、昼休み、久し振りにキャッチボールをしました。15分くらいやっただけで、疲れました。天気が良かったからなぁ。そのあと、銀行へ行って、旅行の軍資金を下ろしました。窓口の人に「昨日から」と言われて、手数料をとられました。いくらからとられるんだ…?小額でもとられるんだったら、アホらしいぞ…。銀行のウェブサイトにも載ってないし…。15日(水)、今日も昼休みにキャッチボールをしました。いやー、暑かったです。溶けそう。そのあと、Uさんお勧めのサンドイッチ屋で昼食。うまい。職場へ戻ってトイレへ行ったら電気がつかず、おや、停電か?と思ったけど、部屋に戻ってみたら、パソコンは動いてる、なんだろ、電球が切れてたのかな。ちなみに、ウィルススキャンして出掛けたんですが、なにやら発見されてました…。多分、いらんスクリーンセーバーをダウンロードした時だろうな、きっと。あと、なんだかわかんないけど、民俗学のおばちゃんから、でかいマルテニツァをもらいました。男女対の人形。これはブルガリアの伝統的なものだから、日本に帰ったら紹介して、みたいなことを言われたけど…もう帰国準備ですか。まぁいいんですが。そんな感じで、今週は今日で仕事終わり、明日からソフィア、そのあとルーマニアへ行ってきます。16日(木)、すごいですよ、ソフィアのタクシー。事務所からホテルまで移動するのに、初めて電話でタクシーを呼んでみたんですが、ちゃんとお客様扱いです。まず、電話口で、名前を訊かれました。日本では当然のことですが、ここブルガリアでは、訊かれたことがない。初めてのことだったので「モリャ?(もう一度お願いします、の意)」と訊き返してしまいました。そして、電話を切ったあと、1分するかしないうちに、携帯に到着の車番と時間が入電。電話口でも、もちろん到着予定時間が言われたんだけど、ご丁寧に車番まで一緒に確認メールを送ってくるとは、やるな、OKタクシー。そして、本当にその時間にタクシー到着。メールはないにしても、他の事は日本では当たり前のこと、でも、ブルガリアでは当たり前ではないこと。ちょっとだけブル化している自分を発見したのと同時に、帰国してから受けるカルチャーショックのネタを1つ確認した出来事でした。17日(金)、健康診断です。近々帰国する人たちの送別会です。幹事その8だったんですが、まぁ総じて可だったと思います。2次会のあと、泊めさせてもらうMさんちへ。電気コンロのリベンジ。スタラザゴラで部品を買って来て、プレートとスイッチ交換。スターヴァ!(動いた!みたいな意味) やっぱり部品次第。まぁ、思ったより時間がかかりましたが。そんなわけで、肩の荷を1つ下ろしてルーマニアに出発できます。

2005年6月6日(月)〜12日(日) 週末、修理という名目の分解(自己満足)の旅。
6日(月)、まさか、卵でぼったくられるとは…。職場からの帰り道、市場で卵を買ったんですが、1レフ(約70円、物価換算約350円)おつりをごまかされました。ちゃんとその場で確認しなかった自分が悪いんですけどね。でも、なんか感じわるー。もうその卵屋では、卵を買わん。そんなことも手伝って(?)か、家に帰ってから、いわくつきのイコンを持って教会へ。「神聖化」してもらうため。「感じ悪い」って、同じことを2人から言われたからねぇ。教会のおばちゃんにお願いすると、明日の同じ時間に来い、とのこと。料金は、くしくも、ちょろまかされた金額と同じ、1レフ。もっととられるかと思ってたので、ホッとしました。日本だと、こういう神がかり的なことって、異常に高いでしょ?そんなわけで、明日の同じくらいの時間に、また教会へ行ってみます。7日(火)、イコンを受取って来ました。昨日、お願いしたおばちゃんじゃなかったので、ちょっと「???」な対応をされましたが、まぁ、無事受取れたので良いことにしましょう。全く霊感がない自分が見ても、ちぃーとも何も変わっとらんのですけど、見る人が見たら、何かがどうにかなっているんでしょうね、きっと。しばらく様子見です。8日(水)、すごい雨でした。そんな雨の中、日本語を教えているMさんと、センターのお店で会話練習。「地雷」とか「地震」とか、「ふーばば・どぅま(良い言葉)」って言われてもねぇ。ボクは好きじゃないんですが。物騒なものを想像するので。あと、イコンを神聖化してもらってきた話とかして、店の外に出てみたら、雨はあがってました。晴れて暑すぎるのも嫌だけど、雨が降りすぎるのも嫌だなぁ。明日は天気が回復してくれるといいなぁ。9日(木)、ナッパじゃん。…なんでもないです。独り言。仕事の帰りに髪を切りに行って、出来上がった頭を見た感想、某ドラゴンボールのキャラクターに似てるかも、と思ったので。いや、そんなことはどうでもいいです。今日は1日中、職場でネットが使えませんでした。サーバは生きてるので、その上の、プロバイダ側の問題。多分。たまに使えなくなるんですよね。でも、1日中ダメだったのは初めてかも。明日は使えるといいな。10日(金)、今日も職場でネット使えず。おかげで仕事がはかどったけどね。ブルガリア国内の博物館一覧サイトの更新。ローカルに保存してあるソースをいじって、家で打ち上げ。他の博物館で仕事してる人たちから、間違いの指摘やら、本文の追加やらが送られて来るので、自分はそれをただ機械的に修正・追加しているだけなんですけどね。そんなわけで、もうしばらくすると、それなりの形になるかも知れません。11日(土)、6戦1勝1引分?「勝ち」も微妙ですが。今日明日と、似非修理屋です。朝8時のバスでスタラザゴラ出発、11時前にソフィア到着、Fさんちへ。MDラジカセ、ヒューズがとんでるだけだと思ったら、どうやら電源まわりの素子もいかれている模様。どうするか検討中。勝手に電源が切れるビデオデッキ、裏の板を外して、動かなくなった時に触る箇所を指示。多分、グリス切れでシブい動きになってるだけだと思うけど、グリスもなければ塗る箇所もわからん。プレステ本体、CDはかかるけど、ゲームができん。持ち帰って、じっくり確認。3戦1引分。その後、Mさんちへ移動。途中、Kさんに渡すものを渡して到着。電気コンロ、多分プレートがいかれていると思うので、交換を指示。部品がないと、どうにもできん。部屋の電気、接点金具を少し曲げて(この時、2本あるうちの1本を折っちゃった)電球がつくように。2戦1勝。ご飯をご馳走になってしまってから、バスターミナル移動。16時半のバスでプロヴディフへ。Nさんから品物を受け取り、ヒサールのTさんちへ。冷蔵庫、無理です。どうしようもありません。温度が下がらないって、多分冷媒ですよねぇ。負け。他に、水道の蛇口もあったんですが、ブルガスのAさんちと多分同じ、今度、店が開いている時に来れたら交換。戦績にカウントせず。というわけで、負けっぱなしです。明日のカザンラクはどうなるんだろう。あ、あと、ヴェリコ・タルノヴォでも会った、親子の日本人旅行者Nさんたちもヒサールに来てて、夜、Tさんと一緒にショーを見に行きました。約1時間、かなりクオリティの高いダンスを見られて満足。そのあと、食事、Tさんちに戻る途中、空がめっちゃきれいで、何度か立ち止まって見上げてました。街灯があるのに天の川が見られる夜空って、すてき。12日(日)、スタラザゴラに帰れませんでした。ははは。朝、7時40分発のプレヴェン行きに乗ったNさんたちを見送ったあと、前に行ったことのなかったヒサールの別の温泉へ。詳細は愛好会のページ参照。Tさんとは、ここだけ別行動だったんですが、温泉を出た時に、丁度いちご牛乳を持って来てくれました。すごいタイミング。そして、牛乳が美味かった!その後、犬の品評会と称する公園での井戸端会議を何となく見て、市場を見て、11時50分のバスでヒサール出発。Tさん、お世話になりました。約1時間でプロヴディフ到着。降りたのと違うバスターミナルから、13時半発のバスでカザンラクへ移動。約2時間でカザンラク到着。Hさんちへ行って、オイルヒータ点検。断線していたので、つないだら復活。ドライヤーは、断線個所をつないでもモータ回らず。持ち帰り。変圧してない変圧器、原因不明。廃棄。1勝2敗。オイルヒータと格闘していた時、すでに最終バスが出てしまった時間だったので、自分ちへ帰ることは諦め、一段落したところでHさんと食事へ行きました。ブルガリアでアルデンテが食べられる、数少ないレストランだと思われるところへ連れて行ってもらいました(ブルガリアのスパゲティは、茹で過ぎでまずい)。Hさんちへ戻って、片づけをして、就寝。

2005年6月1日(水)〜5日(日) 5月分は別ページです。週末、というか、6月入ってからは移動ばっかだったな…。
1日(水)、こどもの日イベント参加。プロヴディフのNさんの職場にて、裃で折り紙。何か間違ってるけど、まぁいいや。お昼過ぎまで、子供たちの相手、その後、Nさんの同僚たちと昼食、Nさんの職場のパソコンとかちょっと見て、スタラザゴラに帰りました。…すんません、3日後に思い出して書いてるので、簡潔に済ませてしまいました。2日(木)、ノヴァザゴラのGさんの職場の、展示オープニングの手伝い。といっても、午前中、シール状の写真をプレートへ貼って切っただけなんですけどね…。午後は、なんか邪魔してただけのような気が。ごめんなさいねぇ、役に立たない手伝いで。3日(金)、えー、ずる休みになるのかな、今日もノヴァザゴラで手伝いの予定で、職場に休み届を出してたんですが、Gさんが「今日は来なくて大丈夫」と言ってくれたので、家で主夫業。今日と明日、珍しく泊まりのお客さんがあるので、掃除もしなきゃ、なので。とはいえ、昨日、帰ってきて、なんだか疲れ果ててて、18時過ぎに寝てしまい、しかも今日は9時過ぎまで寝てた、という、久しぶりに「寝すぎ」だったので、頭はボーッ。やる気なぁ〜い状態で、だらだらと家事をして、夕方出発。ヴェリコ・タルノヴォからのKさんの乗ったバスを待ち、一緒にノヴァザゴラへ。Gさんの職場の、展示オープニング見学。同じ町のUさん、ヒサールからTさん、事務所のKさんが来てました。そのあとのカクテルパーティで、少し食べ物をつまんで、これからソフィアに帰るKさんの車に乗せてもらい、スタラザゴラへ。UさんとタルノヴォのKさんと、いつもの「奥の深いレストラン」で夕食。今回は「テッパンヤキ」なるメニューを試してみました。うーん、中華っぽい。あと、「お豆の乳」もたのんでみたけど、お店の人が取り違えたらしく、「ココナツミルク」が出てきました。「スシ」は相変わらず「にゃーま(ないよ)」。かなり腹いっぱいになって、お店を出て、途中でUさんとはお別れ。Kさんと一緒に帰る途中、店でちらっと買い物、コーヒー豆を買ってみたけど、あんまり新鮮じゃなかったみたいで、「もこもこ」がなかった…。夜更けまでKさんと話をして就寝。明日はバラ祭りのイベントを見にカザンラクへ。天気がもってくれればいいんですが。4日(土)、カザンラク、バラ祭り。去年より、ちゃんと見ている気がします。その前に、スタラザゴラ「観光」があったんですけど。朝、ヴェリコ・タルノヴォからWさんが、スヴィシュトフからIさんが、スタラザゴラに来ました。うちに泊まったKさんと一緒にバスターミナルへお迎え。一旦家に戻り、荷物を置いて、スタラザゴラ唯一の観光場所(?)、動物園へ。作った動物園案内を渡して、見ながら動物園を巡ってもらった、初めてのお客様たち。ゆったりと1時間くらい、見学。そのあと、自分の職場関係の展示場へ。開いてて良かったー、Kさんペチャット(スタンプ)ゲット。それから、同じ町のUさんと合流、スーパー「ビラ」へ、ご案内。自分も必要なもの買い物。センターへ戻って、アイスクリームを食べて、昼食をとって、一旦家へ。準備をして、バスターミナルへ、バスでカザンラク移動。30分くらいで到着(多分最短記録)、センターの広場へ行ってみると、ステージがセットされてて、結構な観光客。席について、1時間以上待ったかな、ダンスフェスティバルが始まりました。近隣の国々のダンスとかもあって、なかなか楽しめました。21時から食事会、ちょっと郊外にあるレストランだったけど、良い雰囲気。23時半頃に終了、タクシーでスタラザゴラへ。意外と近い、カザンラクとスタラザゴラ。日付が変わる前に帰って来れました。今日はKさん、Iさん、Wさん、うちにお泊り。明日もカザンラク、バラ摘みがあるらしい。5日(日)、今日1日で、だいぶ焦げた(日焼けした)ような気がします。朝、カザンラクの近くの村でバラ摘みするために、8時半頃、タクシーでスタラザゴラ出発。メーターの回転が異常に遅い、まさかこんな金額、有り得んやろ、という値段だったので、現地に着いてから「いくら?」って訊いたら「メーター壊れてるから10レヴァ」って言われました。安っ!バラ摘みのイベントは9時半からだったらしいけど、団体観光客が我先に、とバラ摘みを始めたので、その辺にいるブルガリア人にKさんたちが話を訊いてみると、出かける前にIさんがイベントのことを尋ねた村長さんでした。ビンゴ。団体観光客用だと思われる袋をもらって、バラ摘み開始。たらたらと摘んでいると、民族衣装を着た子供たちが到着。楽器を演奏する人たちも到着。団体観光客も大量に到着。踊りが始まり、みんなで踊るものは、Iさんも混じって踊ってました。適当なところで、路線バスに乗るために隣町まで移動。4人で歩いていると、一度追い越して行った車が戻って来て「乗ってけ」と言ってくれました。どうやら昨日、カザンラクで会った(というか向こうが見ただけなのかも)人たちらしく、カザンラクまで行くから、とのこと。渡りに船、ありがたく乗せてもらいました。ほどなくカザンラクのセンターへ。Kさんたち3人と一緒にバスターミナルへ、バスの時間までカフェで雑談。見送ったあと、自分1人で、一昨年の冬に来て見られなかった、トラキア人の墓(世界遺産)を見に行きました。さすがバラ祭り期間、日曜なのに開いてて、お客さんもそこそこ入ってました。レプリカ見学、せっかくだから、ちょっと値が張るけど、オリジナルも開けてもらって見学。レプリカと全く同じ(それだけレプリカが精巧にできてるということ)、まぁ、本物を見た、ということで。写真を撮っていいか一応訊いてみたら、もちろん「ダメ」と言われたけど、お金くれるなら黙ってていいよ、って言われました。試しに「いくら?」って訊いたら「40レヴァ」って…あんたら、足元見過ぎ。もちろん断りました。そのかわり、レプリカは写真撮ってもいいとのことなので、戻って中の写真を撮ってきました。レプリカだ、って言わなきゃわからん、わからん(それくらい精巧)。そのあと、民俗的家屋の集合体(良い訳が思いつかん、complexって日本語でなんて言うんだ?)見学。バラのラキア(蒸留酒)出してもらったけど、禁酒中なので飲まず。絵葉書買って外へ。出たところに教会があって、そこがなかなか立派な教会、外から見た感じ、どこかの遺跡みたいなつくり、中は中で、白いイコノスタシスが印象的。雰囲気も落ち着いてて、なかなか良かったです。いつも通り、気持ち分寄付をして、外へ。すぐ近くの、ギャラリー見学。うーむ、抽象画はよーわからん。そのあと、トラキア人の墓方面へ少し戻って、ハウスミュージアムを探したけど見付からず。しょうがないので、次の目的地へ。地図と実際の道がなかなか一致せず、ずいぶん遠回りをして、ギャラリー到着。それなりに広い展示場、でもやっぱり「絵心」がないので、よーわからん。日本語を教えているMさんから連絡が入ってたので、場所を聞いてレストランへ行ってみると、しばらく会ってなかった、シプカ在住のご夫婦と会いました。同じくシプカ在住の方と、今はパヴェル・バニャに引越しした方に渡してもらいたいものがあったので、お願いをして、一緒にちょっと遅めの昼食をいただきました。レストランを出て、ご夫婦はトラキア人の墓見学へ、われわれはバスターミナルへ。トイレに行っているMさんを待ってる時、なぜか料金所のおっさんと話をすることに。うーむ、半分くらい言ってることがわからんぞ。ミニバスで、スタラザゴラに向けて出発、くしくも、朝通ってきたルートと同じ。普段は通らないルートなんよね。多分道が悪いからでしょう、穴ぼこの衝撃で、何度も体が浮きました。いつもの道に出たらそんなことは皆無、うとうとしながらスタラザゴラへ。18時頃だったかな、家に到着、歩き過ぎたこともあるけど、日に当たり過ぎたのもあるでしょう、どっと疲れました。


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