1998年11月分のつれづれです。
1998年11月16日(月)のつれづれ
友達について。学会期間中に、研究室の4年生と語り合う時間が持てて、その時に出た話題が「友達」だった。「友達」「友人」「親友」「仲間」言い方はいろいろあるし、意味もそれぞれ違うと思う。一般に、まったく関係のない人だったら、「友」という字が入った間柄ではないだろう。普通、「知人」とかいう言い方をすると思う。しかし、その一線を超えた関係、それが「友」なのであろう。しかし、「真」の「友」、「親友」ならぬ「真友」とはどんな関係なのだろうか。最初に思い付くのは、「なんでも語り合える仲」である。腹を割ってお互い隠し事なしで話せていれば、それは「真友」といえるかも知れない。しかし、なかなかそんな関係になる人というのはいないと思う。では、一般に「友達」と言った時に、どの辺まで指すのだろうか。普通に気兼ねなく話せて、一緒にいても特に苦痛ではない、むしろ楽しい、そういう間柄だろうか。あまり自分が「友人」というのを意識していないため、うまい言葉が見付からない。というか、極力人とは距離を取って付き合おうとしてきたから、急に「仲良くなりましょう」と言われて、面食らっているのが実状だろうか。普通に「知人」として人付き合いするだけでも大変なのに、より立ち入った仲の「友人」がちゃんと存在するというのが、どうも怪しい。表面だけの、上辺だけの付き合いの人も、まとめて「友人」と勘違いしているのか。とりあえず、友達かどうかは後にして、まずきちんと人間関係を築いてからこの辺は考えることにしよう。
1998年11月16日(月)のつれづれ[その2]
恋愛について。自分の人生のテーマにしようというくらい深い、と、最近思うようになってきた。ひとくくりに「恋愛」といっているが、「恋」と「愛」はまったく別のものである、とはテレビでも言ってたし、後輩ももらしていた。それぞれがどういうものなのか、自分にはよく理解できないので、コメントのしようがない。「好き」「恋しい」「愛してる」うーん、どう違うのだろう。思いいいれの深さだろうか。これにプラスして、「憧れ」という感情もある。お互いが相互作用しているのだろうか。お互いが、独立に感情として存在するのではなく、ちょっとずつかじって気持ちが形成されるのだろうか。お互いが大小符号で結ばれているのだろうか。それとも、もともとこういった区分はなく、ごちゃまぜのカオス状態なのだろうか。でも、それだったら、言葉は生まれない。いろいろな言い方があると言う事は、それに対応した気持ちがあるからだろう。米の呼び方が、季節によって変わるように、思い入れのあるものには、複数の名前が付けられるという。人間は、人を想うという感情において、多くの思い入れがあるのだろう。感情豊かな生物、人間。悩みもまた、豊富。
1998年11月16日(月)のつれづれ[その3]
嫌いについて。人を想うという感情があるなら、その逆の感情もあっておかしくない。「嫌い」という感情である。自分の場合、意識的に嫌いになることはあまりないような気がするが、だんだんと受け付けなくなってくることは、ままある。ひどくなると、その人とは話したくない、顔もみたくない、そんな風には思っちゃいけないと思っていても自然と気持ちがそうなってしまうことがある。「嫌い」という感情は、どうやらこんな感じの、「うーん、俺だめっぽい」ということらしい。もしこれの逆の感情が、そのまま「好き」だったら、「うーん、俺いいかもしんない」というのが「好き」になる…かな?感情について、もう少しお勉強が必要らしい。
1998年11月5日(木)のつれづれ
恋愛を科学する、というような内容のものを、某ニュース番組で放送していた。3夜連続だったらしいが、第1回目しか見ることができなかった。内容はよく覚えてないが、昔聞いたことを思い出した。それは、相性をみたいなら、誰でも感動するような映画より、お笑いを見に行け、である。涙を誘うような感動的な映画は、誰が見ても泣けるので、相性を見る目安にはならないが、人によって笑うポイントが違うお笑いなら、性格が似ているかどうかわかる、と解釈している。確かに一理あるような気はする。でも、これですべてを判断するには危険すぎる。判断の目安にはなるかもしれないが。一応、判断材料にしようと、いつも何気なく観察している自分だったりする。
1998年11月4日(水)のつれづれ
不安について。先日、久しぶりにカウンセラーの先生のところにお邪魔した。そこで話に出たので、ちょっと書いてみようと思う。読んで字のごとく、「安(ヤス)まら不(ズ)」で、そわそわして安心できない様子のことをいうのだと思う。よほど神経の太い人は別かもしれないが、一般的には、心に不安を抱かずに生きている人というのは少ないと思う。自分も御多分に漏れず、いつも何かしら不安である。「何が?」と問われると答えられないが、なんだか不安なのである。では、その正体不明の不安をどうしたら少しでも取り除くことができるか。一番は、原因を追求することであろうが、難しい。しかも、原因を知ってしまったため、更に不安になることもあるだろう。忘れる、というのも一つの手である。不安が紛れるくらい熱中できることに打ち込めば、少なくともそれをやっているうちは不安ではない。リラックスするために、どこかに出かけるのも良いかも知れない。なるべく人ごみを避け、できれば森など。しかし、消極的な解決法で、根本的な解決にはならなそうだ。やはり、正面から原因を探るのがいいのだろうか。自分の場合、中途半端な状態だから、不安になっている、というのが結構あると思う。だから、それにきちんとけじめをつければ、多少不安は減るのかもしれない。「きちんと」にも程度があるが、どうも完璧にやらないと気が済まない性格みたいなので、まずは性格を直すことからやらないといけないかも。心の病、現代人の病気。