2005年5月分のつれづれです。
2005年5月20日(金)のつれづれ
「親父の背中を見て育つ」なんて言いますが、最近、とみに「似てきたなぁ」と思うようになりました。これが、と具体的に言えないんですけど、何かことあるごとに「あ、これ親父と同じ考え(行動)」と思うことが増えてきた気がします。やっぱ、親子なんやね、と改めて確認すると共に、親父の気にくわないところは真似しないように、反面教師的行動に出ようと思うんですが、遺伝子のほうが、やっぱり強いらしい。気付くと同じことやってる。まー、しょうがないのかな、でも、諦めず、自分らしさを出せるようにしていきたいです。
2005年5月19日(木)のつれづれ
えー、このつれづれ、洗濯中によくネタを思いつきます。多分、洗濯というのは単調な作業であり、あまり考えなくてもできてしまうから、他のことを考えようとして、あれこれつれづれるようです。でも、なにしろ洗濯中、すぐにメモれる環境ではありません。ちょっと他のことを考えると、すぐに忘れてしまいます。そんなわけで、ここに書かれているものの中には、その忘れ去られることを免れた貴重なネタが転がっていることがたまにあります。ちなみに、ネタを思いつくのは、なにも洗濯中に限ったことではなく、同じように単調な作業で他事を考えられる環境、というのもあるようです。バスに乗ってる時とかも、割と思いつくことが多いかな。待ち時間とかも。そんなわけで、今後もメモがとれたら、随時、つれづれていきたいと思ってます。
2005年5月16日(月)のつれづれ
怒ったり、いらいらしたり、のメカニズム(というほど大げさなものでもないけど)。自分が、何かについて、腹を立てたり、いらいらしたりしてる時、なんでそんな感情を抱くのか、と、ちょっと考えてみた。自分にとって、気に入らないことに対して、そう思うんだろうけど、じゃあ、何が気に入らないのか。「自分ができない(やろうとしてもできない、やれるけどやっちゃいけない、など含む)ことをやっている人(など)に対する嫉妬」なのではないだろうか。極端な例を書いてみる。例えば、殺人。これは、モラル的にも、法律的にも、やっちゃいけないこと。でも、やってしまう人もいる。その人に対して、怒りの感情を持つ。なぜ怒る?と考えた場合、そもそも闘争本能を持つ人間が、モラルや法律によって、その本能を抑制されているわけで、その抑制されていることをやってしまった人に対して、「なんでアイツはやってるのに、自分はやっちゃいけないんだ」という感情を持つのではないだろうか。所詮人間なんて、1人では生きていけない動物、差別化を恐れて、自分とは違う行動をしている人と同化しようとする。その中で起こる摩擦が、怒りになるんじゃないのだろうか。
2005年5月10日(火)のつれづれ
祈りについて。宗教的なことを盲信するわけでもないし、かといって、非科学的な(というと語弊があるけど。現代科学で解明されてない、という意味)ことを全面否定するわけでもないので、この「祈り」についても、ニュートラルではある。でも、この「祈り」や、逆の「呪い」、その他その手の類が通用するようであれば(というか、実用的なものならば)、一般的に成功を収めている人には、強い祈りの力が働いているような気がするし、逆に、ついてない人には、祈りが届いてないどころか、呪いがかけられているのかも知れない。少しでも「祈りの効果」の可能性があるのなら、大切なあの人の病状が少しでも早く回復することを祈りたい。
2005年5月9日(月)のつれづれ
職場の写真家のおばちゃんの展示会に行った時、ふと思ったこと。「表現方法は人それぞれ」。写真家は、写真が自己の表現方法。画家は、絵が自己の表現方法。作家は、文章が自己の表現方法。自分も、ウェブ上で、文章を自己の表現方法として使っているから、作家みたいなものか…な。物書きとして食ってはいけないけどね。まぁ、思うだけはタダということで。
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