2005年4月分のつれづれです。


2005年4月25日(月)のつれづれ
「歯車」のこと。前にも書いたかも知れないけど、再度。会社とかで、構成員として、つまり歯車のひとつとして生きるのは嫌だ、とエラそうなことを言ってたことがある。でも、会社だけに限らず、生活する上で、必ず何かの歯車になっているんだな、と最近思う。「その他大勢」と、ひとくくりにされがちな、たとえば地域の共同体とか、欠けても母体には何ら影響のない歯車というのも、あるにはあるが、中には「欠けたら母体が停止する歯車」に、自分がいつの間にかなってたりすることもあるようだ。それは、言わば「責任」というものであり、「歯車になるのはイヤ」と言うのは、責任逃れに他ならない。自分に与えられたことを、責任持って片付けないと、他の人に迷惑がかかる(まぁ、経営的に言ったら、代役がいない配置は間違っているんだろうけど、実生活においては「あること」に関しては自分しかできない、ということはよくある)。自分自身、迷惑をかけられるということは嫌なことだから、自分がされて嫌なことは、人にもしないように、ということで、歯車として回らざるを得ない状況が生まれるわけである。でも、これは、一般的な生活を送る上では、おそらくどうしたってでてくることで、もしどうしても歯車になるのはイヤ、と言うのなら、前人未到の地で、完全自給自足の生活を一人で送らなければならない。それは多分、現実的ではないし、「社会的に」歯車になってないだけで、生態的にはやはりひとつの歯車として回っているんだと思う。人が生きていく、ただそれだけのことも、大きな目で見れば、歯車のひとつに過ぎない…話がずれてきたので、この辺で。

2005年4月24日(日)のつれづれ
「しわ」のこと。又聞きの、更に又聞きくらいになるのかも知れないけど、「なるほど」と思った話。「縦じわを作るより、横じわを作って生きるほうが楽しい」、正確ではないけど、大体こんな意味合いだったと思います。「縦じわ」は、しかめっ面をした時にできますよね(眉間とか)。しかめっ面をする時というのは、概してあまり良い気分ではない時だと思います。その反対、「横じわ」ができるのは、表情が緩んでいる時、つまり緊張していない時だと思います。全然緊張せず緩みっぱなしなのもどうかとは思いますが、四六時中しかめっ面よりは良いのかな、という気もします。なにしろ、顔というのは、感情が出やすいパーツですからね。いつも笑って過ごせたら、それでいいのかな、と思います。もっとも、人によっては「どんなしわだろうが、できるのはイヤ!」と言うかも知れませんが…(ちなみに、自分は全く気にしてません、自身のことについても、人のことについても)。


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