2005年3月分のつれづれです。
2005年3月25日(金)のつれづれ
日本語を教えている人が、転生に興味を持っているようで、話に出てきたことを、少々。「前世の記憶でもって、現世の知り合いを見つけている」、その人は、こんな内容のことを言ってました。輪廻転生を信じるかどうかは別として、もし仮に「前世」というものがあって、その記憶(もちろん意識下の話ですが)を頼りに、「現世」の人脈を構築しているのだとしたら、「なんと狭いコミュニティの中で生活しているんだ」。イレギュラーな出会いがない限りは、何度生まれ変わっても、同じ人としか知り合わないわけでしょ?なんかそれって、面白くない気がします。「仲の良い人とは、もしかしたら前世でも仲が良かったのかも」なんて、うかれているぶんにはいいんですけど、そもそも出会って仲良くなったのが、「前世の記憶を頼りに」だったら、当然の結果と言えるわけで。というか、「卵が先か、ニワトリが先か」の理論と五十歩百歩のような気がしてきた…。とにかく、「前世の記憶+/-α」の知り合いとしか現世でも知り合えない、というのは、どうもやっぱり納得できないわけで、転生という現象があってもいいけど、前世の記憶にしばられない人間関係を現世でも築き上げられ得る、というほうがいいなぁ。初めてお目にかかる人もいれば、前世からの絆で強く結ばれている人もいる、そのほうが、生きていくのも楽しい気がします。…ふと思った、この考え、現世だけでも当てはまること、というか、当てはまったほうが面白い。昔からの知り合い、あるいは、何度か会っている知人、そんな人ばかりとコミュニケーションとるのもいいけど、全くかかわりをもったことない人とも、何かのきっかけで意思の疎通ができるなら、それはそれで楽しいと思う。狭い人間関係より、広い人間関係のほうが、何かと良いと思うんですが、いかがでしょう。
2005年3月22日(火)のつれづれ
「人を好きになること」について、途中経過というか、何というか。ここしばらくの間で(なんか日本語が変ですけど、気にしないように)、恋愛に対する価値観が大きく変わるのを、身をもって体験しました。今、自分の心の中には、いつも「あの人」がいます。多分、こういう状態のことを、「人を好きになる」ということなんだろうなぁ、と思います。「人を好きになるとは、何ぞや?」との問いに、回答してくださった人生の先輩方、色々と参考にさせていただきました。今後も、愚問を投げかけるかも知れませんが、よろしくです。そして、まだこの手の話をしたことない方々、できるだけ逃げずに語るようにするので、突付いてみて下さい。
2005年3月18日(金)のつれづれ
「気の利いた言葉」について。自分の悩みをとりあえずほっぽり出し、人の相談に乗ろうとする時、「話は聞きますよ、でも気の利いたことは言えません」と、最初に断っている。そしたら、「気の利いたことなんて、そう滅多に言えるものじゃないよ」と言われた。確かに、そうだ。そもそも、どんな言葉が「気の利いた言葉」なのかなんて、わからない。状況によって、それは色々変わるんだろうけど、相談に乗る側が、良かれと思って言った言葉が、相談をする側にとって、どう受取られるかなんて、わからない。「気の利いた言葉」か、「心に突き刺さる言葉」か、それは、相談する側が決めることであって、相談に乗る側が判断する問題じゃない。そうなると、相談に乗ろうとする時に、いちいち「気の利いた言葉は言えない」と断っていることは、ナンセンスだ。「話は聞きますよ、余計なこと言うかも知れませんが、それでもよければ」くらいのほうが、いいんだろうか。でも、その「余計なこと」かどうかも、相談する側が決めることだから、これもナンセンスだな。「あくまで参考、考え方の1つだから、それを材料に判断するのはあなた」、こんな感じでどうだろうか。何となく、無責任な発言っぽいから、「判断して、失敗しても、フォローするよ」くらい付け足しておけばいいかな。できないことを言ってもしょうがないから、フォローできる範囲のことを。まぁ、色々考えてみても、自分が相談することはたくさんあっても、人から相談を受けることは滅多にないから、あんまり深く考えることもないのかな、と思ってみたり。
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