2005年2月分のつれづれです。
2005年2月12日(土)のつれづれ
誕生日を迎えるにあたっての抱負。三十路に突入することだし。いや、何も特別なことはないんですけどね。ただ30回目の生まれた日を迎えるだけのことなんです。でも、まぁなんとなく。軽く節目として。30歳になるにあたって、「人を好きになる」ということを真面目に考えようと思います。おいおい、今まではどうだったの、という突っ込みがありそうですが、んー、そうなんですね、ずっと前にも書いたかも知れないけど、「好き」という感情がどんな状態なのか、今もって理解してないのです。こんなどうしようもない自分になついてくれた人がいたのが不思議です。これじゃあ申し訳ないと思って、ちょっと考えることにしました。多分、「人を好きになる」ということは、すごく嬉しい反面、すごく大変なことなんだと思います。一緒にいる時の安心感、離れた時の不安、気持ちが通じ合う喜び、相手が何を考えているか分からない寂しさ、思いやりがあたたかく感じる時もあれば、ちょっとした態度にトゲを感じることもあるでしょう。思うに、自分は、この「人を好きになる」ことによる負の部分ばかりにとらわれ、そこから逃げているのではないか、と。いつもの「逃避」です。所詮他人なんだから、思ったとおりいかないのは当然、考え方の違いで摩擦が生じるのは当たり前。その部分だけを取り上げて、「だから人付き合いは面倒なんだ」と言うのは傲慢ですよね。でも、そんなふうに思いとらわれていた自分。これじゃあ、「人を好きになる」以前の問題ですね。ようやく最近、このカラを破り始めていて、それで、「人を好きになる」とはどういうことか、ということまで考えられる余裕が出てきたのかな、と思います。「そんなまどろっこしいこと言ってないで、好きといったら好きなんだ、理由なんていらないんだ」と言う人もいるかも知れません。それはそれで、感性のある人なのかなぁ、と思いますが、どうもやっぱり自分は屁理屈が好きなようで、感情にも行動にも理由付けをしたいのです。たとえ、「何となくこの人好き」という時でも、どこかに惹かれる部分があったからこそ、好きになるのではないでしょうか。それをいちいち明確にしないと納得しない、そんな難儀な性格も、「人を好きになる」ということがどういうことか、なんて考えさせている一因なんでしょうね。ここで、性格改善のための発想の転換、世の中には、はっきりさせるべきもの(はっきりさせられるもの)と、ぼんやりのままでいいもの(はっきりさせられないもの)の2種類あるんじゃないか、と。極論は、生死のかかっているもの、生活がかかっているものに関しては、ぼんやりじゃいけない、それ以外は、案外どうにかなる、こんなところではないでしょうか。はっきりさせなきゃいけないものって、こう考えると、あんまりないですよね。世の中って、結構曖昧で回ってるもんです。そんなわけで、まぁ、理由がわかったらめっけもん、くらいの気持ちで人を好きになってみようかと。あ、いや、その「人を好きになる」って何?というのに対しても、それがどういう感情なのかわかればめっけもん、くらいの気持ちで考えていけばいいのかな。なんだか最初と変わってないぞ、進歩どころか、不真面目になっている気が…。まぁ、少しは気を抜いて、力を抜いて考えたほうが、良いアイディアも浮かんでくるでしょう…って、誕生日前からすでにダレてるやん…先が思いやられるなぁ。
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