2004年12月分のつれづれです。


2004年12月14日(火)のつれづれ
昨日、過去のつれづれを勢いあまって読んでしまった。昔に比べて悲観度が低くなってきたというか、あまりにも深く思いつめることが、最近はあんまりなくなってきたかな、という感想を持った。前向きに、とまではいかなくても、せめて後ろ向き・下向きからちょっとずつベクトルが良いほうに向かっているような気がしなくもない。ベースがベースなので、どうしたって浮き沈みがあるが、酷かった時に比べて、沈んでいる期間・深度共に、短く・浅くなってきているような気がする。前にちょっと書いた、周波数の高い波を見ているのか低い波を見ているのかはっきりしないから、断言はできないが。なんにしても、傾向としては良いと思う。では、なぜそうなってきたのか。人間関係というものに目覚めつつあるのかも知れない。異国の地という、それなりに孤独なところに自分を放り込んでみた結果、生きていくために人と関わっていかなくてはいけない。話をすれば、いろんな考えも聞くことができる。自分ひとりでは、とても思いつかなかった、考え。最低限の人間関係、最低限の会話、こんな状態では得られなかったものが、人と、どんな形でもいいから関わってくると、いろいろと見えてくるものがある。これが、いわゆる「視野が広がる」ということだろうか。一人で考え込んでいたら、絶対に出てこない解決方法。それを、人との会話の中からヒントを見つけ出し、実践してみる。それが自分にうまくはまれば、ダメージも減る。こんな感じで、昔よりは多少成長しているのかも知れない。言い方を変えれば、逃げ方のバリエーションを増やしている、と言えなくもないが、それはそれで少ないより多いほうが良いに決まってる。嫌なことからは、逃げたいもので、なにもわざわざ直撃を食らうこともない。かわせるのならかわして、余計な体力を使わず、その分をステップアップに使う。そして、体力に余裕が出てきたら、直撃を避けたことと対峙してみる。レベルアップしていれば、ひょっとしたら、逃げ出さずにやっつけられるかも知れない。ダメだったら、また一旦退避して、体力を温存してから挑めばいい。なんだか、ロールプレイングゲームみたい。人生なんて、確かにゲームみたいなものかも知れない。ただし、やり直しの利かないゲーム。リセットボタンはない。攻略本も、ない。だから、慎重にならざるを得ない。かといって、石橋を叩いて渡っていたら面白くない。このバランスが難しいんだろうな。やり過ぎてもダメだし、やらな過ぎてもダメ。何度も何度も、その加減に失敗して、ようやく掴んだ頃に、はいサヨナラ、となるのがオチだろうな、きっと。まぁ、それはそれ、ということで。もしかしたら掴めないかも知れないし。その過程を楽しむのが、人生なのかも知れない。順調にいく人生は、つまらないのかも知れない。そういう意味では、今、ここにいる自分は、それなりに人生を楽しんでいるのかも知れない。…酒に逃げた爆弾メール2通のあとに、涙が出そうなくらい嬉しくなるメールをもらったので、ちょっとつれづれてみました。

2004年12月7日(火)のつれづれ
仕事中に、ふっと思いついたので、書き留めておこうかと。例えが趣味になってしまうけど、アマチュア無線で、交信するのが面白いかどうか?それなりに面白いんだけど、ラグチュー好きの人ほど好きというわけでもない。コンテストなんかでばっさばっさとパイルをさばくのが面白いか?それなりに面白いんだけど、コンテスターほど上手じゃないし、疲れてくると無線機の前を離れてしまう。実は交信するという行為自体にはそれほど興味がなく、交信することによる「データの蓄積」のほうが、自分にとっては重要なのではないんだろうか。ログ処理をする時、異常なまでに、記入データにこだわる。交信証から得られるデータは、全てデータ化しないと気がすまない。相手の苗字だけではなく、名前のほうまで記入することに、どれだけ意味がある?住所を番地まで入れることに、どれだけ意味がある?さらに、URIが書いてあれば、行ってみて、自分のサイトからリンクをはろうとする、これもある意味「データの蓄積」。使う目的を明確にしないまま、ただただ、データ化。ログソフトは、ある程度、検索機能も備わっているから、全くの無駄にはならないだろうけど、おそらく使われずに死蔵されたままのデータがいっぱいのログだろう。エクセルとか使った自作のデータだったら、なおさら使われずに放置されっぱなしになっているに違いない。でも、入力済みのデータの活用をも目的としない、ただ単に「データ化」というのが自分にとって一番面白いことだったら、それはそれでしょうがないんじゃないかな、という気もする。…いや、使えないデータを生産することに対する言い訳ではないですよ(爆)。


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