2000年11月分のつれづれです。
2000年11月28日(火)のつれづれ
お昼のラジオでいい事を聞いた。御飯のおいしい炊き方。べちゃっとせず、ふっくらと炊くための3箇条。研ぎ・ひたし・蒸らし。米を研ぐ時は、手早くにごりがなくなるまで。ひたす時間は、冬場は1時間くらい、夏場は30分くらい、時間がない時は、ぬるま湯で半分くらいの時間ひたす。炊き上がったあと、すぐに蓋をあけず、10〜15分蒸らす。その後、手早くまぜる。これをやれば、おいしい御飯が炊けるらしい。ひたす時間と、蒸らす時間は気にしたことがなかったので、次からは実行してみたい。ただ、研ぐことに関しては、にごりがなくなるまでやったら、栄養分まで洗い流してしまいそうなので、今までのやり方でいいと思う。水を入れて2回→水を流す→(水を入れず10回→水を入れてすぐ流す)×2→(水を入れて2回→水を流す)×3〜4[*回はまぜる回数]。明日からはふっくらおいしい御飯の弁当が食べられる…かな。
2000年11月14日(火)のつれづれ
「出会い」「別れ」について。色々な場面で、人々は出会い、交友を深め、そして別れて行く。偶然の出会いもあれば、段取りを踏んだ出会いもある。竹馬の友といえるまで交友が深まることもあれば、ただの知人レベルにとどまる交流もある。離れてもなお親密に連絡が取れる別れもあれば、二度と会えない別れもある。以前の自分は、極端に人との出会いを避け、交友も深めず、別れ際もあっさりしていた。最近は、そこまでひどくはないが、それでもやはりいある程度の距離をおいて人付き合いをしている。小学生の頃、一時期シカトされていたので、それがトラウマになっていてそういう行動をとっているのだろう、と自己分析していたのだが、どうやらそればかりでもなさそうだ、と思うようになってきた。原因は「別れ」にあるのではないか。人との究極の別れは「死」によってもたらされる。その場に居合わせた時、自分がどの程度ショックを受けるか。それは生前の交友によってくる。あっさりした付き合いであれば、それほど衝撃は大きくないだろう。しかし、無二の友人がこの世から突然去ってしまったらどうなるだろう。立ち直れないかもしれない…。であった時から意識下で、こういった考えが働いているとすれば、一歩引いた付き合いになりはしないだろうか。考えすぎかもしれないが、自殺願望が見え隠れしている人と話した後に出てきた考えなので、大ハズレとも言えまい。
今月のつれづれへ
|
過去のつれづれ一覧へ
|
目次へ