四国歩き遍路 〜同行二人〜 日記

日々、考えたこと、足取りなど。

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2006年3月6日(月)
車が路面の雨をかきわける「ザーッ」という音を聞きながら、目を覚ました。迷いのある、自分の心情を映したかのような天気である。会社に出勤する父の車に便乗し、雨の中、7時過ぎに家を出発する。JR美濃太田駅7時31分発高山線上りに乗車、岐阜駅で乗り換え、約1時間で名古屋駅に到着。地下街の金券ショップで、近鉄アーバンライナーの割引チケットを購入、9時発難波行きに乗車。約2時間で、近鉄難波駅到着、南海高速バスターミナルへ移動。途中、白いハンカチを買う(遍路の白装束に色を合わせてみた)。バスチケット購入後、携帯に着信があった地元の役場へ電話、用件を済ませたあと、ついでに1ヵ月後の歯医者の予約時間変更の電話。一旦南海難波駅に戻り、昼食の弁当購入、高速バス乗り場で食事。12時に高速バスが出発、約2時間で、鳴門西バス停到着。雨は、相変わらず降っている。1番札所「霊山寺」までは、歩いて約10分、本堂内の遍路用品売場で、一通り揃える。納札に住所と名前を書き込んでいる間に、お茶をいただいた。初お接待。一緒にお茶をすすっている人のリュックに、アマチュア無線のコールサインが書いてあったので、声を掛けてみた。宿をまだ決めてないとのことだったので、自分が泊まる旅館を紹介した。どうやら泊まれるようだ。その人は、先に出発、自分は、菅笠のゴム紐を、別なものに取り替えていただき、更に買い忘れたライターを買おうとしたら、お金はいい、と言われた。これも、お接待。いよいよ、遍路の始まり、売場の方に礼拝の方法を教えていただき、まず山門まで戻って、入るところから順を追ってみた。列車の中、メモしてきた手順を見ながら、教えていただいた手順を思い出しながら、おそらく慣れた人の2倍以上の時間をかけ、一通り終えた。徐々に慣れるだろう。ここ霊山寺に置いてある納経帳には、予め墨書と朱印がされているので、納経の手順は必要なし、次の札所「極楽寺」へ向かう。たった1.4kmの距離なのに、見知らぬ土地での一人歩きが、とても寂しく感じられる。極楽寺到着、1番札所で、準備に時間を取り過ぎたため、ここで納経を済ませた時には、既に16時半を回っていた。納経所の方に3番札所「金泉寺」までの所要時間を訊くと、50分くらいかかる、とのこと、3番札所での納経は諦め、直接宿へ向かうことにした。道中、地元の人たちと、挨拶を自然に交わせるのが嬉しい。金泉寺の近くで、一度道を訊き、旅館に到着。女将さんに案内され、2階へ上がると、霊山寺で宿を紹介した方と会った。夜、もう1人のお遍路さんと、3人で話をしながら食事をした。2人とも、歩き遍路のようである。道中、どうかご無事で。食後、風呂に入り、お願いしていた明日の朝食のおにぎりを受け取ってから、19時過ぎに外出。2年振りの、友人との再会。お互いの近況を報告し合い、昔話に花を咲かせ、お茶代をお接待していただいた。帰りに、道中小腹が空いた時につまめるものを買い、宿へ。結願後の再会を約束し、友人と別れた。部屋に戻り、明日の宿の予約、納札への住所・氏名の記入、荷物の整理をして、床に就いた。明日も体慣らしのつもりで、無理をしないよう歩きたい。

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2006年3月7日(火)
枕が硬く、夜中に何度も目が覚めた。昨夜床に就いたのが23時過ぎ、今朝は5時半起床、熟睡できたのは、4時間くらいだろうか。昨日作っていただいたおにぎりで朝食、身支度を整え、6時半頃出発。間際、昨日宿を紹介して、同じ旅館だったSさんが部屋に来て、今日の宿泊のことを訊かれたので、自分が泊まる旅館を紹介した。今夜もおそらく同じ宿だろう。今日は、昨日行けなかった、3番札所「金泉寺」から。納経所が開く7時を少し回ったところで納経してもらい、次の4番札所「大日寺」へ。途中、番外霊場「愛染院」に立ち寄り、お経を上げ、納経していただいた。山の中の遍路道を歩き、大日寺に到着すると、Sさんがいた。旅館を出た時間を訊くと、自分より遅かったので、おそらく愛染院を参っている時に抜かれたのだろう。ここから五百羅漢までは、Sさんと一緒に歩いた。Sさんは直接5番「地蔵寺」へ、自分は番外霊場「五百羅漢」へ。ここで、少しあいさつをしたTさんと、次の地蔵寺からは一緒に歩いた。6番札所「安楽寺」までは、5.3km、少し疲れたので、山門近くの茶屋でコーヒーを飲んだ。昨夜、友人から聞いた料理屋のことを店員に訊くと、どうやらそれは5番札所の近くだったらしい。勘違いをしていた。しょうがないので、1.2km先の7番札所「十楽寺」へ移動、すぐ近くのうどん屋で昼食。うどんがうまい。腹を満たし、8番札所「熊谷寺」へ。道しるべを見落とし、大回りをして到着、これも修行。2.4km先の9番札所「法輪寺」を打ち、続いて10番札所「切幡寺」へ。最後につらいところが回ってきた。ふもとからの高低差、約90m、途中まで車も通れる舗装道路、その先、333段の石段。登り終えて到着した本堂・大師堂であげるお経は、なんとなく格別のような気がした。山を下り、約2km先の旅館で今日は宿泊、同行のTさんは、予約をしていなく、訊いたら満室、自分と相部屋が可能、ということだったので、同室で泊まることになった。これも、お接待。Sさんは、先に着いていた様子。風呂に入り、旅館横のうどん屋で夕食、やっぱりうどんがうまい。明日も出発が早いため、朝食用のおにぎりを作っていただいた。ついでに、昼食がどうなるかわからないので、昼食用のおにぎりも、作っていただいた。Tさんのおごり(これもお接待)で、2人分の洗濯物をまとめて洗濯機と乾燥機を回した。これでこの先2日分の着替えの心配がなくなった。Sさんからいただいたみかん(これもお接待)をいただいて、ビタミンC補給、荷物の整理をして、床に就いた。明日は最初の遍路ころがしと言われる山登り、無理せず、楽しく歩きたい。

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2006年3月8日(水)
5時起床、昨日おにぎりにしていただいた朝食をとり、まだ薄暗い6時頃、Tさんと共に出発。目指すは、11番「藤井寺」。吉野川の支流を越える時に、雲間から昇る太陽を見た。この川も、吉野川本流も、渡った橋は潜水橋、増水したら、通れない。しばらく行くと、国道を渡ったところで、お金のお接待を受けた。昨日も別の方からいただいたのだが、書き忘れていた。今日は、コーヒーと賽銭に化けた。その後、道に迷い、地元の方々に道を訊きながら、藤井寺到着。朝、先に旅館を出たSさんと会った。納経し、山登り開始。ひたすら山道を上り下り。平均的といわれる6時間くらいで、12番「焼山寺」到着。もう体中ガタガタだ。納経を済ませ、おやつ代わりのうどんを食べ、宿坊へ。時間があるので、奥之院にも行ってみた。約220mの高低差、距離1.1km、思った以上につらかったが、約1時間で往復。すべてTさんと行動を共にしたのだが、とても自分の父親と同年代とは思えない力強さ。宿坊に戻り、風呂へ、その後、夕食。精進料理。ご飯が美味しくて、おかわりをした。自分の携帯電話が圏外なので、Tさんに明日の宿をお願いした。というわけで、明日もTさんと行動を共にする予定。そろそろ疲れがたまってきた頃、心身共にリフレッシュしながら、明日も歩きたい。

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2006年3月9日(木)
6時からの朝のお勤めに参加、良い話が聞けた。お経をあげたあと朝食、お昼用に用意していただいたおにぎりを持って出発。山を下って上ってまた下り、あとは大体川沿いの平坦な道をひたすら歩く。途中、橋の近くの河原で昼食。外で食べるおにぎりは美味しい。何度も休憩を入れ、約24km先の、13番「大日寺」に到着。疲れ果てていたらしく、何度もお経を間違えた。その後、14番「常楽寺」、15番「国分寺」と続けて打ち、16番「観音寺」の手前で17時になり、今日はここまで。観音寺近くの、予約してもらっていた旅館に到着。今日も1日行動を共にしたTさんと同室。体がガタガタだ。湯につかることがこんなに気持ち良いと思ったのは、いつ以来だろう。夕食は、遍路に似つかわしくない豪華な料理。洗濯をして、荷物整理、就寝。そろそろ疲労のピークだろうか、明日もう少し頑張って、土日は距離を短めにして、体を休めようか。

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2006年3月10日(金)
雨だ。朝から気分が重い。7時頃に朝食、8時前に、Tさんと一緒に出発する。最初は、昨日打てなかった、16番「観音寺」へ。本堂改築中で、仮本堂が大師堂だという。無茶な話だ。しょうがないので、大師堂で、燈明2本、線香6本、納札2枚、賽銭2堂分を納め、お経を2回あげた。その後、2.9km離れた17番「井戸寺」へ。朝の通勤ラッシュに当たったようだ。車が多い。Tさんと横並びになれる場所がほとんどなく、あっても、疲れと雨が手伝ってだろう、2人して口数は少なかった。井戸寺で納経を済ませ、その先の「上鮎喰橋」を渡ったところで、Tさんとはお別れである。Tさんは、今日は足休めということで、町の中のルートをとり、そこで宿泊、自分は峠越えをして、少し先へ駒を進める。1人になると、途端に不安になる。一般的ではないルートを通るため、遍路標識がほとんどない。足の痛さも、増した気がする。峠の山道に差し掛かると、右足の膝が悲鳴を上げだした。道の脇を流れる小川の随所に見られるししおどしや小さな水車の風流さを楽しむ余裕もない。頂上を越え、下りでは、右足をかばう左足のふくらはぎも痛くなってきた。ようやく平地まで降りてきたところで、雨具を脱ぎ、杖に助けられながら、歩を進める。園瀬川に架かる橋も、大雨で通行不能になる潜水橋だった。地蔵橋駅近くの店で昼食、日替定食600円は安い。勝占郵便局近くの大松川で巨大な鯉を見た。国道55号線と合流、途中休憩のために国道のガード下に入って柔軟体操をしていると、雨が降り出した。タイミングの良さに、何かあるのでは、と勘ぐってしまう。雨具を着て、国道に戻ると、歩き遍路さんとばったり会った。会話する間もなく、その人は先に歩いて行った。元気な自分だったら追いつける速さなのだが、いかんせん足が重い。引きずるようにして、泊まる民宿に到着、リュックを置かせていただき、最後の力を振り絞って、18番「恩山寺」へ登る。たった300mの道のり、標高差30mが、何倍にも感じられる。境内に着き、思わず鐘を撞いた。納経を済ませ、宿へ。風呂に入り、夕食、何度も顔を合わせたことのある方、初めて見る方、国道で先に行かれた方もいた。逆打ちしている方と向かい合って食事をしたのだが、20番・21番あたりの山道で足を痛め、1番まで戻らずに帰るらしい。無念に違いない。食後、食べないから、と夕食に同席していた方からみかんをいただき、ありがたく食べた。明日は距離を短めに設定、足を休めることにしよう。

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2006年3月11日(土)
早くに寝るので、目覚ましより先に、自然に起きる。それに、夢を見た記憶がほとんどない。熟睡している証拠だ。朝食後、部屋で丹念に足を揉みほぐしていると、宿の人がいきなり入ってきた。片づけをするつもりだったのだろう。確かに、遍路が8時まで宿にいることは、あまりないに違いない。歩き遍路は、普通早朝に動き出す。しかし、今日の自分の予定の距離は短いので、急ぐ必要はない。宿を出る時、宿の人に一声掛けたかったが、誰もいないようだったので、納札の裏にお礼を書いて玄関に置いてきた。最初に向かったのは、宿のすぐ近くにある番外霊場「釈迦庵」である。ここには、四国で唯一最古の「佛足石」がある。お経をあげ、次の番外霊場「お京塚」へ。ここでもお経をあげ、次は18番「立江寺」に向かう。立派なお寺だ。線香がなくなってきたので、ここで買った。納経を済ませ、19番奥之院「取星寺」への遍路道を歩いていると、後ろから声を掛けられた。先程の立江寺でお参りをしてきた人で、自分の姿を見かけたらしい。これから取星寺へ行くことを告げると、帰る方向だから、と途中まで案内して下さるという。ご厚意に甘え、話をしながら山の登り口へ、そこで飴数個のお接待を受けた。納札を渡し、山道を少し登ったところに展望台があったので、下を見てみると、先程の人が手を振ってくれていた。手を振り返し、深々と礼をして、先へ進んだ。心が温まった。山道を登り切った尾根の道は、散歩コースになっているのか、大勢の人と会った。取星寺で、お経をあげ、納経いただいたのだが、ここは番外霊場、自分が持っている八十八ヶ所の納経帳には欄がない。以前、違う番外霊場で納経いただいた時は、紙納経だったが、ここにはそれもないようだったので、納経帳の一番最後の空いているページに書いていただいた。すごく失礼なことをしたと思う。もし、番外霊場だけの納経帳があるなら、手に入れて持ち歩きたい。取星寺から下の道に下り、歩いていると、また声を掛けられた。今度は、わざわざ車を停めて、栄養ドリンクをいただいた。納札をお返しした。更に歩き、空腹がそろそろ限界に達しようという時、「お遍路さん歓迎」の看板を発見、吸い込まれるようにしてお店に入った。座ると、まず「お接待」と言って、ようかんとお茶が出てきた。日替り定食を注文した。しばらくすると、うどん付きの定食が出てきた。店の人は、このうどんは別の人からのお接待だから、と言っていた。全てきれいに平らげ、お金を払うと300円、あれ、定食は550円では、と言うと、うどんはお接待だからこれでいい、とのこと。またもやご厚意に甘えさせていただいた。その後、コンビニで今日の夕食と明日の朝食・昼食を買った。1人のお遍路さんと会った。しばらく歩くと、先程のお遍路さんが道端で休憩していた。自分も丁度休む時間だったので、少し話をした。途中で、聞いたことがある内容だと思い、確認すると、一番最初の晩、同じ宿に泊まっていた人だった。奇遇である。今日の宿は違うところだが、明日の目的の札所は同じなので、またどこかで会うだろう。その人と別れ、自分が泊まる宿へ向かう途中、明日登る鶴林寺への道を探したが、わからなかった。人に訊いても、よくわからない、と言われる。宿に到着、歩いた距離は短いが、今日も疲れた。風呂に入り、部屋に戻ると、小鉢に入ったおかずが置いてあった。素泊まりなのに、と思い、宿の女将さんにお礼を言いに行くと、鶴林寺への近道を教えてくれた。どうやら最短ルートらしい。わざわざ2kmも戻る必要がなくなった。6時半頃にならないと明るくならない、とのことなので、それくらいの時間に出発することにしよう。今日は、1時間歩き10分休憩、というのをリズム良くできた。しかし、ちょっとした坂道で、右膝が悲鳴をあげる。明日は坂道ばかりなので、もっとインターバルを短くしないともたないだろう。歩けなくなってはどうしようもないので、無理をしないように歩くことにしよう。

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2006年3月12日(日)
起きた時は雨が降っていたが、出発する頃には、あがっていた。昨日教えていただいた道を登る。急斜面だ。また膝が痛くなる。何人かのお遍路さんを抜いたり、あるいは抜かれたりしながら、20番「鶴林寺」に到着。お経をあげ、納経を済ませると、一昨日別れたTさん他数人がいた。一足先に山を下り始めたが、膝の痛みのため牛歩、会った人全員に抜かれた。一旦谷まで下り、また登山、途中で雨が降り出した。雨具を着て、お昼頃に21番「太龍寺」に着いた。この寺は、ロープウェイでも来れる。納経を済ませたあと、そのロープウェイの待合所を利用させていただき、昼食をとった。山下りは、車道を通るルート、アスファルトの衝撃が、膝に応える。県道から、再び山道へ入る手前に、遍路小屋があったので、雨宿りして、休憩させていただいた。この地区に住む人たちのご厚意による小屋、ありがたい。気持ちも新たに峠越え、16時半頃に22番「平等寺」到着。納経終了の17時に間に合った。礼拝を終え、すぐ近くの宿へ。Tさん他、自分も含め5人宿泊のようだ。風呂に入り、夕食を待っていると、Tさんがシップをくれた。宿の人もそれを見て、シップをくれた。ありがたいことである。早速、膝とふくらはぎに貼った。夕食後、しばし談話、洗濯をして、荷物整理、就寝。今日も足が痛かったが、なんとか歩けていることに感謝したい。明日も、リズム良く歩きと休憩を心掛けたい。

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2006年3月13日(月)
今日も目覚ましより先に起きた。後味の悪い夢を見ていた。6時半頃朝食、今までで一番遍路宿らしい宿の女将さんに別れを告げ、7時半頃出発。今日は、約20km先の23番「薬王寺」まで、割と平坦な道だ。途中、番外霊場「月夜御水庵」と「弥谷観音」にも立ち寄る。前者は、よくある「弘法大師が杖を突くと水が出た」という場所。枝が全て一度下を向いてから上に伸びている「逆松」がある。後者は、ダム治水工事に伴い、高い位置に移転されたもの、そのためか、石碑など新しいものが目立った。あまり起伏の多くない道を歩いていると、色々なことが頭をよぎる。息を切らしながら坂道を登ったり、足の痛みに耐えながら坂道を下ったりしている時は、考える余裕がなかったことだ。しかし、いくら考えても、結論は出ない。というより、結論を出すことを恐れているのか。そんな迷いもあってか、薬王寺でお経を上げている時には、つまづくことが多かった。納経を済ませ、たまたまそこで会った同じ宿に泊まるUさんと一緒に移動。荷物を置いて、Uさんを誘って温泉に行ってみる(詳細は温泉のページ参照)。宿に戻り、荷物整理、夕食。夜の日課は、毎日同じだ。明日は、ひたすら室戸岬を目指し歩くだけ。平地だったら、膝は大丈夫のようだ。規則的な休憩を心掛け、疲れを溜め込まないようにしたい。

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2006年3月14日(火)
「ほとんどの人が苦しむことになるだろう」と言われている足のマメ、自分は例外だ、と思っていた、その過信がいけなかったのだろう、今日はこのマメに泣かされた。昨日の夜、テーピングしておいたから安心していたのだが、うまく処置できてなかったのか、それとも無茶な行程がいけなかったのか、左足小指の先にマメができた。午前中、結構よいペースで歩き、番外霊場「小松大師」を拝んで、牟岐町内で昼食。その後、旧遍路道を通り、大坂峠越え。番外霊場「草鞋大師」を拝もうと思っていたのだが、どこにあるのかわからなかった。このあたりまでで、既に指先に違和感を覚えていた。少し歩き、番外霊場「鯖大師」へ。お経をあげ、納経を済ませ、敷地内を見て回ったあと、靴下を脱いでみたら、マメができていた。その場で処置、親切な歩き遍路さんが「針をお持ちですか?」と訊いてくれた。言葉だけありがたく頂戴し、自分の針で水抜きをして、赤チンを流し込んだ。しみる。絆創膏を貼り、テーピングで固め、出発。歩くと痛い。それをかばう右足、ただでさえ膝が痛いのに、今度はふくらはぎも痛くなる。そして、またそれをかばうように、左足のふくらはぎが痛くなる。肩は肩で、リュックを背負いっぱなしの筋肉痛、満身創痍。そんな折、国道沿いの喫茶店の方が、コーヒーでも飲んでいきなさい、と声を掛けてくれた。湧き水を使って、サイフォンで淹れたコーヒー、すごく美味しかった。少し元気を取り戻し、海部駅まで1時間ほど歩く。駅に着き、この時すでに17時、休憩がてら、宿へ遅くなる旨電話。ここから5kmちょっと、気合で歩いたら、1時間強で到着。すぐ風呂に入り、夕食、洗濯。乾燥機がないので、部屋干し。明日は少し距離を短くしよう。こうして、徐々に自分の限界とペースを掴んでいかねば。

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2006年3月15日(水)
申し分のない1日だったように思われる。天気は快晴、歩くのは平坦な道ばかり、海岸沿いの国道をひたすら室戸岬へ。1時間歩いて休憩を、と思っていると、タイミングよく座って休める場所があり、体への過負荷を回避することができた。左手には常に太平洋、心が安らぎ、「眉間にシワを寄せず、いつも微笑みを」なんてことを心掛けることもできた。足の痛みは相変わらずあるものの、耐えられないほどではない。今日も札所までは届かなかったので、番外霊場を3つ拝んで終わりだった。「古目大師」「東洋大師」「佛海庵」の3霊場、2つ目は、例によって、弘法大師が杖を突いたら水が出た、というところ、紙納経が置いてあったので、料金を賽銭箱に入れ、いただいた。ここには通夜堂があり、遍路が寝泊りできるようになっている。3つ目は、佛海という人が建てた庵。全国の霊場巡礼をし、遍路の援護にも功績があったらしい。これらとは別に、佛海庵の手前に、「法海上人堂」なるものがあった。丁度昼食どきに、ベンチがあるこの場所を通りかかったので、お経を上げてから、ここでお昼を食べさせてもらった。昨日の反省から、距離をおさえたこともあり、16時頃には宿へ到着、風呂に入り、夕食。マンボウを初めて食べた。食後、水平線から昇る月を見ることができた。海面に月明かりの道ができていた。明日は、昼前から大雨らしいが、早朝くらいは晴れて欲しい。せっかくの東側一面海、日の出を拝みたい。

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2006年3月16日(木)
嵐の一日だった。室戸岬までは向かい風、その先は追い風、油断すると吹っ飛ばされそうな勢いだった。こんな天気の中、自分は何のために歩いているのだろう、と思ってみたり、これも修行のうち、と思ってみたり、努めて笑顔を作ってみたり、色々考えてみたりした。そんな折、昼食をとりに入ったお店で、そこの女将さんと話す機会があった。子供のこと、親のこと、店のこと、食べ物のこと、色んなことを話してくれた。極力「ははは」と笑って流したり、単なるあいづちで終わることのないよう、「会話」と呼べるものにしようと努力した。意識しないと会話ができない、というのも、難儀なものである。女将さんは、こんな自分と辛抱強く話をしてくれた。ありがたかった。それから、この店で、思わず胸がつまったこともあった。テレビで、NHK連続ドラマ小説「風のハルカ」が放送されていたのだが、その一場面で「田舎は帰る理由がなくても帰って来て良いところ」という意味合いの言葉があった。自分には、帰ることができる実家がある。待っていてくれる家族がいる。当たり前過ぎて、忘れていたことを、改めて認識した。本当にありがたいことだ。そういうわけで、今日は、荒れた天気とは裏腹に、感謝の気持ちをたくさん感じた日だった。
<足取り>5時半起床、準備、朝日は見られず。6時半朝食、用意、7時半頃出発。夫婦岩見学、よく顔を合わせるHさんと会う。8時40分頃、以前会ったOさんと会うが、自分は一人休憩、2人に先に行ってもらう。椎名郵便局を過ぎ、旧道から出るあたりで雨が降り出し、雨具着用、蒸れないように、中はTシャツと白衣のみ。三津集落の旧道沿いの寄合所で雨宿りさせてもらい休憩、9時50分頃。この頃、既に雨風は横殴り。旧道を出て、少し歩いたところに料理屋があり、手洗いを借りる。強い向かい風に耐えながら、「室戸青年大師像」入り口到着、店の軒先で少し雨宿りさせてもらい休憩、11時頃。拝んでから出発しようとしたが、近づくのにお金が必要だったので、やめた。すぐ近くの「御蔵洞」へ、菅笠のビニールカバーが飛ばされそうになる。洞窟に近づくと、Hさんもやって来た。今日は24番「最御崎寺」の宿坊で泊まる、とのこと。御蔵洞でも納経できたのだが、あまりの嵐っぷりに、面倒になってやめた。その先の「観音窟」も「室戸岬展望台」も「岬の店で昼食」も面倒になり、最御崎寺に登ることにした。約700mの道程、右膝をかばいながら石段を登った。途中の東屋で、Hさんと、昨日同じ宿だった人(名前を訊かなかった)と会った。乾燥種無し梅干をお接待した。少し登ると、Tさんが下りて来た。逆から登ったのだろうか、せっかくの遍路道を通らねば、というようなことを言っていた。石が滑りやすくなっているので注意して下さい、と声を掛けた。12時頃、最御崎寺到着、山門で写真を撮る時だけ、雨風がおさまった。それ以降は、ひどい風雨。納経を済ませ、納経所の人に昼食がとれる場所を訊くと、下ったところに「はまゆう」という食堂があることを教えていただいた。宿坊でも食べられるかも、と言われたが、自分は泊まるわけでもないので、遠慮した。風に吹き飛ばされそうになりながら車道を下ると、「はまゆう」があった。先客が一人、自分が入ると、すぐに店を出て行った。女将さんに椅子を用意していただいたので、雨具をかけ、古新聞をいただき靴につめ、日替り定食をいただいた。食後、文旦の剥き身を3房、種類が違うものを1房いただいた。美味しかった。26番と27番の間にあるホテルの遍路宿泊優待券をいただいたので、あとで検討することに。強い追い風の中、主に旧道を25番「津照寺」に向けて歩く。そろそろ休憩を、と思っていた14時半頃、山門到着。そこからが長かった。本堂へは、石段を登るのだが、そこの風が半端ではない。踏ん張ってないと、飛ばされる。やっとの思いで本堂到着、燈明・線香など、全て建物の中にあって助かった。礼拝していると、傘をさして上がって来た人がいた。こんな日には、誰も来ないだろう、と思っていたので、驚いた。本堂のお参りが済み、大師堂へ、ここは燈明・線香が外、線香なんかは、もともとささっていたものが消えて、湿気を含む風によって押し曲げられていた。礼拝を済ませ、納経、泊まる「太田旅館」の場所を訊き、津照寺をあとにする。15時過ぎに宿到着、予定より随分早いが、宿の女将さんに温かく迎えていただいた。雨具をかけ、靴に古新聞をつめ、杖を洗い、部屋へ。荷物整理をしていると、女将さんがお茶を持って来てくれた。明日の行程検討、優待券をいただいた「ホテルなはり」が妥当だろう。券をいただいたのも、何かのご縁だろうし。宿予約、和室4,200円也。BBSに書き込みをし、風呂へ、Tさんに教えてもらったように、まず冷水で足を冷やし、湯船でマッサージ、出る時は、水をかぶる、を実行。なんとなく調子が良い気がする。部屋に戻り、訊き忘れていたホテルの食事のことで電話、朝食は和が880円、洋が650円、夕食はホテルのレストランにて別精算、チェックインの時に再考。これを少し書き、夕食、豪勢。洗濯をして、靴と雨具を部屋へ持ち込み乾燥、これの続きを書く。21時前に眠くなる。洗濯中に、BBSへ書き込んでくれた人から電話があったので、かけてみたがつながらず。また後日。明日はゆっくり朝食なので、荷物を散らかしたまま就寝。

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2006年3月17日(金)
昨日の天気が嘘のように快晴の1日だった。ちょっとした山登りがあったので、膝の具合を心配したが、思ったより酷くなかった。規則的に休憩を入れているのが良いのだろう。暑かったが、ほとんど汗ばむことなく歩けたのも、この休憩によるところが大きいと思われる。今日は、店の人との会話というのがなかったが、代わりに挨拶をできるだけするように心掛けた。当たり前のことができなくなっている自分を再認識し、愕然としたが、できるだけ笑顔で挨拶をするようにした。挨拶を返してくれる人、二言三言、言葉をかけてくれる人、そんな人たちには心が安らぐが、無視されることもあった。いちいちめげていてもしょうがないし、単に聞こえなかっただけかも知れないし、とにかく気にしないようにした。こういう小さい小さいことで、いちいちクヨクヨする弱さが、自分にはある。気にしてたら、身がもたない。歩いているうちに、良い意味での図太い神経を持てるようになれば、と思う。こんなことを考えながら、今日は、札所1つ、番外霊場2つ回った。ほとんど海沿いの道で、心が洗われる思いだった。
<足取り>6時起床、珍しく目覚ましに起こされる。7時ちょっと前に朝食、7時45分頃出発、昨日撮り損ねた25番「津照寺」の証拠写真を撮りに行く。旅館でいただいた地図を頼りに、26番「金剛頂寺」を目指す。山道を少し登ったところで休憩、タイミングよくベンチがある。景色が良い。金剛頂寺を打ち、下山、寄り道をして、番外霊場「不動岩」へ。礼拝後、道の駅「キラメッセ室戸」へ、トイレ休憩、銘菓「野根まんぢう」うまい。吉良川町に入り、古い町並みが保存されていることに感心、商店で昼食を買い、近くの東屋で食べる。旧道から国道55号線に出るところでトイレに寄り、その先、羽根地区の郵便局で現金引き出し、峠越え手前で小休止。中山越、アップダウンが何回かあったが、そんなにきつくなかった。国道に出て、番外霊場「御霊跡」礼拝、休憩。ここからホテルまでは休憩なし、と言っても、1時間くらい。今までは、旅館や民宿ばかりで、ホテルは今回が初めて、和室をお願いしたが、やはりホテルはホテル。大浴場は悪くない、マッサージチェアも無料だったし、でも、食事がねぇ…。宿泊料金が安いので、文句は言わないでおこう。今日は、歩き疲れというよりも、日焼け疲れの方が強いかも、睡魔に任せて眠りにつくことにしよう。

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2006年3月18日(土)
一昨日の嵐のような酷い天気ではなかったが、ほぼ1日雨だった。しかし、こんな雨の中、1日中歩くなんて、ましてや山道を登るなんて、普段の生活ではなかなかないことである。良い経験だと思う。今日はほぼ1日、富山のHさんと一緒だった。朝、ホテルで朝食をとるためレストランへ行こうとしていた時に、同じホテルに泊まっていたことに気付いた。道中、色々話をした。できる限り、自分の考えをぶつけるようにした。いきなり核心に迫る内容の話ができるのも、遍路ならではである。こうやって、色んな人の話を聞いて、自分からも意見を出して(そうすることでまとまらなかった考えが形になる[言葉になる]こともある)、もやもやしている気持ちの整理をしていこうと思う。
<足取り>壁が薄いのか、音が気になって寝付けなかったようだ、目覚ましで6時に起床、7時に朝食、ホテルのロビーでHさんと会う。食後、Hさんは一足先に出発、自分は準備をして8時少し前に雨の中出発。奈半利町内で、昼食用の弁当を買い、旧道を通って27番「神峰寺」の登り口へ。しばらくは車道、途中、宮大工さんのところで休んでいるHさん発見、自分も少し休憩してから一緒に出発。歩き専用の参道、息を切らせながら登り、車道に出てホッと一息、またすぐ参道へ、この繰り返し、途中の東屋で休憩。そのあと、参拝者用の駐車場まで登り、トイレ休憩をしてから神峰寺へ、雨の中礼拝。駐車場へ戻ってきて、そこにあるお店で昼食。野菜たっぷりの力うどん、うまい。食後のデザートのアイス、道中食の飴、そして写経帳を買った。店の人とも、少し話した。下りは一気にふもとまで、そこで少し休憩、1時間くらい歩いて、道の駅「大山」で休憩、三重のHさんに会った。その後3人で安芸市中心まで、伊尾木の辺りで一息ついてから宿へ、三重のHさんは違う宿、富山のHさんは同じ宿。風呂、洗濯、夕食、お決まりのパターン、おっと、今日は写経をしてみるんだった。明日からは、自分で書いたお経を納める、本当の意味での「納経」ができるようになるかな。

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2006年3月19日(日)
距離が30kmを超えると、疲れる。今日は風が強くて、菅笠が飛ばされないよう、自分の体が飛ばされないよう、気を張っていたから、余計にだろう。午前中は、割合穏やかな天気だったが、昼頃から風が強くなってきた。ほとんど向かい風だった。日差しは暖かいのに、風が冷たい。そんな中、番外霊場、札所、その奥之院を打った。今日のテーマは「無心」。きれいな海を見ていると、心が空っぽになり、冷たい風で我に返る。何も考えず、平坦な道をひたすら歩いてて、ふと足の痛みで我に返る。現実世界が降ってくると、瞑想世界が消えてしまう。まだまだ修行が足りない。何が起きても、静かな心で対処できるようになりたい。
<足取り>6時起床、7時朝食、8時少し前に出発、宿のすぐ近くの自動販売機でペットボトルのお茶購入(140円也)。国道55号線をしばらく歩き、途中から防波堤道路へ、自転車・歩行者用の道、歩きやすい。最初の休憩、タイミング良く東屋発見。休んでいると、休日区切り打ちしているお遍路さんに会う。その後、番外霊場「極楽寺」へ、一見普通の家。礼拝を済ませると、人が出てきて、ぼた餅と文旦それぞれ2個ずつお接待いただいた。納経してもらって出発、またタイミング良く休憩所があったので一服。トイレがある休憩所は重宝する。さらに歩くと、先に出発した富山のHさん、三重のHさん、もう一人のお遍路さんに追いつく。そのまま追い越して先へ、途中で海を見ながら休憩していると、3人に抜かれた。休憩を終え出発、名前を知らないお遍路さんを追い抜き、次いで富山のHさんも追い抜く。国道に戻ったところで、昼食用のおにぎり購入、近くの海岸で食べる。途中でお遍路さんが一人来たが、すぐにいなくなった。旧道に入り、遍路道案内に従って歩く。国道に復帰、100円ショップダイソーでトイレを借り、ついでに筆ペンと菓子を買う。あとは28番「大日寺」まで1時間くらい、最後の石段がきつかったが到着、納経を済ませ、奥之院「爪彫薬師堂」へ。今日の霊場参りはここまで、あとは宿へ。強風の中、周囲に何もないふきっさらしの道、大き目の川に架かる橋を越え、歩く、歩く。途中で、小屋の前で休んでいるお遍路さんに会った。その後、自分が大師堂の近くで休んでいる時に抜かれた。南国市に入って、国道195号線を宿に向かって直行、と考えていたが、夕食をとってからチェックインするには早い時間だったので、遍路道に沿ってしばらく歩き、明日歩き始める地点から宿へ向かうことに(宿は遍路道から外れていて、夕食がついていない)。17時過ぎくらいに、宿周辺到着、うどん屋に入って夕食。わかめと梅が入ったうどん、新感覚。おでんがうまかった。あとから入ってきた人に話しかけられ、少し話をしていると、その人も同じ宿、どうやらどこかで会っていたらしい。先にうどん屋を出て、本屋に寄り、宿に戻ると、その人はもう戻っていて、風呂に入るところだった。あとはお決まりのパターン、せっかく筆ペンを買ったので、それで写経してみたが、書き辛い…。

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2006年3月20日(月)
今日のテーマは、「会話とスピーチ」。今まで挨拶だけで終わらせていたものに、一言付け加える。「こんにちは〜。今日は暖かくて歩きやすいですねぇ。」といった具合に、少し言葉を足すだけで、次に話題がつながる。たまたま休憩所で一緒になったおばあさんと、こんな感じで少し話をした。それから、興味を持って話をする。気になったものは、とりあえず尋ねてみる。そこから会話が生まれる。道中、聞きなれない言葉のノボリを上げて商売をしていた人がいたので、何のことか訊いてみた。「どんがし」、これはポン菓子のことで、北海道ではこう呼ぶそうである。その人と、偶然にも、泊まる宿へ向かう途中で再会し、また少し話ができた。あと、言うことに臆病にならない。こんなこと言ったら退かれそうだなー、とか、オチがつかないよー、とか、話しかけるタイミングが…、とか、気にし過ぎて言うのを止めてしまうことのないように努力してみた。半日くらい行動を共にした、三重のHさん、鈴鹿サーキットの話題に「乗ってくれるかなー」と思いながら振ってみたら、そこそこ会話が続いた。これをキッカケに、別の話題にも移り、しばらく話ができた。こんな感じで、なんとなく話すんじゃなくて、ちょっと意識して話せば、それなりに会話ができるじゃん、ということがわかった。今後は、これを意識せずに、自然にできるようになればいいな…。もう1つ、「スピーチ」は、幼馴染みの結婚式のスピーチ、昨日文例集のような本を買ったので、それを参考に内容を考えてみた。まだ、梅棹流知的生産技術の「用紙に書き出し(実際には書いてなくて、頭に思い描いているだけ)」段階、まだ1ヶ月あるので、じっくりつめていきたい。
<足取り>6時起床、目覚ましより先に目が覚めた。7時朝食、8時少し前出発。右膝が早速痛い、でも前じゃなくて裏、昨日距離が長かったからか?29番「国分寺」を打ち、しばらくしたら、足は楽になってきた。30番「善楽寺」に向かう途中、「どんがし」屋さんで小麦のポン菓子購入、蕎麦の実のポン菓子を試食させてくれた上、少しオマケして袋に入れてくれた。ちょっとずつつまみながら歩き、ヘンロ小屋で休憩、「遍路じゃないんだけど」というおばあさんと世間話。善楽寺を打ち、国分川を越えたところで昼食、ラーメン屋とうどん屋が並んでいたが、無性にラーメンが食べたくなったので、ラーメン屋に入った。とんこつラーメンがうまかった。31番「竹林寺」は、五台山の上、登山口で、三重のHさんと会った。その後、抜きつ抜かれつ、ほぼ行動を共にする。五台山は、植物園になっていて、その中を遍路道が通っていた。たまに道を見失う。竹林寺を打ち、次は32番「禅師峰寺」へ、途中、石土池のほとりで休憩。禅師峰寺も、低いながら山の上にあるお寺、遍路道は山道、お寺からの景色はきれいだった。禅師峰寺を打って、さて宿へ、途中で「どんがし」おじさんと再会、まさかここで会えるとは思いも寄らなかった。明日から天気は下り坂、商売にひびく、と言っていた。宿は、老舗らしい「海老庄旅館」、やたら熱い風呂に入り夕食、ボリュームがある。部屋に戻って、一昨日お接待でいただいた文旦を食べた。うまい。「どんがし」もむしゃむしゃ食べた。止まらない。ちょっと食べすぎな夜。眠いので、写経もせずに寝てしまおう。Zzz...。

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2006年3月21日(火)
「落ち込んだら、どう回復するか」ということを考えながら歩いた1日だった。朝、起きた時から低調だった。身体的には問題ない、病んでいるのは精神。いつもだったら、凹みっぱなしで放っておくところだが、今は歩調にも影響するので、回復に努めた。形から入るのが良いようだ。やっぱり「笑う」ことは大切。無理にでも笑顔を作ると、ふさいでいるのが馬鹿らしくなってくる。それから、人と話す。会話をしようとすることで手一杯、ふさぎ込む暇がなくなる。あとは、プラス志向。無理にでも、プラス志向。悪循環を、とにかく断ち切る。落ち込まないタフな心を持っていれば、こんなことを考える必要はないのだが、今の自分には、気が弱くなった時にどうするか、という処方箋が必要だ。徐々に、打たれ強い心になっていけばいいのではないか。
<足取り>6時起床、7時朝食、7時40分出発。三重のHさんと一緒に。種崎渡船場から無料の県営フェリーで長浜渡船場へ。8時10分の船、5分かからず対岸へ。33番「雪蹊寺」を打ち、納経所の人に文旦をいただく。境内の露店で干し芋を買う。ここで、Hさんとは別行動。34番「種間寺」へ向かう途中、軽自動車のおじさんに「種間寺まで行くの?自分も行くから乗ってかない?」と言われた。ありがたい話だったが、全部歩くつもりなので、丁重にお断りした。更に歩き、サンガリアの自動販売機で怪しげなお茶(500mlペットボトル130円也)を買う。種間寺を打ち、境内の露店でアイスクリームを買う。店の人に、お昼が食べられそうなところを訊く。仁淀川を渡り、堤防道路で川を見ながら休憩。教えてもらった店だと思われるところで昼食、35番「清滝寺」へ。地図にない新しいバイパスができていて、ちょっと迷いながら。清滝寺までは、軽登山。境内で、Hさんと再会、同じ宿らしい。下山し、宿に到着、風呂、夕食、etc。明日は雨の上に距離が長いぞ、早く寝よう。

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2006年3月22日(水)
口の周りが痛い。乾燥してひび割れている。水分をあまり摂らないのがいけない。でも、歩いている途中でトイレが近くなるのも嫌なので、どうしても控えてしまう。あと、日焼けもあるのかも知れない。菅笠で、鼻から上くらいは影になっているが、口の周りは無防備だ。そんな口で、うまく笑えない。痛い。今日は、昼前から雨だった。札所は1つ打っただけで、あとは歩きづめだった。坂道を上っている時は、そっちに気をとられているが、そうでない、平地を歩いている時は、何やら色々と考えていた。いや、考えていたというよりは、雑念をあふれるがままにしていた、と言う方が適切かも知れない。でも、それだけではあんまりなので、仕事についてちょっと考えてみた。自分の適職がわからない。大学時代の恩師は、「石井君に教わる生徒は幸せだと思うよ」と教師を勧めてくれた。遍路で知り合った水道関係会社の社長さんは、「技術職も営業職も見てきたからわかる、お兄さんは営業向きだ」と言った。仙台で働いていた時の取引先だった人には、「一緒にネット関係の仕事をしよう」と誘われているし、大学時代の先輩には、勤めているところの関連会社を紹介してもらったし(今は採用してないようだが)。自分はどうしたいんだろう。漠然と「技術職かなぁ」と思っていたが、客観的な視点とはズレているようだ。別のお遍路さんが言っていた。「この果物畑の風景、次の世代まで残っているだろうか」。後継者という立場が、生半可な気持ちで務まるとは思わないが、この方面もアリだと思う。いずれにしても、「自分」というものをもっと見つめ直すことが必要だ。
<足取り>5時半起床、6時半朝食、7時10分頃出発。割と足の調子が良い。最初の峠の手前で休憩、越えてから港で休憩。少し歩くと雨が降り出した。予報より早い。雨の中、36番「青龍寺」を打つ。納経所で、太平洋側の道より浦ノ内湾沿いの道が歩くのには良い、と聞いて、そちらへ行くことに。雨の中、ひたすら歩く。3回休憩を入れ、市の中心の入り口辺りまでやってきた。通りかかった人に、宿への道を尋ねると、帰る方向だから、と途中まで一緒に歩いてくれた。その人と別れ、宿のすぐ近くで、軽ワゴンに乗ろうとしていたおじさんに呼び止められた。「みかんいる?」と言われ、素直にうなづくと、大きい袋に一杯くれた。宿に着くと、女将さんに「そんなにどうするの?」と言われた。明日は、ことあるごとに、お供えしよう。ここの宿は、80歳になるおばあちゃんが切り盛りしている。しっかりしている人だ。今日は自分の他に、2人のお遍路さんが泊まっていた。多分、青龍寺で会った人たち。区切り打ちをしているらしい。回り方は、人それぞれ。明日は早い、テレビを見ている場合じゃない、寝よう。

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2006年3月23日(木)
今日のテーマは「意地を捨てる」。意地を張って、自分の考えを曲げないのは、何かと損だと思う。今日の行程は、「せっかく設定されている遍路道を意地でも通る」ということをやめてみる、という方針で組んでみた。峠越えは、トンネルがあればトンネルを通り、ルートが2つあれば、きつくない方を通る。足が動かなくなっては、どうしようもないから。結果、予想よりも早く目的地に着いた。「天邪鬼」を自分のモットーとしていることも、人と違ったことをしなければ、という思い込みも、「意地」の副作用なのだろう。自分に素直になった方が、楽だろう。自分で自分の首を絞めることほど、苦しいことはないのではないだろうか。人と同じだっていいじゃない、妥協するのは悪いことじゃないだろうよ。意気地がなくならない程度に意地を捨ててもいいのでは…?
<足取り>5時起床、6時朝食、久しぶりに7時前に宿を出る。玄関まで宿の女将さんが見送りに出てくれた。また泊まりたくなる宿、でも宿の写真を撮り忘れた。昨日いただいた大量のみかん、道の駅「かわうその里すさき」に野宿していた自転車の団体(大学生だと思われる)に配ったら、半分くらいになった。その先でも、道端のお地蔵さんにお供えしたり、休憩のたびに食べたりした。大坂遍路道の入り口、休憩所のあたりの川沿い、桜並木があった。時期になれば、きれいだろう。七子峠の山道を歩いている時、蛇を見た。最後の山道がかなりきつかった。登り切ると、久しぶりに会う福島のOさんがいた。お昼を一緒に食べ、Oさんが少し先に出発。後発の自分は、国道56号線をひたすら歩く。途中で自動販売機の誘惑に負け、久し振りにコーラを買う。その先、観光物産センター「ゆういんぐしまんと」でトイレへ行ったついでに、「おいしい」と宣伝されていた仁井田米のおにぎりを買い食い。確かに美味いような気がする。更に、道の駅「あぐり窪川」でトイレへ行ったついでに、名物という「豚マン」を買い食い。今日はこんな調子、昼食がお接待のおにぎりで、お金かかってないから、まぁいいか。打てないと思っていた37番「岩本寺」へ、16時少し過ぎに到着、思っていたより早い。手を洗っていると、久し振りに大阪のTさんに会う。今日は宿坊に泊まりらしい。納経を済ませ、道を訊きながら宿に到着、風呂、夕食。洗濯は「出しといて」と言われたので、お願いした。明日も同じくらいの距離、38番と39番の予定をそれなりに立て、就寝。

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2006年3月24日(金)
今日は「脳の活性化」について。使わないと、どんどん衰える脳。意識して使ってみた。思いついたことを、記憶にとどめておき、時折思い出す。個数だけは必ず覚えておき、出てこない単語は、思い出すまで悩む。今日、思いついたことは、「四国はガソリンの値段が高い(130〜134円くらい)」「朝靄がきれいだ」「川に魚がいるのが嬉しい」「知り合いの四国人と話す時はなんともないのに、歩いている時に聞く方言は2〜3割理解できない」「コーヒーの銘柄が、知らないものばかり」「夜半から朝にかけて寒かった気がする、標高が高いせいだ、きっと」「昨日の日記に、中土佐町の黒竹のことを書くのを忘れた」「岩本寺のご本尊は五智如来だ、ということも書き忘れた」「山道の遍路札、『もうはまだ、まだはもう』なるほど」「耳鳴りがするのは、霊が近くにいるから?」「山道のお地蔵さんに合掌してみる」「人のペースを考えて歩くのは難しい」「海がない県生まれとしては、この海の風景は絶景だ」「ビワの実がなるのはいつ頃だろう」の14個。それぞれキーワードだけ覚えておき、あとから思い出しながら肉付けしたので、思いついたときのものとはすっかり合致しないものもあるかも知れない。でも、大体こんな内容だと思う。脳年齢が多少は若返らないだろうか。
<足取り>5時起床、5時40分頃朝食、準備にもたつき、7時頃出発。片坂の遍路道に入る前に休憩、山道に入ってしばらくして、後ろに人の気配、東京のKさんと会う。この先、行動を共にする。国道に出て、東屋で休憩、さらに進んで、国道脇のお地蔵さんの前のベンチで休憩、ほぼ1時間ごとの良いペース。ここで大阪のTさんと会う。この先、行動を共にする。佐賀町内で昼食、「なんだこりゃ丼」というネーミングに惹かれたが、キムチと納豆、ということだったので、パス。辛い食べ物は基本的にダメ、ましてや、今は口の周りがパリパリで、何でもしみるからダメ。手堅く日替りランチ(金曜日はトンカツだった)にした。あと、飲んでないが、「トマビー」というアルコールがあったので、店の女将さんに念のため訊いてみたら、やっぱりレッドアイだった。その後、約1時間歩いて休憩、を繰り返していたのだが、一度車を停めて「乗っていくかい?」と言ってくれたおじさんがいた。丁重にお断りした。その後、途中でTさんとお別れ、知り合いの家に泊まるらしい。次いで、Kさんともお別れ、国道沿いの宿に泊まるらしい。自分はもう少し先の宿。薬局で、口の周りのガサガサにつける薬を買ったら、これがウチのお接待、と言いながら、錠剤と栄養ドリンクをくれた。いくらなんでも毒ではないだろう、と思って飲んだ。効果のほどは…わからない。17時半近くに宿到着、風呂、夕食、いつものパターン。この民宿、目の前の国道を大型車が通るとガタガタ揺れる、最初地震かと思った。眠れるだろうか。

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2006年3月25日(土)
「思い込み・勘違い・先入観を取り払う」。そのためには、とにかく訊く。勝手に納得するんじゃなくて、少しでも疑問に思ったら、人に尋ねる。自分では正しいと思っていることでも、別の視点から見てみる。そんなことを考えながら歩いてみた。遍路道を通っている時、ハウス栽培されている植物があった。多分パイナップルだろうと思ったが、たまたま人が来たので訊いてみた。予想は当たったが、そこから話が広がった。訊くことで、会話もできるということだ。人の迷惑にならない程度に尋ねることを実践しようと思う。ちなみに、昨日の「脳の活性化」、今日は7つくらい思いついたが、3つ忘れた。覚えているものは、「体調が良くないと、耳がおかしい(水が入ったような感じ、耳の奥で声がくぐもっているような状態、うーん、わかり辛いなぁ)」「どこを歩いてもゴミが落ちている、でも、そればかりに目がいってしまうと、他の美しいものを見落としてしまう」「久し振りに釣りがしたい」「高知で見る『有料運転者章』は豪華」の4つ。記憶が固定化する前に別のことを思い付くと、一瞬で忘れてしまう。
<足取り>5時半に目覚ましをセットしたが、起きたのは6時5分前。スヌーズ付きで良かった。6時20分頃に朝食、7時25分頃に出発。一度休憩して、四万十大橋を渡る。四万十川、大きい。川沿いの道を歩いていると、逆打ちをしているお遍路さんに会った。土佐清水市に入る前にある「今大師寺」にお参りした。新伊豆田トンネルは、1.6kmくらい、「仏前勤行(ごんぎょう)次第」の練習。トンネルを抜けて、番外霊場「真念庵」お参り。近くのドライブインで昼食。ざるそばと大判焼きを食べて、外に出ると、東屋に福島のOさんがいた。自分が先に出発したが、5kmくらい先の下ノ加江川にかかる橋の手前で休んでいる時に抜かれた。その後、遍路道を通ったり国道を通ったりして歩いていたら、どこかで抜いたらしく、次の休憩でまた会った。同時に出発、だが、Oさんは国道、自分は遍路道へ。この先で、ハウスのおじさんと話をした。国道に戻り、またすぐ遍路道、大岐海岸、砂浜を歩いた。舗装道路に戻ると、遍路の案内板に「脱靴」と書いてあった。思わず笑った。その後も遍路道・県道を行ったり来たり。地図からは読み取れない標高差、道の悪さ、明日の打戻り(来た道を戻って次の霊場へ行くこと)は、遠回りでも舗装道路を通ろう…。宿には17時半近くに到着、病気療養施設的な民宿らしい。風呂はシャワーだけだったが、たまにはよかろう。夕食は、肉抜きの健康的な食事、向かい合って座ったおじさんと話をした。アトピーの治療で来ているらしい。各地の巡礼をしていたらしい。他にも4人、全員で6人で食事をしたが、自分以外は療養で来ているようだった。おじさんの話では、日本全国はおろか、近隣諸国からも来る人がいるそうだ。だから洗濯機の硬貨を入れるところにハングル文字が書いてあったんだな。そんな宿の朝食は7時半、遍路だから、と7時にしていただいた。ありがたい。明日も長い距離を歩く、早めに寝なければ。

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2006年3月26日(日)
「変なプライドを持たない、知ったかぶりをしない、見栄を張らない、虚栄心を捨てる」。できたらいいな、と思うこと。そのためにはどうしたら良いか。自己を包み隠さずさらけ出すのが第一歩。苦しい時は苦しいと言う、知らないことは知らないと言う、できないことはできないと言う、当たり前のこと、それを実行するだけ。平行して、人の話をちゃんと聞く、ということも必要。聞く耳を持たなかったら、いくら自分という人間をさらけ出しても「できたらいいな」が半分しか叶わない。今日は、そんなことを考えながら歩いてみた。ちなみに、昨日思い出せなかった思いついたこと、1つ思い出した。「海岸沿いを歩いていると、よく見かける神社、海の男(あるいは女)を見守っているんだろうなぁ」。
<足取り>6時起床、7時少し前に朝食、8時少し前に出発。1時間ちょっと歩いたところに、へんろ小屋があり、休憩させてもらう。先客のお遍路さん、昨日、以布利港でテントを張っているのを見かけた人だった。珍しく人に写真を撮ってもらって出発、途中で東京のKさんに会った。1時間ちょっとで、38番「金剛福寺」到着、長い道のりだった。ここで、福島のOさんに会った。納経所の人に、紙パックのお茶のお接待を受けた。歩き遍路には配っているようだ。あと、自分がいつもお経をあげる時に使っていた鈴、訊いたら用途が違うようだ。恥ずかしい。寺を後にし、しばし観光客になってみた。足摺岬の展望台に行ったり、灯台まで行ったり、アイスクリン(シャーベットをコーンに乗っけたもの、遍路だからか、すっごい山盛りにしてくれた)を買い食いしたり。その後、下ノ加江まで打戻り、途中で大阪のTさんに会った。行きに寄った「へんろ小屋」の手前でOさんと再会、一緒に「へんろ小屋」で休憩して、途中の食事処まで一緒に歩いた。Oさんは既に昼食を済ませていたので、そのまま歩き、自分はここで昼食。空腹を満たし出発、以布利の郵便局近くのバス停で休憩、その先で、またOさんと会う。マイペースで歩く、というOさんをあとにスタスタ歩き、約1時間後に道端で休憩、Oさんに抜かれる。出発、ほどなくOさんを発見するが、Oさんが泊まると言っていた宿を過ぎている、早足で追いかけ、教える。この加速もあってか、17時少し過ぎに、自分の泊まる宿に到着。風呂に入って夕食、三重のHさん、栃木のUさん、大阪のTさん、東京のKさんも同じ宿だった。宿の人に、疲れにくい靴紐の結び方や、この先の道の情報、寺の宿坊の話など、色々聞いた。それを参考に、明日は行動するとしよう。

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2006年3月27日(月)
「無理のないように諦めない」。何でもすぐに「もうできない」とか「もう無理」とか思ってしまう。限界を見るのを恐れているのだろうか。本気で取り組んで、できなかった時に悔しいからだろうか。人間関係にも、それは現れていて、少し話しただけで、「この人とは気が合わなそう」と思うと、なるべく関わらないでおこうとする。コミュニケーションを最初から諦めている。少し話しただけでは、その人の一面どころか、ほんの触りの部分しか見えてないのに、それだけで、その人全てをわかった気でいる。逆もしかり。好印象の時は、その人全てが良く見える。…話がそれたが、そんなわけで、最初はうまく話せなくても、そこで諦めず、意思の疎通を図ってみよう。そのためには、共通の話題を見付けると、そこから話が広がるだろう。その共通の話題を見付けるためには、やっぱりたくさん話さなければならない。なんにしても、コミュニケーションを諦めたら、成り立たない。そんなことを考えながら歩いた。
<足取り>5時に目覚ましをセットしたが、5時半まで起きられず。6時朝食、7時過ぎ出発。宿の人に教わったように、県道21号線を西へ、西へ。昨日から区切り打ち再開の、広島のTさんに会う。今日一日、抜いたり抜かれたり。途中のへんろ小屋で、Tさんからみかんをいただいた。Tさんが少し先に出発、自分はのんびり出発。三原村の真ん中辺りで、お接待休憩中の、大阪のTさんと広島のTさんに呼び止められた。Mさんという人が、自宅(別荘)の敷地内に展望台を作っていて、通りかかるお遍路さんに、そこでお接待をしていた。缶ビールが出てきた。断るのは失礼に当たるので、いただいた。その後も、クモの巣に引っかかるように、東京のKさん、福島のOさんとやって来て、「まぁまぁ」ということになった。そこで、オーナーのMさん情報、今日オープンの遍路宿がある、ということで、大阪のTさんと東京のKさんは、これもご縁、ということで、そこに泊まることにした。自分は、すでに宿を予約していたので、諦めた。お礼を言って、Mさんと別れ、地元の人に道を訊きながら、村役場近くの店で昼食。宿毛市に入っても、挨拶がてら道を尋ねたり、いっぱい助けてもらいながら歩いた。感謝。国道56号線に出て、39番「延光寺」に向かう途中、トイレを借りに入ったコンビニでアイス買い食い。うまい。レジの人が、大学時代の知り合いに似ていたが、人違いだった。16時過ぎに延光寺到着、お接待休憩が約1時間だったわりには、早く着いた気がする。このお寺には、目に良いとされる「目洗い井戸」がある。しかし、水がほとんどなかった。納経を済ませ、すぐ近くの宿へ。福島のOさんも一緒の宿だ。あと1人、半野宿のお遍路さんで、3人の宿泊客。風呂に入り、夕食、ボリューム満点。部屋に戻り、足のマメの処置、今度は人差し指のツメの左側にできた。ツメを切り過ぎたか。明日もそんなに距離は長くない、しばらく様子見だ。そうそう、今日の昼頃、地震があったらしい。自分がいたところでも、震度3くらいはあったようだが、歩いていて全く気付かなかった。

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2006年3月28日(火)
今日は歩くだけで精一杯だった。峠越えあり、強風・雨あり。その代わりというわけでもないが、泊まった宿の雑記帳から、心に響いたものを抜粋する。
『つれづれなるままに!』より
・宮本輝著小説「草原の椅子」(下)「物がいっぱい詰まっている容器には もうどんなことをしてもそれ以上は入れへん。いっぺん中身を出さんなあかん。そしたらやっと新しい物が入れられる。人間もおんなじやで。自分をからっぽにする。自分だけの価値観とか長い年月のあいだに培われた習慣や視野や固定観念を根こそぎとは言えないまでも、いっぺん自分の中から出して自分を新しい容器にする。そのための旅ちゅうのもあってええんやないか?」
・坂村真民 詩「本気」 本気になると/世界が変わってくる/自分が変わってくる/変わってこなかったら まだ本気になっていない証拠だ/本気な恋/本気な仕事/ああ 人間一度こいつをつかまえないことには
・生は偶然、死は必然/残り少ない人生を精一杯生きるか!!
・四国・カン・カン・ラリー http://www.all-can-can-rally.net/(←このサイト、現在は見られない様子。おそらく これ だと思われる。)
・遍路が人生なら、人生も遍路のようなもの[可逆性?]
・「『幸せになれますように』でなくて、『自分のことを幸せにできる自分になれますように』とお願いするんよ」
・「新しい自分を探しての遍路にでたのだが、自分が変わるのかどうか。変わるとしてどういう自分があるのか。これも楽しみなのだ。」
・「人生、前向きに生きていけば、すばらしいことがありますネ。」
・「良いことは長続きしない、が悪いことは続かない。」
・ああ人生に涙あり/「水戸黄門」より/山上路夫 作詞/木下忠司 作曲//人生楽ありゃ 苦もあるさ/涙のあとには 虹も出る/歩いてゆくんだ しっかりと/自分の道を ふみしめて//人生勇気が 必要だ/くじけりゃ誰かが 先に行く/あとから来たのに 追い越され/泣くのがいやなら さあ歩け//人生涙と 笑顔あり/そんなに悪くは ないもんだ/なんにもしないで 生きるより/何かを求めて 生きようよ
・「今まで悩んでいた事って小さなことだったかなぁと自分をみつめ直す機会がつくれたと思います。」
<足取り>5時45分起床、6時半朝食、7時半出発。国道56号線を西へ、宿毛市中心に入る。広島のTさんと会う。自転車で通りかかった人に、お接待いただく。20円と、ムラサキシキブという花。その先の薬局で、昨日使い切った絆創膏を買う。付いている値段より安くしていただいたので、納札を渡したら、50円いただいた。なんだか請求したようで、申し訳ない。店を出て、歩いている途中で、弁当を売っている店を人に訊き、その先の遍路道から少し外れたほっかほっか亭で昼食ゲット。遍路道に復帰するも、何やら造成中で、一部道がなくなっていた。住宅街を抜け、登山道へ。しばらくは山腹を横断、地蔵堂でお参り(お接待でいただいたお金は、ここで賽銭に)、休憩して、一気に峠へ。すばらしい景色を見ながら昼食。その前に、松尾大師にお参り。愛媛県に入り、いきなり道が良くなる。ふもとまで降り、神社の前で休憩、県道を歩いていると、雨が降り出した。目の前に東屋があったので、雨具着用、道に迷い、人に訊き、風に飛ばされそうになりながら、国道に出る。雨が一段と激しくなり、風も強くなる。途中、手洗いを借りに入った焼肉屋さんにいる時だけ、どうやら一時的に雨があがっていたようだが、外に出る頃には、また風雨。靴はぐしょぐしょ、横殴りの雨風で、菅笠ごと飛ばされそうになりながら、番外霊場「高野山佛眼院」納経。ここで、かっぱえびせん(小袋)と、どらやきのお接待を受けた。雨はあがったが、相変わらず風は強く、その後、また吹き飛ばされそうになりながら(実際、雨具を巻きつけた金剛杖が飛ばされた)、人に道を訊きながら、40番「観自在寺」到着。頭陀袋を探ると、住所などを書いた納札がなく、その場で書いた。納経を済ませ、外に出ようとすると、大阪のTさんと会った。かなり疲れているようだった。お寺近くの店で、「大師饅頭」なるもの購入、宿までは約2km、途中、「御荘湾ロープウェイ3月31日廃止」の看板を見る。宿は、旧道沿いの民宿、女将さんに古新聞をもらって靴につめる。風呂に入り、部屋で雑記帳を読み耽っていると、広島のTさん到着。もう1人予約があったようだが、連絡なしのキャンセルらしい。夕食は、女将さんとTさんと3人で、和気あいあいと。明日の宿の紹介・予約までしてもらった。食事は、噂どおりうまい。女将さんも良い人。何度でも来たくなる宿、というのも、うなづける。さて、明日も峠越えがあるというのに、もうすぐ日付が変わってしまう。早く寝なければ。

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2006年3月29日(水)
今日は、広島のTさんと、ほぼ1日中一緒だった。宿も同じ。昼頃からは、大阪のTさん、初顔合わせの千葉のNさんと、4人パーティの遍路だった。そんなわけで、今日は会話中心、物思いに耽る余裕がなかった。それにしても、自分以外の御三方、30歳以上年上とは思えないパワフルさ。見習わなければ。
<足取り>5時半起床、6時朝食、宿の女将さんに、今日の道中必要のない荷物を、次の宿まで運んでもらう。行くついでがあるから、ということだが、ありがたい限り。6時40分頃、広島のTさんと一緒に出発、少し歩いたところで、強い風雨に見舞われ、雨具着用。柏坂入り口まで約8km、休憩なしで歩いたが、荷が軽いためか、きつくなかった。雨があがったので、雨具を脱ぎ、ガソリンスタンドでトイレを借り、Tさんより少し早く出発、山道を登ること約2km、柳水大師でお参りをして休憩をしていたら、Tさんに追いつかれた。清水大師までは一緒、Tさんは一足先に出発、自分はのんびりお参り。その先の展望台で合流、だいぶ下ったところにある東屋で昼食。食べ終わる頃、大阪のTさんと千葉のNさんが合流。しばらくは4人で歩く。ビニールハウスの前を通った時、みかんのお接待を受けた。国道を横切り、JAでトイレを借り、ここでNさんとはお別れ。またどこかで。3人で、低い峠を1つ越え、道を訊きながら番外霊場「満願寺」へ。自分の実家と同じ宗派、臨済宗妙心寺派のお寺。お参りを済ませ、お寺の人から、お茶とお菓子のお接待を受ける。色々な話も聞けて、とても充実したひとときだった。その後、津島町の中心へ、大阪のTさんは宿が違うので、途中でお別れ、またどこかで。広島のTさんと2人で、17時半頃、宿に到着、女将さんが出迎えてくれた。荷物も届いていた。風呂に入り、夕食、今日も豪勢。洗濯をしてBBSに書き込みして…嗚呼、明日も寝不足で歩くことになりそうだ。これも修行のうち…?

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2006年3月30日(木)
「『えぇカッコしぃ』をやめよう」。知ったかぶりにも通ずるものがあるけど、なんでもスマートにやろうとするのはやめよう。変なプライドを捨てよう。もがいているところを、人に見られるのを恐れないこと。弱みをさらけ出せるのが、本当の勇気。時の流れに身をゆだねて、地元の人の善意にすがって、お接待を受ける機会が増えてきたのも、カドが取れてきた証拠かも知れない。
<足取り>5時45分起床、6時半頃朝食、7時半頃出発。宿の人に、伊予路の宿泊・食事情報満載の紙をもらい、玄関先まで見送っていただいた。昨日見た時は閉店していたパン屋でパンを買い、国道56号線を北上、途中旧道を通り、峠越え。半野宿のお遍路さんに会い、しばらく一緒に歩く。坂を下り切る前に別れ、再び国道56号線へ。道路沿いのローソン近くで雨が降り出し、トイレを借りるついでに雨宿り。雨具を着て、少し風雨が弱まったところで出発、しばらく歩くと、店に寄っていかない?と声を掛けられた。健康関連商品を扱っているお店で、コーヒーとお菓子をいただいた。30分くらい居ただろうか、外に出ると雨はあがっていた。教えられたように歩き、番外霊場「馬目木大師」到着、お参り。しばらく歩いて、12時頃に通りかかったうどん屋へ入り、昼食。その後、別格6番「龍光院」で納経、あとはひたすら県道57号線を歩く。休憩の時に、川と桜を見ながら食べたパンが美味かった。JR予讃線務田駅の横の道を折れ、41番「龍光寺」へ向かう途中、宿を先に出た広島のTさんと再会。龍光寺と42番「佛木寺」の納経のタイミングは、ほぼ同じ。龍光寺から県道31号線へ抜ける道が、お墓の中を通る遍路道で面白かった。佛木寺には、かやぶき屋根の鐘撞き堂がある。葺き替えの職人が80歳で、後継者もおらず、次に来た時にはなくなっているかも知れないから写真撮ったら、と境内を掃除していた人に言われたので、撮った。宿に着き、風呂、夕食。食後、宿の人が「野生の狸を見せてあげる」と窓を開けた。いた。宿のご主人が餌を置いてくると、たくさん集まってきた。カメラのフラッシュをたいても逃げない。珍しいものを見せてもらった。明日は区切り打ち前半の最終日、無理のないよう、故障のないよう、気をつけたい。

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2006年3月31日(金)
「正解を探そうとしない。媚びない。」人から何か訊かれた時、自分では一番ふさわしいと言うか無難な返事をしようとしているようだ(結果的に見当違いな回答をしていることが多いが)。これは本心ではない。素直に自分の考えを述べるべきだ。大体、人に対して失礼だ。それから、心にもないことを言う点においては、媚を売ることも同罪だ。人に気に入られようとして、あるいは自分を良く見せようとして、その場限りの発言をする。しっかりと自分の意見を持ち、それを貫こうとすれば、自ずとこれらの卑屈な行動には出なくなるはずだ。
<足取り>5時半起床、6時朝食、7時出発。今日も寒い。宿の主人に教えられた道を進む。標高差約300mの山道、途中の東屋で、兵庫のSさんと出会う。峠を越え、下りの途中で、宿を先に出た広島のTさんと再会。今日はこの2人と、つかず離れず。県道29号線に出て、道引大師をお参りし、更に北上。43番奥之院「白王権現」をお参りし、43番「明石寺」へ。門前店で飲んだ甘酒がうまかった。納経を済ませ、出発しようとすると、先日会った、徳島のKさんと千葉のNさんと再会。おそらくまたどこかで会うだろう。寺を出て、森の中の遍路道を歩く。12時になったので昼食、昨日の宿で作っていただいたおにぎりが美味い。その後、国道に出て、郵便局で路銀を下ろし、国道を歩いたり旧道を歩いたり。車がほとんど通らない旧道は、気が休まる。途中で、土手で昼食中のTさん発見。しばらく歩き、標高差約200mの峠越え、登りは短かったが、下りは標高差100m余計に下るので、長く感じた。番外霊場「札掛大師堂」をお参りし、国道56号線に復帰、17時近くなったので、宿に遅れる旨の電話。そこから競歩並みのフォーム・スピードで歩き、18時頃宿到着、偶然にも、Tさんが同時にタクシーで到着。宿に入って、宿帳を書いていると、Sさんが出てきた。3人同じ宿のようだ。風呂に入り夕食、洗濯・乾燥機を回している間に、あまりの眠気に30分程仮眠をとる。終わった頃に取りに行こうと思ったら、宿の若旦那がたたんだ洗濯物を持って来てくれた。ありがたい。明日一旦実家に帰るという気の緩み、今までの疲れ、そんなものが一気に出たのだろう、荷物を散らかしたまま爆睡。そんなわけで、ここで一区切り。再開は3日後。

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2006年4月4日(火)
たった3日間とはいえ、俗世間に戻ったことが災いしたのか、今日は、いつものように考え込むことが何もなかった。体がなまったこともあるだろう、雨が途中から降り出したこともあるだろう、心身ともに疲れた。明日は何度も峠越えをする辛い道程、何か1つでも、突き詰めて考えることができるだろうか。
<足取り>5時過ぎ起床、写経1枚、6時頃朝食、7時頃出発。国道56号線を歩き、今日最初の霊場「十夜ヶ橋 永徳寺」へ。橋の上では金剛杖をつかないというならわしのもととなった場所。橋の下に、鯉がものすごくたくさんいた。餌をばら撒いてみた。鳩も寄ってきた。再び国道を歩く。旧道へ入った時に、郵便局で荷物を少し実家へ送る。500円で、A4ファイルサイズくらいの封筒に、色々詰めて送れるんやね…郵パックよりも、定形外普通郵便よりも安かった。その先、旧道の出口近く、無人のお接待所にお茶が置いてあったので、ありがたくいただいて、納札を置いてきた。一旦国道に戻り、内子町に入ってから、山道を通り、内子町の中心へ。古い町並みが保存されている。国道379号線に出てすぐの道の駅「内子フレッシュパークからり」に、托鉢をしているお遍路さんがいた。気持ち分お布施をした。ここから先は、ひたすら国道を歩く。途中、わざわざ車を停めて、タオルのお接待をして下さった方がいた。突然のことで、お礼の言葉しか言えず、「お気を付けて」の一言も言えず、納札も渡せず。修行が足りん。少し進むと、雨が降り出した。ちょうど屋根付きのバス停があったので、雨具着用。しばらく歩くと、2人の歩き遍路さんに追いつく。挨拶を交わしたくらいで、どこの誰だかわからない。千人宿大師堂で手を合わせ、少し先の番外霊場「楽水大師」でお経をあげる。突合の分岐点を過ぎ、薬師堂で最後の休憩。今日泊まる宿に、大体の到着時間を連絡。落合トンネルを過ぎたところで、本来の遍路道から外れ、宿に向かうのだが、曲がろうとした時に、宿の人が車から声を掛けてくれた。この分岐点から宿までの1kmちょっと、送迎してくれるという。ありがたい。ご好意に甘え、車で宿へ。風呂に入り夕食、前日に、NHKの撮影クルーが泊まっていたそうで、出演者なのだろう、テツ&トモのサイン色紙を見せてくれた。部屋に戻り、BBS書き込み、写経。夜が更けても、まだ雨がやまない。明日の峠越え、大丈夫だろうか。

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2006年4月5日(水)
四国を回り始めて、おおよそ半分まで来た。そろそろ「何か」見えてきてもよい頃かなぁ、と思いつつ、まだ「これだ」というものがないのが現状。でも、何かが変わってきている気がする。焦ると余計に見えてこないと思うので、無理には結論を出さない。たとえ、回り終えた時に、今と同じように自覚がなくても、間違いなく成長しているだろう。近過ぎて、そして常に変化を見ているから、気付かないだけなのだ(きっと)。
<足取り>6時前起床、6時半前朝食、宿の人に車で遍路道まで送ってもらい、7時半頃から歩き出す。出だしが雨だと気が滅入るが、前に進まないと、目的地には着かない。最初の峠は「下坂場峠」、森が雨を遮ってくれる。もやがかかった杉林は、なんとも神秘的で、シシガミ様(byもののけ姫)でも出てきそうだ。峠を下りていると、神奈川のTさん夫妻に出会った。今日はこの方々とつかず離れず。大師堂で休憩、鴇田峠を目指す。この峠は、弘法大師が越える時に、大洲からずっと雨で、この峠でようやく晴れ、「日和りだ」と言ったのが訛って「ひわだ」になったそうである。自分が越える時も、まさにそのような感じで、少しだが晴れ間がのぞいた。頂でTさんたちと再会、チョコをいただく。標高差300mほどを下る途中、道が川になっているところがあったので、水路を作って水を逃がしてやった。金剛杖の先がボロボロになった。そして、久万高原町内へ。コンビニで昼用のおにぎりを買う。すぐ近くの番外霊場「於久万大師」を参り、44番「大宝寺」へ。団体さんと一緒になった。手水の所で、Tさんたちと会った。もう参拝は済ませたそうだ。自分もお参りし、納経を済ませ、ベンチで昼食。納経所で45番への道を訊き、出発しようとしたら、いつぞやの宿で一緒だった人と会った。まさかここで会うとは思わなかった(何しろ自分に3日のブランクがあるので)。寺を出発してすぐに峠越え、上りも下りも急で、きつい。その先、河合地区に入り、休憩所で靴紐を掛け直していると、地元の人(らしき人)に声を掛けられた。少し話をして、飴をいただいた。ありがたや。ここで雨具を脱ぎ、しばらくは県道と並走する遍路道を歩き、途中から山道へ。橋のない川を渡る道(飛び石が1つ置いてある)、水が溢れていた。ここで事件は起きた。つまっていた木をどけて、さらに石を動かしていると、金剛杖が折れた。縦の力には強いが、横の力には弱かった。とりあえずタオルでしばってみた。この先の峠は、自分の足だけが頼り。「八丁坂」をなんとか上り切り、そこからの約2kmが長かった。約1kmは尾根伝い、その先の下りが異常に長く感じた。結局45番「岩屋寺」に着いたのが17時10分前、お参りしてからでは間に合わないので、先に納経した。最後の峠を下っている時に追い抜いた人も間に合ったようだ。良かった。このお寺は、名前の通り、岩に囲まれたお寺だ。絶壁が見事である。お参りを済ませ、お寺を出たのが17時半近く、宿に電話し、18時過ぎになる旨連絡。遍路道がよくわからなかったので、県道を歩いていたら、岩屋寺の人たちに会った。お寺まで渡してあるワイヤーについている荷篭で、荷物を上げていた。5分くらいかかるそうだ。宿には18時頃到着、夕食中に、隣の席の人(区切り歩き遍路をしているらしい)に宿情報を訊く。部屋に戻ろうとすると、Tさんたちに声を掛けられた。同じ宿だった。風呂に入り、洗濯、待っている間にBBS書き込み、日記。部屋で写経して、今日も1日終わり。明日は晴れるといいな。

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2006年4月6日(木)
自分のことしか見えなくなっていないか。昨日の<足取り>に、岩屋寺の手前で人を追い抜いたことを書いた。この人は、道端で腰を下ろして休憩していた。あとどれくらいか訊かれたので、大体の距離を答えて、先を急いだ。この人は、だいぶ年配のように見え、また疲れているようだった。立ち止まって、少しくらい話をして、返事はどうであれ「荷物をお持ちしましょうか?」くらい言うことができたのではないか。納経の時間に間に合わなくなる、という利己的な思いに囚われ、ゆとりも余裕もなくなり、立ち止まることができなかった。結果的には、この人も納経の時間には間に合った。急いだつもりでも、時間はほとんど変わらなかった。相手を思いやる気持ち、捨てないようにしたいものである。
<足取り>6時起床、6時半食事、7時半出発。遍路道を歩き、1kmほどのところからは打戻りコース(岩屋寺を打つ時に通っている道)。河合地区から、次の札所へ向かう遍路道があるのだが、昼食を買う店の関係で、一旦久万高原町内へ入る道を選んだ。コンビニでおにぎりを買い、国道33号線をひたすら北へ。峠の頂の手前で、まだ11時にもなっていないのに、空腹のため昼食。頂からは遍路道、ひたすら下る。弘法大師が、網を掛けて石を動かした時に、その跡がついたという番外霊場「網掛石」参拝、その後、46番「浄瑠璃寺」へ。団体と一緒になった。何気なしに引率の人の話を聞いていると、大師堂の「ひも」は、大師像とつながっていて、握ることで、大師と握手をすることになる、とのこと。人が引けた後、せっかくなので握ってみた。その瞬間、何故だかわからないが、目頭が熱くなった。不意のことで驚いた。納経を済ませ、まだ宿へ入るには早い時間だったので、すぐ近くの、47番「八坂寺」も打った。行く途中、無人のお接待所で、八朔をいただいた。八坂寺の本堂の地下には、ものすごい数の阿弥陀仏像が置かれている。地震がきたら、大変なことになりそうだ。納経を済ませ、更に欲が出て、別格9番の「文殊院」も打つ。ここでも団体と一緒になった。納経所で、お寺の人の話を聞いている団体さんを横目に納経をしてもらって、出発。予約している宿は、浄瑠璃寺の目の前なので、2km程戻る。17時過ぎには着いた。風呂、夕食、昨日の宿でも顔を見た人が何人かいた。売店で手拭を買うついでに、明日の宿情報を訊いてみた。お寺の数が多く、距離も微妙なので、明日の午前中の様子を見て、泊まるところを決めることにしよう。部屋では写経、6枚書いて力尽きた。お寺の数と、計算が合わないが、足りないところは勘弁してもらおう。

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2006年4月7日(金)
「対価・施しを求めない」。○○をしたんだから、△△してもらって当然、とか思うな。ギブアンドテイクの考え方が根底にあると、常に他人に何かを求めてしまう。その通りになることなんてまずないから、不満だけが残る。見返りを期待せず、与える気持ちが必要。あと、今は遍路という立場だから、余計に感じるのかも知れないが、自分は何もしていないのに、他人に何かを求めてしまう、そんな態度は良くない。遍路姿をしているから、お接待してもらえるとか、あるいは、日常生活においても、体調が良くないから助けてもらえるだとか、困っているから手を差し伸べてもらえるとか、甘え以外何者でもない。□□して欲しいと思ったら、その意思を伝えろ(お接待は別の話)。具体的な形で。そして、してもらったら、感謝の気持ちを表せば良い。その気持ちを、当人だけでなく、周りに対しても何らかの形で振りまくことができたら、冒頭のような卑しい考えはなくなるだろう。
<足取り>6時に朝食を出していただけると、早くから歩き出せるので、1日を有効に使える。7時前に出発し、最初は番外霊場「札始大師堂」へ。弘法大師ゆかりの人物、衛門三郎が四国を回り始めた所。近くのコンビニでおにぎりを買い、続いて48番「西林寺」近くの大師堂お参り。更に、48番奥之院である「杖ノ渕」へ。一帯が公園になっていて、正確な場所がわからず、駐車場にいる人たちに道を訊いたら、ちょっと立ち話になり、お接待の200円をいただいた。何か飲み物でも、と言われたが、杖ノ渕の賽銭にさせてもらった。そして札所、西林寺へ。納経して出発、小野川に架かる遍路橋近くで休憩、49番「浄土寺」へ。しだれざくらがきれい。散歩に来ていた人と、少し話をした。納経所で、仏前勤行の中の開経偈をどこに入れたらよいか訊いてみたが、教本に沿えばよい、とのこと。今までの順であげてみるか。浄土寺の近くに「松山いよてつ健康ランド」というスーパー銭湯のようなところがあったが、以前お接待でいただいたタオルが、ここのものだったような気がする。50番「繁多寺」入口近くで、揚げ菓子のお接待をいただいた。境内には、絵を描いている人がいて、少し話をした。旦那さんが、2月終わりから歩きで回っていて、その人は、旦那さんが行ったお寺の中で行けるところへ行き、描きたい時に絵を描いているという。これも1つの回り方。境内で早めの昼食をとり、山門を出ると、愛媛大学の学生に呼び止められた。遍路アンケートをしているというので、協力させてもらった。お寺を後にし、道を訊きながら51番「石手寺」到着。山門前が、浅草の雷門のような露店街になっている。境内には、立派な三重塔があった。昨日の夕食時、同席したご夫婦がいたので、少し話をした。今日はこの近くに宿泊、明日、53番まで打ち、その先の距離が長いところは、列車で移動、とのこと。これも1つの回り方。納経を済ませ、門前の遍路用品店で納札購入、これで最後までもつだろう。近くの番外霊場「義安寺」「宝厳寺」と続けて参拝、道後温泉本館前を通った後、道に迷った。ホテルで道を訊いて、遍路道へ復帰、段々足の痛みが酷くなってきたので、川のほとりで休憩。郵便局で路銀を下ろし、荷物を実家へ送り、番外霊場「蓮華寺」へ。多分お参りの人だろう、山門に置いてあった「ご自由にお取り下さい」となっている伊予柑を渡してくれたので、ありがたくいただいた。その後、神社の境内で泣きの休憩を入れ、52番「太山寺」へ。門からが長い長い。一ノ門から山門までは200〜300m、山門から本堂までは400m近くあるだろう。お参りしてからでは17時過ぎてしまいそうだったので、ズルいが先に納経を済ませた。本堂に上がる最後の階段がきつかった。参拝を済ませ、宿に到着時間を電話で伝え、重い足を引きずり53番「円明寺」近くの宿へ。宿のちょっと手前で、道行く人に話し掛けられ、少し一緒に歩いた。2回四国を回ったという。18時頃、宿に到着、夕食、風呂、洗濯、BBS書き込み、他の事は一切せず、22時前には眠った。足の痛みが少しでもひいてくれると良いのだが。

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2006年4月8日(土)
「同時に処理しようとしない」。並行して複数のことをやろうとすると、パニックになる。どんな些細なことであっても、2つ以上のことを同時進行しようとすると、全部コケる。だから、1つずつ片付けていこう。時間がかかってもいい、不確実に短時間でやっつけるよりは、丁寧に取り組んだ方が、気持ちも入れられる。そして、確実に1つ1つこなすために、メモをとるなり、記憶を定着させるなりして、忘れない努力をしよう。格好悪くても、自分にできることをやるしかない。
<足取り>昨日ほど酷くはないが、多少足の痛みが残っている。予定通り距離を短めに設定、朝食をとり、ゆっくりと8時頃出発。宿の目の前の53番「円明寺」へ。団体参拝の人たちが、次々やってくる。お参りを済ませ、納経してから、境内の「あま茶」お接待をいただく。そういえば、今日は釈迦の誕生日だ。通っていた、お寺管理の保育園の行事を思い出す。トイレに行って、外に出ると、ご夫婦で回っている人に声を掛けられた。5回目だという。お寺を後にし、道を訊きながら国道196号線へ。海沿いの道は、歩いてて気持ちがいい。海を見ながら、しばし休憩、コンビニでトイレを借りて、おにぎりとバナナを買う。少し先の大師堂で早めの昼食、その後、道を訊きながら、番外霊場「養護院」へ。ここでもあま茶のお接待をいただき、納経してもらおうと中に入ったら、ちょうど昼食会かなにかで人が集まっていて、ぼたもちやらスパゲティやらサンドウィッチやらいただいた。ありがたいことだ。そこから2km弱、番外霊場「鎌大師」へ。参拝を済ませると、「お接待です」と、缶コーヒーとおつまみをいただいた。ありがたい。納経していただき、トイレを借りて出発、今治市に入るまでに、2人の逆打ちお遍路さんと会った。1人の方とは、立ち止まって少し話をした。東京の人で、4回目だという。道中の無事を祈り、お別れ。少し歩いて、小さな集落の道端で休んでいると、軽トラックに乗った人が「匂いをかいでみ」と言って、15cmくらいの折れた枝をくれた。シナモンだろうか、良い香りがする。その後、何度か休憩を入れ、番外霊場「遍照院」到着。納経をお願いすると、飴をくれた。ありがたい。ここから宿はすぐ近く、余裕をもった行程のため、16時半頃には着いた。風呂に入り夕食、もう1人のお客さんもお遍路さん、女将さんと3人で、色々話をした。部屋に戻り、洗濯、BBS書き込み、今日も22時前に就寝。

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2006年4月9日(日)
「感謝の気持ちを持つこと、それが四国を回って得られたら意味のある遍路」、そんな意味合いのことを聞いた。確かに、歩いていて、いつもあるのは「ありがとう」の気持ち。感謝せずにはいられないことが、次々と起こる。でも、その感謝の気持ちは、心からのものだろうか。どこかに「してもらって当然」という気持ちはないだろうか。もし少しでもそんな気持ちがあれば、心のこもった「ありがとう」を言うのは無理である。この遍路で、心から感謝の気持ちを表せるようになればいいなぁ、と思う。
<足取り>朝食を6時前に出していただいたので、宿を7時前に出ることができた。最初は、番外霊場「青木地蔵」、道が変わっていて、わかりにくかった。お参りして、国道や遍路道を通り、54番「延命寺」へ。納経を済ませ、休憩していると、どこかで見たことある顔の人がいた。声を掛けると、鯖大師で会った人だった。もう1人一緒に歩いている人がいて、どうやら今日は3人とも同じ宿のようだ。お寺を出て、遍路道を歩き、墓地の入口で昼食。次は番外霊場「別宮大山祇神社」。元札所。神社で御朱印をいただくのは初めて。次いで、すぐ隣りの55番「南光坊」へ。「坊」でお寺の名前が終わるのは、ここだけ。本尊もここだけ(だと思う)「大通智勝如来」。広い境内、立派な建物。納経を済ませ、教えてもらった道をまっすぐ進み、56番「泰山寺」へ。托鉢をしている人が2人いたので、心ばかりのお布施をさせていただいた。納経所で奥之院「龍泉寺」への道を訊き、行ってみる。すぐ近くに「ANABA」なる喫茶店があり、中の人に「お参りしたらお接待しますので」と言われた。参拝後、遠慮なくお邪魔し、コーヒー、パン、お菓子をいただいた。納経も、この方にしていただき、小さなタオルまでいただいた。ありがたい。奥之院を後にし、57番「栄福寺」へ。納経して一服したら、時間は16時半、58番「仙遊寺」の納経は間に合わないが、宿坊の予約をしてあるので、行かねばならない。痛む足を引きずり、標高差200mくらいの道を登る。最後の石段がきつかったが、無事到着。宿坊に入り、風呂、夕食、以前一緒の宿になった神奈川のTさん夫妻も一緒だった。食事のテーブルは、前日の宿が一緒だった北海道のTさん、延命寺で会った兵庫のWさんと新潟のKさんと同じ、色々と話をした。部屋に戻り、いつものように明日の計画、宿予約、BBS書き込み、日記を書いたり、温泉のことを書いたり。メモ帳として使っているA6ノートが恐ろしい勢いで埋まっていく。明日は雨らしい、マメを作らないよう、気を付けよう。

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2006年4月10日(月)
「喜び」のある人生にしよう、住職の話を聞いて、思ったこと。喜びを得るためには、それ相応の努力が必要。努力が報われた時に、喜びを感じる。目標の高低、その達成度で、喜びの大きさが違ってくるだろう。逆に言うと、努力をしなければ、喜びはない。ただ坦々と時が流れていくだけだ。それではつまらない。せっかく生きているのだから。
<足取り>お寺の宿坊に泊まると何が良いって、朝のお勤めに参加できること。6時から始まり、お経をあげたり、住職の話を聞いたり、約1時間。それから朝食・準備なので、出発は8時過ぎていた。雨の中、まず、泊まったお寺である58番「仙遊寺」を打つ。「御本尊さまとご利益」という本を衝動買い。山を下りる途中、まっすぐ59番「国分寺」へは向かわず、違う道を通って、番外霊場「竹林寺」へ。道に迷って、人に訊きながら到着、納経の時に「文殊尊御供米」というものをいただいた。しまった、どうすればいいのか、訊かなかった。その後、国分寺へ行く途中も、人に道を訊きまくって歩いた。お寺でお参りし、納経所へ行くと、いつぞや大宝寺で再会した人とまた会った。今日は同じ宿らしい。納経を済ませ、さて本堂の前で証拠写真を、と思ったら、韓国人だか中国人だかの団体さんがお参りしていた。最後に柏手を打っていたが…何だろう。お寺を後にし、しばらくは県道・国道を歩く。途中、道の駅「今治湯ノ浦温泉」で休憩、昼食。外国人と日本人の2人連れお遍路さんに出会う。同じ宿に泊まるらしい。腹がふくれたら、次は、番外霊場「世田薬師」。お参りしていると、お寺に来る親子連れ2人がいた。納経の時に少し話をすると、以前このお寺にお世話になった時のお礼をしに来たらしい。息子さんは、愛知にいたことがあるらしく、自分の実家の川辺町を知っていた。2人は、香川のまんのう町に住んでいて、お父さんからは、「善通寺の近くだからそこまで回ってきたら連絡ちょうだい、泊めてあげるから」と電話番号をいただいた。ありがたいことだ。これも何かのご縁、日程を合わせて行ってみよう。お寺を出発、遍路道を通りつつ、番外霊場「臼井御来迎」へ。休憩所に、半野宿の徳島のKさんがいた。今日も雨、明日も雨で、ここにしばらく居留まるらしい。お参りを済ませ、出発しようとしたら、さっき道の駅で会った2人が来た。また宿で。次に向かったのは、番外霊場「実報寺」。境内の桜の美しさに、小林一茶が歌を詠んだのだという。納経の時に、飴をいただいた。ありがたい。最後は、番外霊場「日切大師」。お参りを済ませ、時計を見ると、既に16時半頃。今日は早めに宿へ入ろうと思っていたのに、また遅くなってしまう。気が焦ると、距離が長く感じられる。ここからの6kmくらいが長かった長かった。結局18時頃宿に到着、部屋に通され、すぐに出された甘酒のうまかったこと。風呂に入り、夕食、途中で会った3人のお遍路さんの他に、もう1人お遍路さんがいた。ここで、重大情報が。通れないと思っていた、60番「横峰寺」への山道が、どうやら通れるらしい。ということは、大回りして車道から行く必要がないわけだ。明日打って、次のお寺へ行くことができる。良いことを聞いた。洗濯は、宿の女将さんがやってくれた。ありがたい。明日に備えて早く寝ようと思っていたのに、半紙納経の整理をしていたら、随分時間をくってしまった。うーむ、眠い。

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2006年4月11日(火)
「いい気になるなよ」。そろそろ遍路も終盤に近づき、心身ともに鍛えられてきたかな、なんて思って、調子に乗ってると、痛い目に遭うぞ。驕り高ぶったり、虚勢を張ったり、そんなことをしない努力をする、というのも、修行のうち。謙虚に生きよう。
<足取り>起きた時、外が静かだったので、もしや雨がやんでいるのか?と思ったが、降っていた。朝食をいただき、7時過ぎに出発、宿の女将さんに教えてもらったコンビニで、昼食用のおにぎり購入。すぐ近くの番外霊場「妙雲寺」を打つ。ここからじわじわと車道を登っていく。雨は途中でやみ、晴れ間が出てきた。車道が途切れたところにある東屋で休憩、そこに置いてあった雑記帳を読んでいたら、工事現場の人が、コーヒーをくれた。ありがたい。ここには、水が湧いていて、休んでいる間も、車が何台も汲みに来た。どうせ戻ってくるのだから、と飲まずに楽しみをとっておくことにした。ここから約2km、山道を歩く。途中2ヵ所、橋が流されて、飛び石のみになっていた。台風の爪跡、いまだ癒えず。約1時間かけて、60番「横峰寺」到着。山門が見えた時は、ちょっと感動した。それほど山道がきつかった。お参りをして、納経を済ませ、ここで昼食。うまい。納経所の人に訊いたところ、61番の奥之院へ下りる遍路道は危険だが、石鎚山ハイウェイオアシス方面へ下りる遍路道だったら通れる、とのこと、なんてこった、水が飲めないじゃないか。まぁいいや、次に来る時のお楽しみ。言われた道を下りている途中、蛇を見た。ハイウェイオアシスで休憩、ソフトクリームがうまい。その後、少し戻るかたちで、直接下りて来られなかった61番奥之院「白滝」へ。納経を済ませ、61番「香園寺」へ。近代的な本堂、でかい宿坊、今日はここで泊まり。時間が微妙だったので、先に納経してもらい、ゆっくりお参り。17時過ぎに宿坊に入り、風呂、夕食。前日同じ宿だったTさん(どこ出身だっけ、忘れてしまった)も一緒。19時から、お勤め、夜の参加は初めて。ひたすら繰り返す般若心経・真言、そして住職の話。部屋に戻り、今後の計画を立てる。14日の宿まで確保、あとは歩くのみ。

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2006年4月12日(水)
ゴミ拾いをしてみた。別に、褒められたいわけではなく(ここに書くということがその行為に当たるのかも知れないが)、道がきれいになって欲しいというわけでもなく(いや、もちろんきれいになればうれしいが)、自分の成長のため。1つ、恥ずかしいという気持ちの克服。ゴミ拾いという行為自体は、別に恥ずべきことではないが、いざ実行しようとなると、なんだか恥ずかしい。これを克服することで、他の「恥ずかしい」と思うことに対しても取り組めるように。1つ、「人の目」に鈍感になるため。自分がやっていることに対して、いちいち人がどう思っているか、ということが気になる。気にしたってしょうがないし、自分が思っているほど、人は自分のことを見ていない。頭でわかっていても、感情がそれを認めていない。その、見解の一致を図るため。…「ゴミ拾い」に限らず、お寺を参る時の読経が、この訓練に当たるような気がしてきた。いや、遍路であること自体がこれらの克服の訓練か?
<足取り>朝のお勤めは、ご自由にどうぞ、と言われていたが、準備をしていたら朝食の時間になり、行かずじまい。予備がなくなったので、ローソクと線香を、そして風で飛ばされないよう、輪袈裟留めも購入。最初に向かったのは、番外霊場「清楽寺」。納経していただき、続いて62番「宝寿寺」を打つ。小ぢんまりとした境内、どうしても昨日打った香園寺と比べてしまう。納経を済ませ、少し寄り道をして、番外霊場「芝之井」へ。水がこんこんと湧き出ている。お参りをして、63番「吉祥寺」へ。目を閉じて金剛杖を通すことができれば願いが叶うという穴が開いている石がある。納経して、また歩く。64番「前神寺」との中間くらいの簡易郵便局で路銀を下ろそうとしたら、できなかったので、前神寺近くの郵便局で下ろした。ついでに荷物も実家へ送った。前神寺を打ち、ここで昼食、あとは歩くだけ。加茂川に架かる伊曽の橋の欄干に鉄琴がつけてあり、順番に鳴らすと「ふるさと」と「さくらさくら」を演奏できるようになっていた。橋を渡ったところで、川と川沿いの桜を見ながら休憩していると、通りがかりの人からブッセをいただいた。1週間くらいあとに、車で日帰り参りをするそうである。お気をつけて。さらに遍路道を歩いていると、「お遍路さん!」と声を掛けられた。家から出てきた人に、500円いただいた。その先の地蔵庵で、賽銭とさせていただいた。そこで休憩し、ひたすら歩く。コンビニで買ったアイスチョコモナカがうまかった。今日は暑い。旧街道を歩いていると、アーケードの商店街に入った。自転車に乗った人に呼び止められ、小銭をジャラジャラと1,050円分もいただいた。明日の賽銭にさせてもらおう。その後、宿の場所がイマイチわからず、少し行き過ぎたが、無事17時半前には到着、近くの焼肉屋で夕食、久し振りにビールを飲んでしまった。コンビニでまたアイス買い食い、宿に戻って、風呂、洗濯。アルコールのせいで、超眠い…。

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2006年4月13日(木)
「考えるのは誰でもできる(やっている)、それを実行に移せる人は偉い人、実行できない人はただの人」四国巡礼120回の人と話をしていて、一番心に残った言葉。まったくその通りなのは、頭でわかっている。でも、そのようにできないのは、やはり弱さだろう。有言実行、あるいは不言実行を心掛け、有言不実行にはならないよう、気をつけるとしよう。ちなみに、この人と話をしたのがお昼頃、午前中は「遍路に来ているのも、実は単なる逃げなんじゃないか」なんてことを考えながら歩いていた。そして、そんな逃げの行動で、いつも振り回されている周りの人たちに迷惑をかけ続けている自分なんか、いないほうがいいんじゃないか、とも思っていた。調子が良い時は、少し気分が上向きになるけど、落ち込めば元通り、自分を変えようとしたところで変わらない、ということがわかった、ということが変わったところ、なんてことも考えていた。お四国病院と言えど、鬱(あるいは躁鬱)は治らないのか、とも思っていた。ようするに、また負のサイクルに入っていたわけだが、この人と話していたら、不思議と心が安らいだ。悟りを開いた人というのは、こういう人のことを言うのかも知れない。おかげで、夕食の時は、同宿の人たちと、楽しく話をすることができた。あんまり色々と、グダグダ考え込むのはよそう。と言っても、行き当たりばったりばかりでは困るが。
<足取り>朝食が7時だったので、ゆっくりと8時頃出発、今日は札所参拝が無く、番外霊場のみ。国道を歩き、坂之下大師堂を参る。低い峠を越え、関川を渡ったところで、熊谷地蔵尊を参る。ついでに休憩させてもらう。旧道をさらに歩き、国道に出る手前で、三度栗大師を参る。弘法大師が、この地を通り掛った時、子供に栗をもらったので、一帯の栗の木を、年に3度実をつけるようにしたということらしい。ここでも少し休憩させてもらい、別格12番「延命寺」へ。「いざり松 千枚通本坊」と言われている。病人が松のふもとにいて、それを弘法大師が千枚通し霊符で直したという。納経を済ませ、お寺の前にある休憩所へ。そこで、120回四国を回っている人と、14回の人に会った。どれくらいだろう、1時間はそこにいただろうか、面白い話をたくさん聞かせてもらった。昨日いただいた、お接待のお金の残りを、お接待した。結願したら電話をする約束をして出発、番外霊場「三福寺」へ。納経する時、缶コーヒーとポケットティシュをいただいた。コーヒーを本堂の前でありがたくいただき出発、遍路道をのんびり歩いていると、呼び止められること2回。飴やらお金のお接待をいただいた。皆さんの分もお参りしておきます。17時ちょっと前、宿到着の時間の目処が立ったので、宿に電話連絡しようと思ったら、まさにドンピシャのタイミングで、宿の女将さんから電話がかかってきた。到着が遅いから道に迷っているんじゃないか、と心配して掛けてきてくれたようだ。どうもすみません。そこから宿へ向かう途中、また声を掛けられ、泊まる宿を訊かれたので答えたら、丁寧に道を教えてくれた。ありがたい。ほぼ予定通りの時間に宿へ到着、道中拾ってきたゴミの処分を女将さんにお願いし、部屋へ。風呂に入り食事、自分の他に3人のお遍路さんが泊まるようだ。1人、千葉のNさんは、前に何度か会ったことがある人、あと2人は初めて顔を見る。宿の女将さんも一緒になって、色々話した。部屋に戻って、BBS書き込み、そういえば、最近写経をしていないな…。

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2006年4月14日(金)
感情の起伏が激しい1日だった。鬱ではなく、躁鬱なんじゃなかろうか。昼頃までは、落ち着いていた。仙龍寺で落ち込んだ。常福寺で少し持ち直した。朝、宿を出てからは、意気揚々とゴミを拾っていた。三角寺を打ち、峠を越え、仙龍寺につき、ゴミの処分をお願いしてから、おかしくなった。「そんなにしてまで、自分という人間を評価してもらいたいのか。偉いねぇ、と言ってもらいたいのか。いい加減、自己顕示欲を捨てられないのか。その欲望のせいで、迷惑する人もいるんだぞ。」そんなことが、頭の中をぐるぐる回っていた。泣きそうになりながらも、ゴミを拾う手は止まらなかった(半分ヤケ)。常福寺で、大師堂にお参りしている時、涙が出そうになった。お寺の人に、本当に気持ちの良い対応をしていただき、心が安らいだ。「人の態度」が、自分の感情に大きく影響していることを、身をもって実感した日だった(逆に言うと、自分の態度が周りの人の感情に大きく影響している、ということ)。それにしても、根本の心の闇は、何だろう。今回は、「ゴミ」が引き金だったが、それに触発されて、次々と負の感情が溢れ出てくるのには、正直参る。この闇と向き合い、克服できる日は来るのだろうか。
<足取り>6時半頃朝食、7時半頃出発。宿の女将さんが、靴の中に新聞紙をつめてくれていた。中敷が外れることに、今更気付いた。65番「三角寺」へ向かう途中、公園でトイレ休憩、その後、山道を歩き、三角寺到着。納経を済ませ、10時頃出発、別格13番「仙龍寺」へ。標高700m級の峠越えはキツイ。仙龍寺近くの道の一部が崩れていて、怖かった。このお寺では、滝行ができるとのこと、もちろんやらなかった。納経をいただき、ここまでの道中拾ってきたゴミの処分をお願いし出発、ダム湖のほとりの道を歩く。対岸の桜がキレイ。少し坂を上り、1km以上あるトンネルに入る。所々、照明がないのか切れているのかわからないが、真っ暗なところがあり、怖かった。トンネルを抜け、休憩所で一服、近くの建築会社の御好意のものらしい。ありがたや。そこから約3km、別格14番「常福寺(椿堂)」へ。大師堂を参る時、目頭が熱くなった。弘法大師にすがりつつある自分がいる。歩きということで、納経料はお接待、と言われ、ここまで拾ってきたゴミも快く引き取って下さり、更にせんべいと缶コーヒーまでいただいた。ありがたい限りである。ここで、右足の甲に痛みがあったので、シップを貼り、少し休憩してから出発、あとは宿へ行くだけ。県境を越えるトンネルは、空気が悪かった。徳島県に入ってすぐの店で、ここまで拾ってきたゴミを処分、明日の昼食用のパンなどを買う。その先、屋根のあるバス停に、野宿お遍路さんがいたので、少し話をした。納札を渡したら、「次に会った時には、この裏に般若心経を書いて渡すから」と言われた。雲辺寺に行くそうだから、どこかでは会うだろう。泊まる宿には、18時頃到着、風呂、夕食、洗濯。昨日の宿で一緒だった人、香園寺の宿坊で一緒だった人、他に初めて顔を合わす人が3人、自分も入れて合計8人。なかなか賑やかだ。明日は朝食が6時、早く寝たいのだが、乾燥機がなかなか終わらないのよね…。

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2006年4月15日(土)
自分は前世(あるとすれば)で、余程の悪徳ゴミ処理業者で、その罪滅ぼしをしているのか、あるいは、超ドMか、そんなことを考えながら、ゴミ拾いをしていた。何が自分をこうまでさせるのか。理屈ではない何かがある気がする。
<足取り>朝から雨。朝食の時、昨夜宿の玄関先で見付けた「カンカンラリー(道端に落ちている空缶を拾おう、という運動)」の袋の話をしたら、何枚かいただけることになった。食後、部屋で歯を磨いていると、宿の主人が入ってきて、空缶引き取り所一覧をいただけることになった。7時過ぎに出発、空缶以外のゴミも拾いつつ、66番「雲辺寺」を目指す。きつい坂を上ったところで、服を一枚脱ぐため立ち止まっていると、昨日バス停で会った野宿お遍路さんのHさんが上ってきた。約束通り、般若心経を裏に書いた納札をいただいた。すごい。この一言に尽きる。その後は、Hさんと抜きつ抜かれつ、雲辺寺へ。何人か、知った顔を見かける。納経の時、別格16番「萩原寺」への道を訊く。教えられたように山を下りる。途中で、宿でいただいたおにぎりで昼食。延々と下り続け、ロープウェイの山麓駅へ到着。店で道を訊き、教えられたように歩き、萩原寺到着。一杯になったゴミ袋の処分をお願いし、お参り、納経。茶屋で、お茶とお菓子のお接待をいただく。何も書いてない納経帳を見付けたので、購入。結構長い時間、茶屋でくつろがせていただいてから、出発。道を訊きながら歩く。原付のおばちゃんが、行きも帰りも、わざわざ止まって声を掛けてくれたのが嬉しかった。67番「大興寺」には、17時10分前くらいに到着、まず納経所でゴミの処分をお願いする。快く引き受けてくれた。お参りしてから納経が原則だが、「いいですよ、先に」と言われたので、先にしてもらった。落ち着いて参拝させてもらい、宿へ。風呂に入り夕食、知った顔がほとんど、雲辺寺で顔を合わせた人もいた。食後、残った人たちと、遍路の意味・意義について話した。部屋に戻って、BBS書き込み、明日の計画。距離は短いが、お参りするところが多い、加えて、明日もゴミ拾いをするつもり、どうなることやら。

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2006年4月16日(日)
心の闇やら、理屈ではない何かやら、最近理由をこねて鬱の原因を探そうとしているが、そもそも、本当に「鬱」というものは存在しているのか。「ある」と錯覚しているだけではないのか。般若心経の言葉を借りれば、「全ては空」であるから、そのものを「鬱」ととらえるか否かは、見る人の主観であり、客観的に見たら、何も「ない」のではないか。
<足取り>天気は良さそうだが、朝は寒い。6時半頃朝食、7時半少し前に出発。遍路マークを頼りに歩く。途中、野宿のお遍路さんらしき人に会った。挨拶をしただけで、すごい勢いで追い抜いていった。1時間くらい歩いて、朝市の一角に「お遍路さんの休憩所」があったので、休ませてもらった。提供していただいている地元の方々に感謝。のんびりしていたら、同じ宿だったMさんとRさんが来た。まんじゅうをいただいた。一足先に出発、今日も相変わらず缶拾い。68番「神恵院」69番「観音寺」に着く頃には、大体袋一杯になっていた。納経所の人に処分をお願いし、お参り。一つのお寺の境内に2つの札所、納経所は同じ、便利といえば便利だが、なんだかなぁ、という感じ。その後、番外霊場「琴弾八幡宮」へ。神社での参拝の作法を初めて知った。御朱印をいただき、近くの展望台へ。瀬戸内海と銭形が一望。昼食をとり、以前、世田薬師で会ったSさんに電話、明日泊まってもよい、とのことなので、ご好意に甘えることにした。展望台を後にし、途中道に迷いながら、70番「本山寺」到着、ここでも拾ってきたゴミを快く引き取ってくれた。納経を済ませ、ここでもMさんとRさんに会った。Mさんからせんべいをいただいた。お寺を出て、番外霊場「枯木地蔵堂」へ。道を訊いても、地元の人も知らないお堂、ひっそりとたたずんでいた。お参りし、続いて番外霊場「妙音寺」へ。納経所の人が「これからは曼荼羅だね」と言っていた。このお寺は、「何々霊場第何番」というのがたくさんあり、その中に曼荼羅霊場も入っている。お寺を出発、国道11号線を少し歩き、道端で休憩、近くに住む人だろう、缶コーヒーをいただいた。ありがたい。缶を拾いながら宿へ、国道のゴミ、あなどり難し。袋一杯の缶・ビン・ペットボトルを持って到着、宿の女将さんが引き受けてくれた。ありがたい。風呂、夕食を済ませ、洗濯。乾燥機の調子が悪いそうなので、部屋干し。持ってきたロープ、大活躍。あとは、いつも通り。

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2006年4月17日(月)
「動じない、物怖じしない心」そんなものが欲しい。
<足取り>今日は、ゆっくりと7時頃朝食、8時少し前出発。国道沿いは、相変わらずゴミが多い。遍路道に入り、大師堂をお参りして、少し歩いてから休憩、夫婦と思われるお遍路さんに抜かれる。71番「弥谷寺」登り口手前にも大師堂があり、参拝した。弥谷寺は、山の中腹にあり、山門から結構階段を上る。本道からの眺めがきれい。大師堂と納経所は建物の中、靴を脱いで入った。同じ宿だった、MさんとRさんに会い、お菓子(蜜リンゴだっけ?)をいただいた。ありがたい。階段を下りていくと、何度か同じ宿に泊まったWさんと会った。海岸寺に行ってきたという。山道を歩き、途中で休憩をしていたら、元気の良いお遍路さんに抜かれた。国道11号線に出て、ほっかほっか亭で弁当を買い、近くの休憩所で昼食。72番「曼荼羅寺」へ着くまでに、ゴミ袋は一杯になり、納経所の人に処分をお願いした。ここでもMさんとRさんに会った。お寺を出る時には、Wさんとも会った。73番「出釈迦寺」へは、1kmもないので、すぐ到着、お参りをしていたら、カメラマンらしき人に、後ろ姿を撮影してもよいか、と訊かれた。どんな風に写るんだろう。大師堂をお参りしている時に、また胸が熱くなった。奥之院にも行ってみたかったが、山の中にあり、行っていると夕方の約束に間にあわなそうなので、またの機会に。74番「甲山寺」もすぐ近く、途中、道が行き止まりだと思って引き返そうとしていたら、近くの人が「行けるよ」と教えてくれた。ありがたい。そのあとは、遍路印を頼りに甲山寺到着、ここでもカメラマンに会った。お参りして、納経し終わったら、Wさんとも会った。番外霊場「仙遊寺」まで、少し話をしながら一緒に歩き、仙遊寺への枝道手前で、Wさんは75番「善通寺」へ。自分は仙遊寺へお参り。呼び鈴があったので押してみたが、誰も出てくる気配なし。ベンチでこれを書いていると、通りすがりの自転車の人が「ご供養、ご供養」と言って、1000円くれた。びっくり。そんなオーラが出ていたのかしらん。ちょっとやそっとじゃ使えないなぁ、このお金。その後、善通寺方面へ、途中、郵便局で路銀を下ろす。善通寺は、本当に大きなお寺、本堂と大師堂が別境内、それぞれの境内が異常に広い、間に番外霊場がある、観光客がいっぱい、などなど。ここでも、仁王門をくぐる時に、胸が熱くなった。納経を済ませると、17時間近、昨日連絡をしたSさんに電話しなきゃなぁ、と思っていたら、通り掛った人に声を掛けられた。香川県歴史博物館の関係者らしいのだが、「いい顔をしていたから、声を掛けてみた」のだそうだ。仙遊寺でのお接待といい、何か雰囲気が変わったのだろうか。その人からは、善通寺名物の堅パンとタマゴボーロのようなものをいただいた。Sさんとは、駅で待ち合わせ、お寺を出たら、Mさんと徳島のKさんに会った。少し話をして、駅へと向かう。途中でSさんから電話があり、車で拾ってもらった。善通寺、琴平、まんのうの観光スポットを案内していただき、家へ。お風呂をいただき、夕食、久し振りのアットホームな食事。夜更けまで話をした。明日は、善通寺まで送っていただけるということで、ありがたい限りである。

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2006年4月18日(火)
来た道を戻ると、違ったものが見えてくる。見えなかったものが見えてくる。そしてまた同じ道を通ると、また違った視点で見ることができる。困難にぶつかった時、少し戻るのも、勇気。
<足取り>7時頃に朝食をいただき、8時頃には車で善通寺まで送っていただいた。大変お世話になりました。ありがとうございました。善通寺では、昨日入れなかった、大師堂の地下の戒壇めぐりをし、その後、番外霊場「観智院」を打つ。善通寺本堂の境内と、御影堂の境内の間にあるお寺、存在感が薄い。善通寺の山門あたりに、托鉢の人がいたので、心ばかりのお布施をした。本堂の境内から出てすぐのベンチでこれを書いていると、地元の人に話し掛けられた。敷石を運ぶが、方向が同じだから途中まで一緒に行こう、と。手押しの荷車だったが、途中で代わってもらって、自分が押した。その場所に着き、すぐ近くの善根宿も教えてもらって別れた。道を訊きながら、76番「金倉寺」到着、お参り・納経を済ませ、またWさんと会ったので、近くのベンチで休憩しようとしていたら、広島のTさんがやって来た。途中で足を壊して帰ったと聞いていたので、突然の登場にびっくり。お母さんと2人連れ、車で来たという。掲示板を見てくれてて、タイミングを見計らって来てくれたらしい。ありがたい。さらに、靴の中敷やら、ちりめんのマスコットやら、シップやら、ジュースやら、お金やら、色々お接待いただいた。ありがたい限りだ。その後、77番「道隆寺」へ向かう。ちょうど中間くらいだろうか、「善根宿・お接待所」の看板発見、寄ってみると、納札の裏に般若心経を書いてくれたHさんがいた。話をしていると、ここから別格18番「海岸寺」を打って戻って、ここに泊まったらどうか、ということになった。そういうのもいいか、と思って、ちょっと休憩してから出発。途中で昼食にうどんを食べた。道隆寺に着くと、またTさん親子に会った。仁王門の前に、托鉢の人がいたので、心ばかりのお布施をしたら話し掛けられ、随分長いことそこにいた。錦札をいただいた。お寺をお参りし、納経したら、赤飯のお接待をいただいた。ありがたい。海岸寺までの道を訊くと、地図を描いていただいた。ありがたい。ゴミも快く引き受けて下さった。ありがたい。なのに、納札を渡すのを忘れていて、一息入れてから気付き、慌てて渡しに行った。お寺を出発する時、山門にまだ托鉢の人がいたので、赤飯をあげた。約1時間、道を訊きながら歩き、海岸寺到着、本堂をお参りし、納経所で大師堂の場所を訊くと、外に出て道を少し歩き踏切を渡って塔の所、と言われた。行ってみると、奥之院だった。お参りし、納経してもらって、本堂に戻り、そこでも納経してもらった。ベンチで少し休憩し、17時に出発、途中、今日の夕食と明日の朝食用に、コンビニでおにぎりを買う。自転車の人に話し掛けられ、しばらく一緒に歩く。18時半前に、善根宿到着、Hさんの他に、東京のHさんもいて、3人で泊まり。ほとんど聞き役だったが、ずーっと話をして、21時半頃には就寝。何にもせずに眠るのは久し振り。

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2006年4月19日(水)
人に話し掛けるのが怖いから話し掛けない、というのを、もっともな理由を付けて正当化しようとしている自分がいる。例えば「仕事をしている人に道を訊くと邪魔になるからやめておこう」のように。別に、誰かに指摘されたわけじゃない、消極的な自分に、自分で嫌気がさしただけ。話し掛けた時の相手の態度が不機嫌だったら怖いだなんて、幼稚な理由。無理して話しかける必要もないけど、無理して話しかけるのをやめる必要もない。もっと気楽に話をしようよ、自分。
<足取り>昨日早く寝たおかげで、6時前に自然と目が覚める。広島のHさんが作った味噌汁をいただき、昨日買ったおにぎりで朝食。「掃除はまかせろ、早く出て行け」というHさんの言葉に甘え、出発。本当に色々ありがとうございました。宿を提供して下さっている方々も、ありがとうございます。昨日通った道をまた歩き、道隆寺へ、納経所へ行き、缶・ビン・ペットボトルゴミの引取りをお願いし、ベンチでこれを書いていると、Hさん2人と再会。しばらくしてから出発、大きい道沿いは、ゴミが酷い。途中で袋が一杯になったので、申し訳ないと思いつつ、自動販売機の脇のゴミ箱に入れさせてもらった。1時間くらい歩き、丸亀城近くへ。城壁がきれいだと聞いていたので、近くまで行ってみた。近くの公園で休憩、公園を掃除している人たちに、拾ってきたゴミの処分をお願いできないか訊いてみたら、「そこに置いといて、片付けるから」と言われた。ありがたい。そして、78番「郷照寺」を目指す。道中の地蔵堂で、広島のHさんと、山梨のMさんに会う。Mさんとは道隆寺で会っていたが、改めて名前確認。郷照寺に到着し、お参り、万躰観音洞、見応えあり過ぎ。郷照寺では、神奈川のWさんに会った。納経所でゴミを引き取っていただき、出発。79番「高照院」へ向かう途中、うどん屋発見、半分セルフで香川っぽい、美味い。アーケードの手前で休憩、地元の人と少し話す。アーケードを歩いていると、100円のお接待を受けた。賽銭とさせていただこう。街中を抜け高照院近くの番外霊場「八十場の水」を参拝、近くの茶屋で、ところてんを食べる。高照院到着、ここではゴミを引き取ってもらえず、そのまま出発。少し歩いて、自動販売機の脇のゴミ箱へ、申し訳ないと思いつつ、入れさせてもらう。時間的に、80番「国分寺」は打てないな、と思っていたので、ダラダラ歩きながら、こりずにゴミ拾い。綾川を渡る時、人に話し掛けられたが、疲れていて、まともな受け答えができなかった。国道11号線沿いで休憩、缶・ビン・ペットボトルのゴミ袋を2つかかえながら、今日の宿に到着、宿の人に引き取ってもらえた。良かった。明日は、今日打てなかった国分寺から、五色台の中のお寺2つ打つ予定。天気がちょっと心配なのだが…。

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2006年4月20日(木)
自分は騙され易いのだろうか。以前、仁王門の前で托鉢をしていた人にお布施をした話を、別のお遍路さんにしたら、その人は、「そいつはニセ坊主だ」と言った。自分自身も、別にその托鉢していた人の話を100%信じているわけじゃない。ニセ坊主だ、と否定している人の意見を、鵜呑みしているわけでもない。ただ、いろんな話を聞いて、いちいち動揺する、あるいは心が動く自分が、なんだか情けない。自分の考えをしっかり持っていれば、動じることもないだろう。このままでは、弱み(弱気)につけこまれて、怪しげな世界に引きずり込まれてしまうぞ。
<足取り>6時半頃朝食、7時半頃出発。宿の人が、ゴミ袋をくれた。丁度なくなったところだったので、ありがたい。80番「国分寺」までは、約15分、ものすごい風で、吹き飛ばされそうになる。この風が雨雲を飛ばしてくれたのだろうか、天気は大丈夫のようだ。国分寺の境内は広く、ミニ四国88ヶ所がある。大師堂は建物の中、納経所も同じ建物。ローソクが無くなりそうだったので購入。次は、81番「白峯寺」、五色台にあるお寺、途中「へんろころがし」と呼ばれる急な坂がある。何度も休憩を入れながら、白峯寺到着。風が強い。燈明がすぐに消えてしまう。納経を済ませ、また道を「十九丁」と呼ばれる場所まで打ち戻る。そこから82番「根香寺」へ向かう途中の食事処で昼食。持っていたゴミ袋を見て「置いてっていいよ」と言ってくれた。ありがたい。根香寺も、風が強かった。何度飛ばされそうになったことやら。納経所の人に、別格19番「香西寺」への道を訊き、下山。意外と遠く感じた。最後に道に迷ったせいもあるだろう。お参りを済ませたら、納経ギリギリの時間、滑り込みセーフ。ここでもゴミを処分していただいた。納経所の人に、83番「一宮寺」への道を訊き、出発。途中、何度か人に道を訊きながら歩いたが、どうやらかなり大回りしたらしい。19時お寺到着の予定が、30分遅れた。ちなみに、県道176号線を、ひたすら南下している時に、自転車で追いかけてきた人に、500円のお接待を受けた。一宮寺に着き、今日お世話になるIさんに連絡、ほどなく車で登場。夕食をご馳走になり、家へ、お邪魔します。お風呂を借りて、久し振りにパソコンからBBS書き込み。日付が変わる頃に就寝、明日もお世話になります。

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2006年4月21日(金)
いよいよ結願に向けてカウントダウン。晴れやかというか、清々しいというか、なんだかスッキリした気分の反面、もう終わっちゃうの?という気持ちもある。色々と、苦しいことや辛いこと、気に入らないことなどがあったが、不思議とそれらの負の感情は和らいでいる。代わりに良い思い出がどんどん湧き出てくるのかと言えば、そうでもない。ただ、波風のない心、そんな感じである。多少、精神力が強くなっただろうか。出発前の自分を知る人たちと話をしてみて、何か変わったか、訊いてみたい。
<足取り>6時前に起床、6時半頃出発、車で一宮寺まで送ってもらい、7時前には到着。今日も風が強い。そして、冷たい。お参りしている時も寒かった。納経を済ませ出発、目印を頼りに歩く。途中で工事をしていて通れなかったので迂回、一度道を外れると、途端に不安になる。人に訊きながら進むと、いつの間にやら遍路道復帰、神社の近くで、犬の散歩をしている人に声を掛けられた。その後、今度は目印を見失い、地図を頼りに歩く。方角は合っているから、多分大丈夫だろう。立ち止まって地図を見ていると、通りすがりの人から、タマゴボーロのお接待を受けた。ありがたい。寒さから逃れるため、少し喫茶店で休憩、コーヒーがうまい。店を出る時、店の人とお客さんたちと少し言葉を交わした。店の人が飴をくれた。ありがたい。しばらく歩くと、へんろマーク発見、遍路道に復帰。途中、国道沿いのコンビニで弁当を買い、屋島の近くの道端で昼食。急な坂を上り、84番「屋島寺」へ。途中の道がよく整備されており、歩いていて気持ちが良い。お寺を参拝し、納経した後、景色を見るため、境内の周りをぐるっと回ってみる。旧来の遍路道を下り、目印を頼りに歩く。番外霊場「洲崎寺」を参拝し、85番「八栗寺」へ。ここも急な上り坂だ。ケーブルカーと大体並走する道を登り切り、山門をくぐる。17時近かったので、先に納経を済ませ、ゆっくりお参りさせてもらう。本堂→大師堂→トイレ→裏門、と順序良く回れるようになっていて、わかりやすい。下りもなかなかの傾斜、途中の観音堂に、立木彫り込みの像があった。JR讃岐牟礼駅へ、約束の18時を5分ほど過ぎ到着、今日もIさんちにお世話になる。洗濯させてもらったが、乾くかどうか微妙。夕食は、久し振りに「半田屋」、安くて腹一杯になるのは良いことだ。明日の準備をして就寝、3日連続でお世話になります。感謝感謝。

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2006年4月22日(土)
少しうまくいったからって、それで満足しないように。ちょっと失敗したからって、それで全部ダメだと思わないように。物事のほんの一面だけを見て、全てを知ったような気になるのは、自分の良くないクセ。もう少し、突き詰めよう。何かうまくいっても、慢心せず、もっと自分を磨けないか、見直してみよう。何かうまくいかなくても、投げ出さず、解決策・打開策を見付ける努力をしよう。オンかオフか、のデジタル人間には、なるな。
<足取り>午前中は博物館見学、と決めていたので、ゆっくり起きようと思ったのに、自然と7時頃に目が覚めた。布団に入ったまま、1枚写経してみた。8時頃起き出し、9時頃Iさんの車で出発、香川県歴史博物館へ。今日から展示が始まる「創建1200年『空海誕生の地 善通寺』展」を見るため。以前、善通寺で話しかけられたCさんから聞いていて、都合がついたので、行ってみることにした。30分くらいのオープニングセレモニーのあと、展示会場へ、Cさん発見。展示を見ていたら、Cさんに「ちょっと休憩してお茶でも」と言われたので、館内の喫茶店へ。ゆず茶をごちそうしていただいた。ありがたい。会場へ戻り、残りの展示を見て出発、お昼はうどん、Iさんが「山田屋」へ連れて行ってくれた。ぶっかけうどん定食をごちそうになった。ありがたい。食後、昨日区切ったところまで送ってもらい、歩き再開。国道を外れて少しのところで、雨が降り出した。寒かったし、雨具が丁度良い防寒着になる。途中、サクサク後ろから歩いて来たお遍路さんに抜かれた。大きな荷物だったので、多分野宿の人だろう。ちょっとした町に入り、風邪薬を買いに入った薬局で、栄養ドリンクとポケットティシュのお接待を受けた。ありがたい。今日最初の礼拝所は、番外霊場「地蔵寺」、86番「志度寺」の奥之院である。お参りを済ませ、納経所へ、書いてくれる人が、朱印を押す場所を間違えたから、ということで、納経料をタダにしてくれた。他にも、お菓子とポケットティシュをいただいた。ありがたい。トイレを借りて出発、程なく志度寺へ。雨の中参拝、納経所の中が広くて暖かくて助かった。少し休憩させてもらい、またトイレを借りて出発、目指すは番外霊場「玉泉寺」。ここは、87番「長尾寺」の奥之院。途中の東屋で、逆打ちの人が休憩していたので、少し話をした。16時半過ぎに玉泉寺到着、お参りをして納経したら17時になった。長尾寺を打つのは明日、でも、行くだけは行かないと。長尾寺の少し手前に、Iさんの職場があり、その近くで、人に話し掛けられた。17時半頃、長尾寺到着、納経時間を過ぎ、雨が降っている境内は、人っ子一人おらず、寂しい。トイレを借りようと思ったが、鍵がかかっていた。最寄駅に向かい、近くの店で夕食、お好み焼き。無事トイレを借りられた。18時44分発の琴電長尾駅発の列車に乗り、居眠りをしながら、Iさんちの最寄駅へ。一度道を大きく間違えたが、無事アパート到着、電子レンジを分解したり、BBSに書き込みをしたり、これを書いたりして、飲み会に行っているIさんを待つ。Iさん帰宅、色々と調べ物をしていたが、自分は眠くなったので、先に寝させてもらった。3泊もお世話になり、本当にありがとうございます。感謝感謝です。明日はいよいよ結願、無事お寺に着けますように。

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2006年4月23日(日)
「結願」。願いを結ぶ、と書く。でも、自分は、途中から願事をしなくなった。代わりに、感謝の気持ちで参るようにした。ここまで歩いて来れました、ありがとう、と。そこに、これからも歩かせて下さい、という願いがこめられているのだろうか。それとも、「願」には、違う意味があるのだろうか。いずれにしても、ここまで歩かせてくれた皆様に、感謝、感謝。あと少し、歩きます。
<足取り>早く寝たわりには遅い起床、7時半頃だったかな、用意をして、8時頃出発。最後の最後まで、Iさんに頼りっぱなし、長尾寺まで車で送ってもらう。お寺近くのコンビニで食料調達、朝食、長尾寺到着。Iさん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。朝の境内も静か、落ち着いてお参りできる、と思っていたら、途中で団体さんが来た。納経してもらい、出発、へんろマークを頼りに歩く。途中のお地蔵さんなどに線香をあげたり、休憩所で休んだり。前山ダムの手前で、「車に乗っていきませんか」とお接待があったが、丁重にお断りした。ダムの近くの「おへんろ交流サロン」到着、途中拾って来たゴミを、快く引き取ってくれた。荷物を置かせてもらい、近くのレストランで昼食。サロンで「美味しい」という話を聞いていたので、贅沢だと思いながらも、トンカツ定食(多分黒豚)を食べる。サロンに戻り、展示を見せていただいた後、「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」なるものと、「同行二人バッヂ」をいただいた。サロンを出発、旧遍路道を歩く。車が全く通らない舗装道路、野生のサルを見た。缶ゴミの袋が2度一杯になり、2度、自動販売機のゴミ箱に入れさせてもらい、3度目の一杯は、88番「大窪寺」に持ち込んだ。今日は、16時過ぎにお寺に到着したので、ゆっくりお参りしてから納経できる。本堂を参り、大師堂前で目をつむると、不意に涙がこみ上げてきた。お世話になった方々の顔が浮かんできた。いつもより張り切ってお経をあげた。納経してもらい、お世話になった方々に連絡、祝福の言葉をいただけて、嬉しい。宿に入り、風呂、夕食に赤飯が出てきた。席が隣りになった人と、少し話をしたが、「音」を取材している新聞社の人だった。面白い話が聞けた。部屋に戻り、雑記帳「へんろ 残り香(ナイスなネーミングだと思う)」を読んで、自分も記入。洗濯をして、BBS書き込み、今日も眠い、早めに寝てしまおう。

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2006年4月24日(月)
遍路の意味。人の一生+αを表しているような気がする。最初の札所から回り始める。人生では、誕生。回っている最中、色々なことがある。人生では、生きているうちに起こるさまざまな出来事。最後の札所に到着、結願。人生では、臨終。そこから、最初に参ったお寺に「お礼参り」をする。人生+αの「+α」の部分、再生、すなわち転生。昨日、大窪寺へ向かう途中、道中の色々なことがフラッシュバックしたので、「死の間際に走馬灯のように今までのことが見える」というのと似たようなものか、と思った。お礼参りに関しては、してもしなくても、それは個人の自由だし、結願後すぐにでも、そうじゃなくてもいいので、転生のタイミングとも合致するところがあるように思う。いずれにしても、明日、1番の霊山寺に参り、次の日に高野山へ参るつもり、人生の中の新たな「人生」、そんな旅立ちになればよいと思う。
<足取り>6時頃朝食、7時過ぎに出発、門前の店を少し見て、下山開始。天気が良い。少し寒いくらいの気温が、歩いてて心地よい。1時間くらい歩いたところで休憩、お菓子をつまんでこれを書く。また1時間くらい歩いて、休憩所で一休み。そこからまた1時間後、腹が減ったので、昨日買ったパンで昼食。地図を確認すると、どうやらかなり早い時間に宿へ着きそうだったので、美馬に行ってみよう、と思い立つ。以前、美味しいそうめんがある、と聞いたので、そのお店目当て。店名しかわからなかったので、電話帳からは探せず、104に頼る。教えてもらった電話番号に電話、ビンゴ。行き方を教えてもらい、まずはJR学駅へ。池田方面行きの電車は、出たばかりだった。50分くらい待って、穴吹行きの電車に乗る。やはり疲れているのだろう、居眠りしていたら、あっという間に穴吹駅到着。電話で聞いたように、駅を出て左(西)へ、うーん、20分くらいと言われたのに、30分経っても着かない、そういえば、堤防道路と言っていたな、ここは国道だ、じゃあ堤防道路へ、なくなるまで歩けと言われたけど、一向になくならない、もしかして対岸…?電話中に書いたメモをよく見ると、「ふれあい橋」と書いてある。なんてこった、「駅を出てすぐに橋を渡り、堤防道路がなくなるまで約20分左(西)に歩く」が正解だった。1時間以上間違った道をウロウロしていた。結局店に着いたのが17時少し前、店内を見て、お客さんや店の人と話をしていたら、30分くらい経ってしまった。買うものを買って、タクシーを呼んでもらい、宿へ。遍路とはほとんど関係ないところで痛い出費、まぁしょうがない。宿について風呂、シャワーで隣り合わせた人と少し話す。夕食をいただき、部屋でいつもの仕事。この宿は温泉付きだったので、愛好会のページも更新しておきます。

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2006年4月25日(火)
遍路で得たものは何か。途中、何かが変わりつつあるかも、と感じた。でもそれは錯覚で、本質は何も変わっていない。ただ、自分の中の、まだマシと感じられる性質が、ちょっと強く出て来たに過ぎない。自分で、ダメだ、と感じている性質を、オブラートに包んだに過ぎない。ふとしたことで、すぐに逆転する。でも、それがわかっただけでも、収穫だろう。何も得ないよりは良いが、払った犠牲が大き過ぎた。協力隊も、しかり。何も得てないと感じているから、いつまで経っても総括が書けない。これから自分は、どこへ行くのだろう。
<足取り>7時朝食、30分くらいで準備、出発。最速?朝からゴミ拾い、袋がすぐにいっぱいになる。何度か、自動販売機や地域のゴミ箱に入れさせてもらい、7番「十楽寺」へ。納経所でゴミを引き取ってもらおうと思ったら断られたので、出て行くと、お寺の人が追いかけてきた。すぐ近くのゴミ捨て場に置いておけばよい、とのこと、最初からそうすればよかった。袋は再利用、すぐ近くのうどん屋で昼食、回り始めて2日目に昼食をとったところ。新米お遍路さんが1人いたので、話し掛けてみた。どうか無事歩き通して欲しい。食後またゴミを拾いながら県道を歩く。遍路接待所で声を掛けられ、お茶とお菓子をいただく。ついでにゴミも処分していただいた。ありがたい。更にゴミを拾いながら歩く。途中でどうしようもなくゴミが山盛りになってしまい、道沿いの美容院で袋をもらおうとしたら、ゴミを処分してくれるとのこと。ありがたい。いただいた袋で、ゴミ拾い再開。何度も道端の自動販売機のゴミ箱に入れさせてもらいながら歩いたが、またどうしようもなく山盛りになり、袋も破れてしまった。しょうがないので、近くの民家にお願いし、大き目の袋をいただいた。移し替えて、続行。2番「極楽寺」までで、袋が一杯になり、門前の店のゴミ箱に入れさせていただいた。16時半過ぎ、1番「霊山寺」到着、微妙な時間だったので、先に納経所へ。出発時、もらい忘れた御影をいただき、納経帳の最後に日付を入れてもらう。数珠とお茶、菓子の接待をいただく。一息ついて、本堂と大師堂のお参り、大窪寺のような感動は無かった。その後宿へ、近くに住むEさんに連絡をとり、車で拾ってもらう。風呂に行って、夕食・お茶して帰って来た。そんなに遅くならなかったつもりだが、宿の人にえらい心配された。ごめんなさい。22時消灯だったようだが、30分くらいしてから電気を消した。明日は高野山。

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2006年4月26日(水)
明日、実家に帰るわけですが、奥之院も参ったことだし、ひとまずこれで遍路の旅は終わりです。途中であった方々、良い思い出をありがとうございます。お世話になった方々、ありがとうございます。自分を見つめ直そうと思って回り始めたのですが、見れば見るほど、出るのは愚痴ばかり、足取り以外の部分は何のために書いているのかわからないです。実家を離れるたびに臆病になり、鬱になっているような気がしていたんですが、出掛けた時だけに限ったことではなく、毎日毎時毎分毎秒、一刻一刻自分の首を絞めているような気がします。恩師の言っていた「○○年かけて鬱になった」という言葉が、そのまま自分にも当てはまるような気がします。鬱の熟成。何年モノだろう。「お四国病院」でも、精神の病は治らなかった、というより、治そうとしてないんだろうな、自分自身。ただ思い付きで遍路に出て、周りに心配・迷惑かけて、自分では何かすごいことをやっているような気になって。終わってみれば、何も得るものはなく、ただスタンプラリー帳が埋まっただけ。本気で取り組もうとしてないから、こういう結果を招くことがわかっているのに。もう自分にウンザリ。と、こうやって、また逃げているわけだな。正面から問題に取り組もうとしない。結果的に、自分の首を絞めることがわかっているのに、一時的に楽な方、楽な方へ逃げようとする。なんでこんな人間が生きながらえさせてもらっているのか、不思議。
<足取り>6時過ぎに朝食、7時前に出発。近くのローソンで、高速バスチケットを買おうとしたが、間近の便は買えないらしく、直接バス停へ。到着すると、丁度バスが来た。運転手にチケットのことを訊くと、その場で料金を支払って乗れるようだ。7時27分、鳴門西出発。約2時間後、南海なんば到着。ホームに下り、10時3分の高野山行き乗車。終点の極楽橋駅で、ケーブルカーに乗り換え、高野山駅へ。更にバスに乗り換え、奥之院前へ。ここまでで2時間強。昼食をとり、いよいよ奥之院へ。中の橋駐車場から約1km、御廟橋を渡り、弘法大師御廟へ。入定された祠を前に、1時間くらい身動きできないでいた。負の感情が、ひたすら溢れてきた。ようやく落ち着いたところで参拝、最後の3礼でも、やっぱり泣けた。帰りは、一の橋へ下りた。案内所で、以前お世話になった、まんのう町のSさんの家に、自分の前に泊まったという、高野山のAさんの所在を求めた。学校や寮の連絡先を聞き、電話してみたがつかまらず、伝言をお願いした。ベンチでしばらくボーっとしてから、バスに乗って高野山駅へ、南海鉄道で難波へ。大阪在住のKさんに情報をもらい、安いカプセルホテル泊。近くの焼き鳥屋で夕食、あとは寝るだけ。久し振りに俗世間に戻って来た気がする。

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2006年4月27日(木)
<足取り>9時前にホテル出発、金券ショップで安くチケットを買いたかったが、まだ開いてなかったので、正規料金で切符購入。9時半難波発のアーバンライナーで名古屋へ。2時間ちょっとで到着、地下街の喫茶店で味噌カツ定食を食べる。12時21分発の岐阜行きJRに乗車、岐阜で30分くらい待って、高山行きに乗車。14時頃には、中川辺駅に着いただろうか、その足で、駅近くの行きつけの床屋で散髪、歩いて家に着いたのは16時過ぎだっただろうか。すぐに祖父母の墓参り、本家と先祖の墓にも参った。これにて、今回の旅は終了。

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