2005年11月のブルガリアでのこと。


2005年11月28日(月)〜30日(水) いよいよブルガリア出発です。
28日(月)、眠い。朝起きられない。でも職場に行かねば。今朝は3箱荷物を発送。職場に着いて、しばらくすると同僚に呼ばれた。この年末で定年退職する同僚のためのパーティらしい。館長からプレゼント贈呈。しばし談話、15時から今度はお前の番だ、と何度か言われた。同僚たちの前で、笛を吹くことになっていた。部屋に戻って、今日はデータ整理。お昼、笛を吹く時に配るプレゼントを購入。郵便局で荷作り用の箱も買った。一旦家に帰り、裃を持って出発。途中、ユーロをレヴァに両替。職場に着いて、データ整理の続きをし、時間になったら裃に着替え。観客16人、6曲演奏。たくさんプレゼントをもらってしまった。なんだか申し訳ない。適当なところで部屋に戻り、着替えて帰宅。家では、昨日あふれた服を梱包、2箱できたが、はかりを既に人に譲ってしまっていて重さがわからない。明日、郵便局で量ってから封をしよう。明日も予定がいっぱい、全部こなせるか不安。29日(火)、長くて短い一日。朝、まず郵便局で荷物発送。やっぱり両方とも2kg超えていたので、少し取り出し2kg未満におさえ、封をした。郵便局備え付けのテープだと思って使ってたのが、実は同じテーブルで荷作りをしていた人のものだった。ごめんなさい。職場に行って、昨日突如決まったスタラザゴラ温泉行き(もちろん仕事、念のため)のため、職場の長の車で出発。現地に置いてある写真取り込み用の古いpcからデータを吸出し、CDに焼く作業。クロスケーブルで持って行ったpcとつないだが、ネットワークの設定がwindows上でどうしてもうまくいかず、しょうがないのでDOS窓でデータコピー。必要なデータを持って来てCDに焼こうとしたら、今度はwindows標準のライティングができず、たまたま入ってたライティングソフトを使って焼付け。結局午前中これでつぶれた。お昼を現地で食べ、職場に帰着、休む間もなく固定電話の解約。同僚についてきてもらったおかげで、スムーズに終了。次はIDカードの返却。パスポートを忘れたので、持って来てからリトライ。一旦家に帰る途中、郵便局で箱購入。家に着いて、パスポートを持って、今度は職場に戻る途中、家の内側の鍵の合鍵を作った。職場に預けなきゃいけないのに、内側の鍵だけ合鍵を作ってなかったので。外側の鍵は、既に作ってあったので、オリジナルは預けられたのだが。職場に着いて、内側の鍵のオリジナルを預けようとしたら、担当者不在。結局明日の朝、職場に来ることに。合鍵が無駄になった。そうそう、市役所の人と一緒にアパートの部屋を見る、という話は、結局なくなったらしい。水道代の話をしている時に、なんだかもめて、担当者が疲れてしまったようだ。鍵は預けてあるし、後は勝手に見て下さい。少しだけネットしたあと、再度警察へIDカード返却に。パスポートに判子を押してもらうだけで終了。職場に戻り、今度は写真家の同僚と、警察へついてきてもらった同僚と、職場のすぐ近くの展示場へ。ローマ時代のモザイクの展示がしてあるところだが、2年近くいて、初めて入る。職場関係の施設なのに。ここは、音の反響が良い、ということで、昨日に引き続き、笛を吹くことになっていた。確かに、響きが全然違う。写真家の同僚がビデオカメラを回す中、4曲演奏。途中で、どこの子だかわからないが、女の子が入ってきた。小さなお客を交え、聴衆3名。職場に戻ったら、もう帰宅の時間。職場で予定していて唯一できなかった「くすだまの作り方を教えること」、現代史の同僚、ごめんなさい。帰宅途中、携帯電話の料金を払い、お世話になった人たちに電話をした。一旦家に帰り、ちょっとだけ片づけをしてから、同じ町に住むUさんと共に、針治療のブルガリア人の先生の診療所へ。お別れの挨拶、記念撮影。その後、また家に戻り、Uさんちに預けるものを持ってタクシーでUさんちへ。置いてすぐ出発、ブルガリア人の友だちと会い、3人で夕食。途中で日本語を教えていたブルガリア人の友だちも合流、皆さん、いろいろお世話になりました。家に帰って、また片付け、気付いたらもう2時、昨日早めに休んでおいて正解だった。いつものように遅くまで起きてたら、今日体がもたなかっただろう。明日はもう旅が始まってしまうので、ある程度、なるようになれ、の心境である。30日(水)、ブルガリア最後の夜。朝、最後の荷物発送。1箱作って郵便局へ持って行ったが、2kgを超えており、小さめの箱をもう1つ買って2箱で送った。その後、職場へ行き、自分の荷物回収、同僚たちに挨拶。最後に出入り口で見送ってくれた写真家の同僚との別れで泣いてしまった。笑顔でサヨナラするつもりだったのに。そのあと、Uさんちへ。渡すものを渡し、最後のキャッチボール。1球ずつ。タクシーで自分のアパートへ、荷物をまとめ、バスターミナルへ。あると思っていた10時発プロヴディフ行き、窓口で「ない」と言われた。停まっていたソフィア行きのバスの運転手に訊いても、プロヴディフは経由しないと言う。しょうがないので、10時半のチケットを窓口で買って、30分待つことに。そうしたら、別の会社のソフィア行きのバスが到着。これかな、前にソフィアへ行く時にプロヴディフを経由したのは。でも、訊いてみて、経由したら悔しいので、何も訊かなかった。10時半のバスが着き、荷物積み込み、手伝ってくれたUさん(どうもありがとうございました)とも、ここでお別れ。まだ、自分が住んだ町を出発する実感がまるでない。約1時間半後、プロヴディフ到着、在住Nさんの職場へ行き、裃を渡した。スシバーで一緒に昼食、バスターミナルへ向かう途中、移動遊園地のお化け屋敷に入った。15時のバスでソフィアへ移動、事務所へ。荷物を置いて、食事会参加。その後、事務所の職員Kさんの家へ移動、折り紙の指輪の作り方を教えることが、宿泊の交換条件。途中で子供さんと一緒にKさんの奥さんも寝てしまったので、続きは明日。Kさんと少し話をして、就寝。

2005年11月21日(月)〜27日(日) 最後の小旅行はガブロヴォ。みんなの温かさに触れられて良かったです。
21日(月)、朝、荷物4個郵便局で出す。職場にて、文書保存の同僚が、昨日誕生日だったらしい。何もプレゼントがない。近代史の同僚の写真データをCDに焼いた。明日、昼食を一緒に食べに行く約束をした。仕事はひたすら職場のウェブサイト修正。合間に、事務所から借りてきたノートパソコンのアップデートやらなんやら。帰り道、久しぶりに大きいデュネル買い食い。家では、少し荷物片付け。パソコンをいよいよ人に譲るため、フォーマット、セットアップ。そんな月曜日。22日(火)、今日も、朝、荷物4個郵便局で発送。職場に着くと、掃除婦の同僚に、いつ市役所の人と部屋を見に行くか訊かれたので、29日と答えておいた。お昼前、同じ町のUさんから電話あり、キャッチボールする約束をしたが、昨日の約束をすっかり忘れてた。Uさんにはごめんなさいの電話をして、近代史の同僚と昼食。あと何回ブルガリアで食べるだろう、キュフテとケバプチェ。食後、同僚に連れられて、何件か店めぐり。土産屋を教えてもらった。音楽の店では、ブルガリアの楽器のCD衝動買い。仕事は昨日と同じ。家では片付け。壁と天井に貼ってあったものを、大体はがした。人に譲るパソコンの梱包も終わった。発送する荷物は、3個、明日の朝、また郵便局。23日(水)、固定電話料金支払い。請求書が来て、それで払うのは、これが最後。あとは、解約する時に精算(のはず)。今日は1日雨だった。そんな中、今朝も荷物を郵便局で発送。3個。午前中、古銭学の同僚が「ネットできない」と言ってきた。LANケーブルがつぶれてたので、それを疑ったが、実は、別の部屋のハブの電源が抜けてただけだった。他の仕事は昨日と同じ。家では、発送する荷物を4個作った。テープも包装用紙もなくなったので、明日買わなければ。ついでに、荷作り用の紐も買わなければ。24日(木)、今朝も郵便局で荷物発送。職場で、写真家の同僚に「ブルガリアから去ることが悲しい」と言ったら「悲しみは悲しみを生むから、楽しいことを考えろ」みたいなことを言われた。悲しみの本当の原因は違うので微妙。昼休み、昨日買おうと思ったもの購入。今回は包装用紙1枚10ストティンキ(約7円、物価換算約35円)で買えた。昼食は、市場の中の半セルフ食堂みたいなところで未練たらしくブルガリア料理を食べた。仕事は昨日と同じ。職場のウェブサイトのブルガリア語の見直しがようやく終わったので、管理している人にメールで送信。すぐに反映してくれた。あとは英語。帰国するまでに終わるだろうか。帰宅途中、夕食のデュネル大を食す。家では、発送する荷物を5個作った。包装紙がちょっと破れた。安かろう悪かろう、か。25日(金)、荷物合計8個発送。朝、2kg未満5箱、昼、2kg未満1箱と本ばかり5kg未満2箱。あと1箱か2箱で終わるはず。昼には電気料金を支払ってきた。ありえないくらい安かった。1週間以上家を空けてた10月分だからか。仕事は昨日と同じ。職場のウェブサイトの英語版作成。職場で終わらなかったので、家に持って帰ってきて仕上げ、管理している人に送信。反映は月曜日だろう。26日(土)、朝から掃除。家のレイアウトを、2年前の来た時と大体同じように戻してみた。箪笥の位置が違うのだが。昼過ぎに外へ。頼まれた学校の写真を撮るためと昼食のためだったが、デジカメが途中で壊れ、行こうと思っていたデュネル屋はことごとく休み。久しぶりにピザなど食べた。カザンラクから荷物を運搬してくれる人を待って、家へ。その人のパソコンに、ウィルス対策ソフトをインストール、火曜日に梱包したパソコン一式をタクシーでバスターミナルへ。ソフィアからブルガスへ帰る途中で立ち寄ったパソコンを譲る人に無事譲渡。家に帰る途中、寄り道をして、火曜日に同僚から教えてもらった土産屋で買い物。スタラザゴラでの買い物は、これが最後か。明日はガブロヴォへ日帰り。これがおそらく最後の移動。27日(日)、オイルヒータを持って、9時15分のバスに乗車。11時過ぎにガブロヴォ到着。エタルの楽器職人の車に乗せてもらい、ヒータを譲る人の家へ。セブリエヴォから来ていた人のカプチーノマシンの調子を見て、エタルで染色の仕事をしている人のデジカメの調子を見て、ヒータを組み立て、食事をいただき、15時半のバスでスタラザゴラへ。皆さんお世話になりました。17時過ぎにスタラザゴラ到着、家では、いよいよ出国時のイメージトレーニング。服が思いのほかかさばったので、少し送らなければ。プロヴディフとソフィアに置いて行く荷物も合わせて持って行くので、すごい荷物の量。大体イメージができたので、次は明日の用意。職場で横笛披露予定。裃を着るつもりなので、旅行用のカバンで職場へ持って行かなければ。

2005年11月14日(月)〜20日(日) 帰国前の表敬訪問、送別会等が終わりました。いよいよ、迫ってきました。
14日(月)、髪の毛切りました。風邪ひくのを覚悟で。坊ちゃんカットみたいになっちゃいました。まぁいっか。あと、職場のトイレのタンクが、突然新しくなりました。調子悪かったからなー。15日(火)、ドルが良くなってます、最近。1ドルが1.65レヴァ(約115円)くらいです。ちょっと前まで、1.6レヴァを切るか切らないかくらいだったのに。銀行口座から、ドルを全部引き出す時期を誤ったかな。まぁいいや。手元にあるのは、換算率が変動しないユーロだし。というわけで、手持ちのレヴァが少なくなってきたので、ユーロをレヴァに換金、勢いあまって、お土産とか食料とかどさっと購入。家で、少し箱詰め、2kg未満の箱が4個できました。送るためには、模造紙のようなものでくるまないといけないので、明日にでも本屋へ行って買ってこよう。16日(水)、模造紙みたいなやつ、買って来ました。スモリャンのKさんに、1枚10ストティンキ(約7円、物価換算約35円)って聞いてたので、そのつもりで本屋に行ったら、5倍の50ストティンキでした。なにぃ、この町は光熱費が高いだけでは飽き足らず、物価まで高いってか。でも、他の店を見て回るのが面倒だったので、結局ここで買っちゃいました。ここに来る前に、またスイッチが入っちゃって、「お土産」と称して、アルコール類をたっぷり買ったから、感覚がおかしくなってたのかも。そんなわけで、家に帰って、昨日作った荷物を包みました。明日、ソフィアへ行く前に、郵便局に行って出してこよう。17日(木)、買い物スイッチ、再び(三度?)。帰国前の表敬訪問で、ソフィアに来てるんですが、おみやげ〜、と思って、めっちゃくちゃ、本当にめっちゃくちゃ買い物をしました。もう、これだけあれば、足りるやろ。あとは、荷作り・発送に専念しよう。そんなわけで、明日、各省庁まわりです。18日(金)、表敬訪問終了。送別会終了。あとは荷作り。19日(土)、夕方頃、家に帰って、パソコンのデータ整理してたんですけど、やたらCDを焼く時にエラーが出るんですね。満タン700MB近くまでまとめて焼こうとするとエラーなので、少し減らして焼いてるんですが。20日(日)、荷作り。2kg未満の箱、通算12個目。まだまだできる予定。
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ブルガリアのコインについて。ちょっと前に、人に言われて「おぉっ」と気付いたんですが(おせぇよ)、通貨の補助単位である「ストティンキ(単数はストティンカ)」のコインは、額面じゃないほうが全部「マダラの騎士」の図柄なんですね。世界遺産ですよ。例外的に、50ストティンキだけ、「マダラの騎士」以外に、去年はNATO加盟記念の図柄が出たし、今年は、EU加盟に向けての図柄が出ましたが。ちなみに、1レフコインは、聖人「イヴァン・リルスキ」の図柄。これまた世界遺産である「リラの僧院」を建てたお方です。じゃあ、古いコインはどうなってるんかなぁ、と思って、手持ちの30年くらい前の10ストティンキを見たら、普通にブルガリアのシンボルであるライオンの紋章でした。

2005年11月7日(月)〜13日(日) 職場に行ったのが2日だけ…週休2日じゃなくて、週2日制…?
7日(月)、アカン〜。超眠い〜。朝帰りはイカンわ〜。6時半頃、Hさんち出発、どうもお世話になりました。7時前発のミニバスでスタラザゴラへ、もちろん爆睡。でも、不思議と降りる場所の前で、目が覚めるんですねー。一旦家に帰って仕事の用意をして、15分くらい仮眠。大体いつもどおりの時間に出勤。常に睡魔との戦い。昼休みにキャッチボールしたのも手伝って、午後はホントにヤバかった…。そうそう、エタルの楽器職人から借りた楽器の本、昼休みにコピー屋さんへお願いして、夕方受け取りました。著作権云々と言われそうだけど、1000部しか刷られてないものだから見逃して(笑)。家に帰って、夕食、シャワー、明日の準備、むちゃくちゃ眠くて、22時過ぎには就寝。疲れがとれん…。8日(火)〜9日(水)、プロヴディフにいました。日本人形展のオープニングの手伝いなど。8時半のバスでスタラザゴラ出発、2時間後くらいに、在中Nさんの職場の博物館へ。ノヴァ・ザゴラのGさんが、先に来てました。展示準備の手伝いなどしていると、スモリャンのKさん到着。4人で一旦Nさんちへ、女性陣は着物、自分は裃に着替え。途中で、ヴェリコ・タルノヴォのKさん合流。博物館に戻り、茶道デモンストレーションのリハーサル。裃着て正客って、何か違う気がしますが、まぁなんでもあり。用意をしていると、ケルメンのKさん、ヒサールのTさん、ソフィアのFさん、ブラゴエフグラッドのNさんが来ました。Kさんは着物、TさんFさんNさんは浴衣に着替え、17時頃からオープニング。笛を吹く場面を用意してもらってたようですが、その頃自分は3人の浴衣の帯を巻いてたと思われ…ホールに行っても、人垣を割って入れなかったし…ごめんなさい。茶道デモンストレーションは、なんとか終えることができました。セレモニーが一通り終わって、展示を見ている人たちが大体去ったところで、不意にお囃子をちょっとだけ吹いたりしてみました。撤収後、みんなで食事。レストランの中で繰り広げられる踊りのショー、楽しかったです。明日現場があるGさん、途中で出発、気を付けて〜。デザートは別のお店、バナナ・チョコ・クルミ入りのパラチンカ(パンケーキと訳されますが、ようはクレープ生地でいろいろ包む食べ物です)が美味しかったです。ホテル泊まりのタルノヴォのKさん、ちょっと先に出発、お休みなさ〜い。その後、泊めてもらうNさんちに移動、人口密度高っ(笑)。翌9日、夜更かしした割には、早めに起床、同僚と待ち合わせしているスモリャンのKさんを先に見送り、残りの6人は、少しあとに出発。一旦Nさんの博物館へ。荷物を置いて、KさんTさんFさんNさんの4人は、旧市街見物。Nさんと自分は、博物館のパソコンと格闘。本館じゃないところから、ハードディスクを持って来て、それを本館のパソコンでうまくブートするようにしたかったけど、デバイスドライバが足らない。途中でKさんたちを見送って、展示の打ち上げにも参加して、暗くなるまで頑張ったけど、結果は「やらなかったのと一緒」。足らないものはどうしようもないので、後日、ドライバを見つけて、Nさんにやってもらうことにして、博物館出発。何から何まで、お世話になりました(なります)。南バスターミナルから、18時55分のバスで出発、21時前には自分のアパート到着。メールの返事…返事…うー、眠い。耐え切れず、日付が変わったくらいに寝ました。なんだか長かったような短かったような2日間が、終了。10日(木)、3度目です、市役所へ行くの。全部、同じ内容のことで。まぁ、1回1回新しい事実が増えていくので、いいんですが。今日聞いたのは、スタラザゴラを出て行く直前に、市役所の人と一緒に部屋を見なきゃいけない、部屋の鍵は、職場に預けていってもいい、ということかな。部屋を見なきゃいけない、というのは、前回言われてた気がするけど、電話してからだか電話を待ってからだか、というのが、今回、最後の週の都合が良い日、ということになったらしいです。こんな話をつめなきゃいけない時期なんだなぁ、と思うと、なんだか寂しいです。早く日本に帰りたいという気持ちと、ブルガリアをもうすぐ去らなきゃいけないという寂しさ、矛盾する感情の板挟みで、なんだかブルー。11日(金)、ガブロヴォで、裃を着て横笛を吹きました。今回は、今までのようなオマケではなく、「タクマ・イシイのコンサート」。といっても、企画・運営は、ガブロヴォ在住のUさんと、パートナーのEさん。リハーサルに参加するため、朝6時15分のバスでスタラザゴラ出発。市役所前で、Uさんと待ち合わせ、会場のギャラリーへ。演奏するホールを見たり(寒い〜)、Eさんとプログラムをつめたり。Eさんのお母さんの差し入れの昼食をいただき、引き続き打ち合わせ・リハーサル。一応流れがつかめました。17時過ぎ、お客さんが入ってきているのを見て、裃に着替え。17時半、開始。150人くらい入ってたのかなぁ、用意された椅子がほとんど埋まって、立っている人もいました。トリャヴナからTさん、シリストラからIさんも来てくれてました。前半は、日本の伝統芸能についての説明、後半、お囃子を披露。1曲終わるごとに、拍手をいただけたし、実家から送ってもらって、曲の間で流してもらったDVDのウケもそこそこ良かったし、自分的には、満足。もっと緊張するかと思ったけど、全然大丈夫だったし。1時間弱で全部終了、写真を撮られたりして、演奏よりこっちのほうが恥ずかしかったり。着替えをして、控え室になってたギャラリーの受け付け部屋へ。軽く飲み食いして(もちろんノンアルコール)、今日泊めてもらうSさんちへ。ばたばたして、パソコン見ると言ってたのに何もできなかったUさん、ごめんなさい。そして、お疲れ様でした。Sさんちに着くと、SさんTさんIさん揃ってて、ちょうどご飯を食べ始めるところだったので、自分も混ぜてもらいました。ラザニアうめぇ〜。持って行った餅も好評のようでした。食後、帰国にあたっての引継ぎ品をばらまいて、色々話をして就寝。朝早かったので、最後のほう、ほとんど頭が寝てたなぁ。12日(土)、スイッチが入ったらしい。買い物スイッチ。朝、ゆったり起床、朝食をいただき、まったり。Tさんのプリンタを見て(電源は入るけど、ランプ点滅でどうしようもなくなる、ヘッド位置調整で、様子見)、Sさんのパソコンでダイアルアップできるようにして(ケーブル接続なんだけど、天気が悪いと止まることが多いらしいので、電話線でもネットできるように)、お出かけ。他の3人が買い物しているのをフンフン見てたんですが、昼食後、入る先々の店で、自分も同じことをしてました。帰国準備ですよ、お土産買わなきゃ。今更ですが。2年近く経つと、もうすっかりブルガリアの新鮮味も失せて、最近来たばかりの3人に訊きながらの買い物。なんだかな〜。一旦Sさんちに戻り、荷物をまとめて出発。どうもお世話になりました。15時半のバスでスタラザゴラへ。道中、ホントよく寝てました。寝やすいシートだったしなぁ〜。さて、明日は報告書を書かないとなぁ。13日(日)、なんか、いかんなぁ、現実逃避に走ってるかも。いやいや、部屋の片付けも、今は必要なものだから、逃避ではない…と思いたい。でも、一番やらなきゃいけないのは報告書、それ仕上げてから、片付けしようよ。というわけで、昨日の決意、どこにやら。いよいよ時間がなくなってきました。

2005年11月1日(火)〜6日(日) 週末は、タルノヴォ・エタル・カザンラクでした。なんだか動きまくりです。
1日(火)、先月、日本からこっちに来てくれたMさんから、職場の同僚宛に小包が届いてたので、配り歩きました。Mさん、ありがとう。そして同僚たちよ、じっくり味わいたまへ(笑)。「味わいたまへ」ということは、つまり、食べ物です。さて、何を送ってくれたのでしょう。正解者には、なんぞプレゼント(ホント?)。2日(水)、GSM料金を支払ってきました。ウィーンに行ってた時に、実家からかかってきた電話を受けたんですが、国際ローミングの時って受信者側にも課金されるんですね。「お金かかるから」と、実家のことを気遣って早めに電話を切ったんですけど、実は自分の身を守ってた(笑)。あとは、テスタの電池を買って、プリンタのインクとコピー用紙買って、愛想のいい兄ちゃんがいる店でデュネルを買って、お昼休み終了。午後、昨日いなかった同僚に、Mさんからの品々を持って行きました。帰り道、昨日も行ったんですが、ちょっと寄り道して、ブルガリア人のS君が働いているというホテルへ。今日も不在。カレーが食べたい、というS君と、予定を詰めようと思ったんですが…。まぁ、また次回。家では、パソコンデスクの分解。週末、カザンラクのSさんところへ持って行きます。非常に重いです。試しに量ったら、31kgもありました。そんな感じで、ぼちぼちと帰国準備。3日(木)、生活費が振り込まれている銀行の通帳を、空っぽにしてみました。当面の生活費・帰国準備のための資金。あとは、口座を解約しないと。帰り道、昨日も用事があって回り道して寄ったんですが、バスターミナルへ。明日のチケットを、あらかじめ購入。その後、荷作り用の紐を探し歩き、結局洗濯干し用のロープ購入。丈夫なのはいいんですけどね、つるつるしてて、縛り辛い。まぁ、気合いで。ちょっとずつ品物がはけてきてますが、しまってあった所から引っ張り出してきてはぶちまけているので、片付くどころか散らかる一方…。4日(金)、大ポカやらかしましたよ。ヴェリコ・タルノヴォに来てるんですけどね。10時のバスでスタラザゴラを出発して、12時過ぎにはヴェリコ・タルノヴォの西バスターミナルに着いてたはずなんです。路線バスを停留所と思われるところでしばらく待って、12時半頃乗車、センターへ向かったんです。ブルガリアの母広場の前で停車、地図によると、どうももう少し先に停留所があるように見えたので、そのまま乗ってました。ところが、広場を過ぎて、すぐに地図に書いてあるルートから外れ、町の郊外へ。道が変わったんかな、なんてのん気にかまえてられないほど、どんどん目的のセンターから離れていきます。で、これがまた、停留所がないんですねー。あれよあれよという間に、ヴェリコ・タルノヴォを出てしまいました。そうこうしていると、切符売りのおばちゃんが気付いてくれて、「センターで降ろしてあげられなくてごめんねー、向こうから来るバスに乗り換えさせてあげるから」みたいなことを言って、乗車料金を返してくれました。ん?ちょっと待てよ、悪いのはこっちじゃん。むしろ、距離が伸びた分、余計に払わないといけないのに。でも、うまく説明できず、そのまま受け取ってしまいました。向こうから来るバスに電話連絡をしてもらってたようで、ヴェリコ・タルノヴォとゴルナ・オリャホヴィツァの間の村を過ぎたあたりの何もないところで、バス乗り換え。もー本当に、皆さんに感謝です。ありがとう。そして、恥ずかしい(笑)。西バスターミナルからセンターまで、本来なら10分くらいで着くところを、50分くらいかけて大回りしてたどり着きました。同行のUさん、どうもすみませんでした。そんなこんなで、チャルシャ(土産屋通り)で、ラズグラッドのKさんと、ルーマニアから旅行で来ているKさん、ヴェリコ・タルノヴォ在住のTさんと合流、遅くなってごめんなさい。まずお昼ご飯を食べて、ルーマニアのKさんの帰りの列車の切符を買い、アルバナシに向かいます。タクシーが遠回りをしたような気がしたけど、観光客だと思われたかな(いや、一応観光客なんですけどね)。平日のアルバナシは、閑散としてました。静か。こんな雰囲気、好きです。中が博物館になっている教会と、ハウスミュージアムを見て、ヴェリコ・タルノヴォに戻りました。ライトアップされたツァレヴェッツの丘を見て、ヴェリコ・タルノヴォ在住のKさんと合流、レストランで夕食。美味しい食事で満足満足。店を変えて、デザート。濃厚濃厚(笑)。食後、Uさんと一緒にあとから合流したKさんちへタクシーで移動。お世話になります。5日(土)、今日も乗り物関係の失敗。結果的には良い方向に転んだんですが。朝、9時のバスで、ヴェリコ・タルノヴォ出発、泊まらせてもらったKさん、お世話になりました。ラズグラッド・ルーマニアのKさん2人と、スタラザゴラから同行のUさんと自分の4人、約1時間で、ガブロヴォのバスターミナル到着、帰りの切符を買うため、窓口へ。そう、ここから歯車が狂いだしたのかも。何を思ったのか、天気が良くないのに、スタラザゴラまで帰る途中で越えるシプカ峠にある記念碑を見るため、峠までのチケット購入。同行のUさんも、付き合ってくれることになりました。バスのチケットを買って、タクシーでエタルへ移動、土産を買ったり、楽器職人から楽器の本を借りたり(これ、すごいです、いろんな意味で)、お昼を食べたりして、13時過ぎにエタル出発。14時のバス乗車。ここでKさん2人とはお別れ。楽しかったです、ありがとう。さて、Uさんと2人で峠を目指します。しか〜し、2人とも爆睡してしまい、気付いたら、峠を越えて、バスが下り始めていました。バスの運ちゃんにチケット見せた時に、「シプカ峠まで」って言ったんだけどなぁ。忘れてたんだろうなぁ。峠を完全に下りきってから、運ちゃんはバスを停め、「反対方向のバスに乗り換えてね」みたいなことを言いました。ヴェリコ・タルノヴォの失態、再び。でも、また峠までの曲がりくねった道を往復する気にはなれず、夕方(というか夜)に予定もあったので、そのままスタラザゴラまで乗って帰ることにしました。バスの中では、再び爆睡、でも、今度は寝過ごすことなく、自分の家の近くで降りられました。ちなみに、バス料金、ガブロヴォのバスターミナルで買ったチケットは、おそらく正規料金だと思うんですが、峠からスタラザゴラまでの料金は、運ちゃんのどんぶり勘定でした。合計金額が、普通の料金の半分くらい。ラッキー。天気が悪く、多分峠で降りても真っ白だったことを考えると、無理に見に行かなくて正解だったのかも。しかも、運賃安く済んだし。予定より早めに帰って来れたので、家の片付けやらなんやらをしました。夜、ブルガスからKさん到着、Uさんも呼んで夕食。帰国時の放出品を、わざわざ取りに来てくれたKさん、どうもご苦労様です。今回運びきれない分が、まだまだあるので、また次回にでも。6日(日)、カザンラクで焼肉パーティを開いてもらいました。朝、Kさんは重い荷物を持ってブルガスへ出発。お気をつけて〜。その後、ひたすらメールの返信やらなんやら。笛の練習もしたような気が。夕方、カザンラクからSさん到着、2人で、カザンラク3人組への放出品を運搬。バスターミナルまでタクシー、荷物を積む時、運ちゃんに「なんで呼ぶ時に、荷物があって2人ということを言わなかったんだ」みたいなことを言われたけど、いいじゃん、積めたんだし。バスターミナルに着いて、チケット購入、小さ目のバスだったけど、何とか荷物全部積めました。普段は、カザンラクまで40分ちょっとくらいなんですが、このバス、途中何箇所か、村や町に寄って行ったので、1時間くらいかかってしまいました。カザンラクに到着して、一旦Sさんちへ。パソコンデスク組み立て。その後、Hさんちへ移動、焼肉パーティ。カザンラク在住のOさん、そしてもう一人のHさんも同席(あれ?4人じゃん、という細かい突っ込みは抜きで)。美味しい料理をありがとうございます。食事が一段落して、Oさんのノートパソコンを見ました。DVDドライブがI/Oエラーを吐き出す、というので、接触かな、と思って、ばらしてみました。その過程で、タッチパッド付近のプラスチックを割ってしまった…割ってしまった…。ごめんなさい、Oさん…。ドライブまでなんとかたどりつき、ドライブ自体もばらしてみたけど、おかしそうな箇所は見つからず、またそのままふたをしました。確認のため、電源投入、画面が出ずに焦ったけど、単なるコネクタさし忘れ。2度目は大丈夫、でも、日付と時間の設定から。で、やっぱりドライブはI/Oエラーを吐き出します。ごめんなさい、壊した上に、手におえなかった…。Oさんは「気にしないで」と言ってくれたけど、うーん、それは無理。Oさん、Sさん、Hさんは、この一連の作業を見届けて帰宅、自分はこのままHさんちに宿泊。Hさんの暖房器具の修理、スイッチを直して持ってきたけど、うまくいかず。ファンがどうやらもともと回ってなかった上に、何故か温度ヒューズが飛んでしまう。結局、どうにもならず、ふたを閉めました。あと、洗濯機。水が抜けなくなってしまった、というんですが、排水ホースが、高い位置にあるから、吸出し用のポンプがあるんじゃないかな、で、それが壊れてるんじゃないかな、と思ったんですが。なにしろ、むかぁ〜しむかぁ〜しの洗濯機、重い、そして水もたくさんたまりっぱなし、動かせません。オマケに、とりあえず動かしてみよう、と思ってスイッチをいじってたら、洗濯機が暴れだして、隙間から水があふれ出てきました。その様子を見て、手におえない、と判断、床を濡らしてしまい、ごめんなさい、Hさん。失意のまま、就寝。


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