2004年5月のブルガリアでのこと。


2004年5月31日(月) 5月が終わります。めちゃくちゃ時間の流れが早いです。
31日(月)、あ゛ー、電話局開いてなかった…。せっかくS君に来てもらったのに。16時まででした。行ったの16時半。また日を改めて行ってみます。今日は、プロヴディフ移動。予定通り17時半のバスで出発、1時間半くらいの道のり、ほとんど寝てました。明日は似非書道家再びです。どうなることやら。

2004年5月30日(日) 明日はプロヴディフ移動です。
26日(水)、首都ソフィア日帰り往復はキツい。ブログには「あっという間」と書いたけど、感覚的には早くても肉体的にはこたえているらしい。まぁ、往復6時間のバスの中、何かしらやっていたから、というのもあるし、上京した主な目的が、仕事の打ち合わせ、というのもある。今回の打ち合わせには、ブルガリア語を話せる先輩と行ったからいいけど、次からはもういない。会話の内容は、1割も理解してないものと思われる。こんなんで大丈夫かいな。何はともあれ、疲れました。早めに寝ます(と言っても、スタラザゴラに帰り着いたのが22時頃なんだけど)。あ、大事なことを忘れるところでした。自分たちと本当は同時期にブルガリアに来る予定だった人が、今日到着!!空港には迎えに行けなかったけど、事務所で会えました。いやー、久し振り。元気そうで何よりでした。27日(木)、電気代を払ってきました。今回は30レヴァくらい。段々安くなってる気がするのは気のせいでしょうか。冬は、暖房機器がすごい電気くうから高いのはしょうがないと思ってたけど、この差は一体…。あと支払い関係は、夜にアパートの管理費徴収の人が来ました。1カ月分で2レヴァ。それからさらにお金が出て行った関係は、ブルガリアの地図を買ったこと。ちゃんとリング綴じがしてある、本になった地図です。縮尺も今まで持っていたものより細かいです。この前行ってきたキノコ岩もちゃんと載ってました。これから出かける時は持って行くことにしよう。28日(金)、事務所から人が来ました。安全に対する意識をしっかりもたせるためだと思います。午前中にアパートの防犯面を見て、午後は警察に行って、自分が住んでいる地区の担当の警官と署長に、面通しをしてきました。危険な場所も聞いてきました。このおかげで、今日はさっぱり仕事ができませんでした。29日(土)、また部屋の模様替えをしました。キッチンの長椅子と、居間のテーブルを交換。ついでに掃除。布団干し。ぱたぱたしてたわりには、ちゃんと3食とりました。といっても、昼はバナナだけだったけど。明日は、ブルガリア人のGさんと会う予定。次の週のバラ祭りの話もできるかな…。30日(日)、バラ祭りの約束をとりつけました。Gさんの送迎付き、パヴェル・バニャお泊り。今回は、スタラザゴラに新しく来たUさんと一緒です。他にも、バラ祭りに行く人の話を何人か聞いているので、会場で会えるといいな。Gさんと別れたあと、今度はレンタルビデオ屋でバイトしているS君に、Uさんを紹介。ついでに電話がまだ開通しないことを話したら、明日一緒に文句を言いに行ってくれるそうです。みんなにすっかりお世話になりっぱなしです。ちょっと早めに職場を出て電話局へ行って、その足でスタラザゴラを出発する予定。プロヴディフで開かれるイベントのお手伝いに行ってきます。
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タクシー料金表の見方。タクシーネタは、これで終わりにしたいのですが…普通、後部座席の窓に貼ってある料金表についてです。4行書いてあって、一番上は「1kmあたりの料金」、2番目は「呼び出し料金」、3番目は「初乗り料金」、4番目は「1分あたりの料金」です。数字が2列あるものについては、左側が「日中料金」、右側が「夜間料金」です。ソフィア市内だと、1kmあたりが0.39(0.45)、呼び出しが0.40(0.40)、初乗りが0.40、1分あたりが0.12(括弧内は夜間料金)というのが大体相場のようです。これより高いのには乗らないのが無難だし、この値段でも、メータが異常に早く回転するタクシーからは降りたほうが良いと思います。

2004年5月25日(火) 明日は首都ソフィア移動です。
25日(火)、特に大きな話題がないので、小さな話題を。職場の帰り、街の中心の歩行者天国で、前に見つけたポップコーン屋さんが、今日は出ていたので、「今日の夕食はポップコーンだ(ぉぃぉぃ)」と思って寄って行きました。こんちは、と言うと、名前は?と訊かれました。ん?今まで店で名前を訊かれたことないぞ、と思いながら答えると、向こうも名乗ってきました。少し話を聞いていると、自分の前に、博物館で働いていた日本人の名前が出てきました。間違われるような顔ではないので、同じ日本人だ、と思って名前を訊いたのかな。それとも、自分はこんな名前の日本人を知っている、と言っていたのかな。いずれにしても、愛想の良いおじちゃんで良かったです。笑顔で買い物ができるというのは、気分が良いものです。

2004年5月24日(月) 週末の旅行のこと。
21日(金)、プリンタ、動きました。新しくスタラザゴラに来た人から電源を受け取って、取り付けたら動きました。ユニットがいかれてただけのようです。しかも、今まで使ってたプリンタより速いし、きれい。すばらしい。ただ、1つ難点なのは、USBポートしかないということ。できればパラレルポートも付いてて欲しかった…。それはさておき、今日は、ギャラリーで新しい展示のオープニングセレモニーがありました。新しくスタラザゴラに来た人に渡すものがあったので、その人の家に行き(その時ついでに電源も受け取って来た、ちなみに、この時初めて自分でタクシーを呼んでみた、歩くのが億劫だったので)、そのまま一緒にギャラリーへ。職場の人も来てました。絵のことはよくわからないし、セレモニーで喋っていることもよくわからないので、一段落したところで出てきました。その後、中華レストランで食事。久し振りにまともなご飯を食べた気がします。帰ってきてからは、最初に書いた通りです。一緒に食事をした人とも話してたんですが、こんなに普通に生活できてるところに、我々が来ている意味ってあるんでしょうかね。22日(土)、天気が良ければよかったなぁ。残念ながら、スモリャンで星が見られませんでした。また次の機会に。今日は、バチュコヴォの修道院を経て、スモリャン泊まり。朝、スリヴェンから来る人にバスの時間を合わせて一緒にプロヴディフまで。そこでヴェリコタルノヴォから来た人と合流、昼食をとってバチュコヴォへ。修道院の参道入口で、スモリャンで泊めてもらう人と合流、修道院と、近くにあった納骨堂を見て来ました。修道院までの道に、日本の縁日みたいに露店がたくさん並んでいました。その後、バスでスモリャンまで。途中雨が降ったりやんだりしてましたが、スモリャンに着いた時は、とりあえず小康状態。雷が近くで鳴ってて、山の天気だなぁ、と思いました。スモリャンの人の家に移動して夕食、就寝。明日はカルジャリの予定です。23日(日)、キノコ岩、一見の価値有り(二見目行くまでもないかな)。カルジャリで、ブルガリア3大つまらない名所と言われている所へ行ってきました。朝、スモリャンを出発、100kmくらいの距離を3時間くらいかけて、山道を小さなバスに乗ってカルジャリへ。道が酷かったので酔いそうになりましたが、なんとか大丈夫でした。カルジャリのバス発着所で、バスの中で話をしていた人に交渉してもらって、キノコ岩までタクシーで行くことに。片道20kmくらい、往復で20レヴァなので、1人5レヴァ、安い金額ではないけど、距離を考えたら妥当かな。ちなみに、この街のタクシー、初乗りが0.10レヴァ、安い。ハスコヴォまでの中間近くの村、ベリ・プラスト(白い地層、という意味)のすぐ近くに、キノコ岩はありました。最初見た時、あまりのキノコっぷりに思わず笑ってしまいました。人の手が入らず、自然の力だけであそこまでの形になったとしたら、大したものです。しばしキノコを堪能、そしてカルジャリに戻りました。さて、ホテル探し、タクシーの運転手に聞いていた所に行ってみると、2人部屋で40レヴァ、とりあえず他も見てみよう。二手に分かれ、自分たちが行ったほうは高過ぎて話にならない、もう一方は、もう少し安く泊まれるらしい。2人部屋で28レヴァのところに落ち着きました。昼食がまだだったので、ホテルの人に聞いたレストランに行ってみました。貸切の予約が入っていたようですが、なんだか食べさせてもらえました。時間が早かったから良かったのかな。スープがなかったのは残念でしたが(メニューにはあるので、この時たまたまなかっただけだと思う)、料理は美味しかったです。食後、中心近くの公園をプラプラ、一旦ホテルへ。眠かったのでごろ寝、夜、他の人たちは外に出ましたが、自分はまだ眠かったので、ホテルで居残り。協調性ないですよね。ゴロゴロしてたら、しばらくしてみんな戻って来ました。後は、シャワーを浴びて寝ました。明日はスタラザゴラに戻るだけ。早めに帰って、洗濯とかできるといいな。24日(月)、雨でした。冬のように寒いです。そんなわけで、洗濯しませんでした。朝、カルジャリを出発、2時間強でスタラザゴラへ到着。スリヴェン行きのバスはすぐあったので、スリヴェンの人とはここでサヨナラ、ヴェリコタルノヴォ行きは、あと3時間くらい時間があったので、タルノヴォの人と、スタラザゴラの街をフラフラ。バラ祭り期間中のホテルを予約したい、ということだったので、ホテルに行って予約、その後昼食を一緒に食べて、タルノヴォの人は帰りました。自分は家に帰り、片付けしたりパソコンしたりして、だらだらと時間が過ぎました。今週末は、今のところ出かける予定がないので、久し振りに家でゆっくりしようかと思います。

2004年5月20日(木) 週末はスモリャンの予定。週末出ずっぱり。
17日(月)、同じ街に、新しくブルガリアに来た人が来ました。とりあえず、前に自分がしてもらったように、日本食をプレゼントして、夕食をおごりました。自分のような人間が、その人にとってとりあえず頼れる存在というのは不幸としかいいようがないですが(笑)、まぁできる限りのことは手を貸したいと思います。18日(火)、博物館の日だそうです。夕方、職場近くの展示場でセレモニーがありました。その後、職場の人たちと一緒に夕食を食べました。飲み過ぎ・食べ過ぎました。これを書いているのは次の日なんですが、胃がもたれてます。しばらくアルコールはいいや。食べ物もちょっとでいいや。この日、初めて夜中の街を歩きました。特に危険な目に遭うこともなくアパートに着きました。本当はタクシーを使ったほうがいいんでしょうね。事務所に見つかったら何か言われそうです。19日(水)、気を紛らわすために、ひたすら仕事してました。日本ではなかった感情ですね。日本では、ずっと仕事があったから、気を紛らわす手段にはならなかったのかも。今やってる仕事というのは、博物館のウェブサイト作り、ブルガリア語から日本語にしているんですが、別の人が訳をやってくれているので、それを参考にしながら、体裁を整えていくというもの。単純な繰り返し作業だから、他のこと考えなくて済みます。自分でも単語の意味を調べながらやっているので、時間はかかりますが、元ネタを単に写すよりは良いかな、と思って。というわけで、特別何もなかったので、珍しく仕事をネタにしてみました。20日(木)、朝から職場が停電しまくりでした。1回は外に出ててわからなかったんですが、同僚の人が言うには、合計3回だったらしいです。実害は、書いてたメールが消えたくらいで、大した被害はありませんでした。今日は、秋頃に職場が移転するらしい建物の建設現場に行って来ました。あと3〜4ヶ月くらいで完成するのかどうか怪しいんですが、こっちの人の火事場の馬鹿力を信じましょう。一応職業柄(職業病?)、ケーブルのチェックはしてきました。UTPケーブルがぶら下がっているのを確認できたので、今の職場みたいに露出配線しなくて済みそうです。あと、トラブルシューティングで、随分時間をとられてしまったのが、パソコンのフォント問題。キリル文字を使って名前を付けたフォルダが、98で開けませんでした。XPで焼いたCDだったんですが、98SEでは読めるんですよね。98とSEって、そんなに違いありましたっけ。それとも何か設定の問題かな。色んなサイトを調べてみたんですが、結局わかりませんでした。98のほうでは、問題なくキリル文字を使ってファイルに名前を付けられるんですが。OSの持っている文字コードの問題なんでしょうか。見られなかったCDは、2000でラテンアルファベットを使ってフォルダをリネームしたものを焼きなおして渡しておきました。そんなわけで、今日はさっぱりウェブサイトの更新(仕事のです)が進みませんでした。

2004年5月16日(日) 週末はヴェリコタルノヴォでした。15日の振替出勤は、休みをもらいました。
13日(木)、また不覚にもうたた寝してしまった…。23時過ぎくらいにこれを書き出して、日付だけ書いて、内容考えながら横になってたら寝てしまった。ちゃんと布団に入ったのは2時頃、うーん、これでは疲れがとれん。ちなみに、この日は特に何もなかったので、何を書こうか考えあぐねていたことも災いしてるかな。あ、郵便局から不在通知が来てた、これくらい。14日(金)、日本から泉ピ○子が来勃!(爆)いやいや、もちろん本人じゃないです。昨日届いていた不在通知を持って、朝郵便局へ行って受け取って来た荷物に入ってたのが、「渡鬼」(こんな風に略すのか?)のインスタントラーメン。職場でニヤニヤしながら眺めてました。ナイスなチョイスをありがとう、という感じです。いやー、持つべきはツボのわかる人ですね(笑)。早速夕食にさせていただきました(早っ!)。久し振りに食べた日本のインスタントラーメンというのもあるけど、かなり美味かったです。ふたは記念にとっておこう(爆)。15日(土)、タルノヴォ、いいですねぇ。また行きたいです。というわけで、用事があって、ヴェリコタルノヴォに行って来ました。もちろん日帰りじゃなくて、同期の人の家に泊めてもらって、次の日スタラ帰りです。朝、9時15分のバスでスタラザゴラ出発、初のシプカ峠越え。途中、カザンラクで関係者の人が乗って来て、話しながら、ガブロヴォ経由でヴェリコタルノヴォ入り。3時間くらいの道のりでした。同期の人たちと合流し、中心街で昼食。バスに一緒に乗って来た人と、同期の人の内の1人は用事があるため、ここで一旦お別れ。同期のもう1人と途中まで一緒に観光、その後別行動で、道に迷いながらプラプラしてました。写真を別サーバに置くつもりなので、良かったらご覧下さい。天気悪くて、写りがイマイチですが。夜は、帰国する人たちの送別会。これが今回の目的です。3時間くらいで終了、泊めてもらう同期の人の家へ。デジカメの画像をパソコンに吸い出そうと思ったら、ケーブル忘れた、まぁいっか、明日は帰るだけだし。16日(日)、すっごい嫌な夢をみて目が覚めました。いまだに前いた会社を辞める原因になった人が出てくるって、どういうことでしょう。しかも、わけもわからず外国の大学に留学を命ぜられ、嫌で嫌でしょうがなくって、狂ったフリをしているのか本当に狂っているのか自分でもわからない行動をとって周りを困らせていました。精神状態がちょっと表れているかなぁー、というわけで、不安定気味です。いや、夢の話とか、どーでもいいですね、すんません。今日はスタラザゴラに戻っただけなので、書く事がなくて、つまんないこと書きました。
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電話番号について。同じ街の中でも、長いのと短いのがあります。スタラザゴラでは、市外局番のあと、6桁と5桁の番号があります。多分、新しい番号と古い番号だと思うんですが、共存してます。日本だと、同じ地区だったら、一斉に変わってしまいますが、そういうことはないみたいです。電話局に問い合わせたわけではないので、あくまで予想です。悪しからず。

2004年5月12日(水) 転送用のアドレスを止めているので、そこに来ていたスパムメールがぱたっと止みました。快適快適。
12日(水)、いやー、よく歩いた1日でした。朝1時間、昼1時間、夕方1時間。ホテルリサーチを頼まれたので、概観の写真を撮りに回ってました。ついでに、記念碑補完の続き。地図に書いてある記念碑は、これで全部見たことになりました。職場では、外部からのお客さんで、前にデジカメの写真をCDに焼いたお礼、と言って、フランスからきたコーヒー(豆を挽いた状態のものだと思う、まだ開けてないのでわからない)をもらってしまいました。家では、水道メータ検針のおばちゃんが来ました。10立方メートル多く数字を書いた(帰ってから気付いた)ので、今回の支払いは高いけど、次回の支払いは安いはず。こんな感じの1日でした。

2004年5月11日(火) 生存証明になりつつあるなぁ…まぁいいか(笑)。
11日(火)、平和な1日でした。特記事項なし。あ、ちょっとした新たな発見が1つ。携帯で実はE-mailができました。電話会社のウェブサイトを見てたら、やり方が書いてありました。もちろん日本語は使えません。半角英数記号のみ。しかも字数がかなり少ないようです。しかも、電話会社のサーバの問題だと思うけど、受信するまでに随分時間がかかることがあるようです。早い時はすぐに送られて来ますが。アドレスは電話番号そのままで変えられないようです。暇つぶしに送ってみたい人がいたら、アドレス教えますので連絡下さい(笑)。

2004年5月10日(月) 旅行の疲れがちょっと残ってるなぁ、仕事中、眠かったです。
10日(月)、ブルガリアに来て2度目の散髪、ばっさりと短くしました。10数年ぶりくらいの短さです。これでしばらく床屋に行く必要がなくなりました。さて、昨日の炊飯器の続報。コンセントの変換コネクタを探したんですが、見つからず、結局自分で付け替えました。コンセントは、何でだかわからないけど元々家に落ちてたもの、半田ごてと半田は、前にプリンタを直そうとして買ったもの、足らないのはビニルテープくらいなので、職場からの帰りにパザールで買いました。元々炊飯器に付いてきたコードが黒で、落ちてたコンセントが白なので、色がちぐはぐだけど、別に問題なし。付け替えて、コンセントにさしてみると、おぉ、ちゃんと電気つくなぁ、じゃあご飯を炊いてみよう。しばらくすると、ご飯の匂いが。ずっとついている必要がないってすばらしい。しかも時間的にも短い気がする(気のせい?)。炊きたてを食べてみたら、なんとなく鍋で炊くより美味しいような気がする(気のせい?)。保温もできるようなので、朝に暖かいご飯が食べられる、すばらしい。実家から、炊飯器でできる料理の本を送ってもらってたので、材料を買ってきてやってみようかと思ってます。食べられるものができたら、また料理のページに追加していくつもりです。気長にお待ち下さいませ(笑)。

2004年5月9日(日) メルニック・サンダンスキ珍道中、とくとご賞味下さい(笑)。
5日(水)、飲み食い疲れました。13時頃から17時頃まで、言ってしまえば宴会です。前から聞いてはいた、子羊の肉を食べる日。なんでも、穀物にとって雨が重要なこの時期の降雨を祈って羊を神に捧げ(いわゆるスケープゴートというやつですか)、その肉を食べるんだそうです(ブルガリア語で説明されたから合ってるかどうかわかりません)。朝、いつものように写真家のおばちゃんの所にいたら、10時過ぎくらいに職場の長が来て「今から行くぞ」と。昨日聞いた時間は11時半だったんだけどなぁ。開始時間なのかな、と思いながら、外に出ました。職場の車に乗り込み、近くの村へ。職場の長の実家がある村なんだそうです。会場も、職場関係の「元学校、今は考古学博物館(らしい)」。食事の準備をしたり、展示を見せてもらったりして、いい感じに腹が減ってきたところで「乾杯」。カザンラクの博物館から、お客さんも来てました。新聞社の編集長(?)も来てて、うーん、相変わらず人の繋がりがわからん。最初からラキヤを飲んで、早々にできあがり、調子に乗ってサラミ類を食べ過ぎたので、もったいぶって出てきた肉とご飯があまり食べられなかった…。バニツァとパンに至っては、1口も食べられず。しばらく戦線離脱して、外で休憩、終わり近くに出てきたケーキだけは、ちゃっかり食べました。ちなみに、由来通り、途中から雨が降り出しました。おぉ、神の恵み(笑)。そんな雨の中、17時ちょっと前に、帰宅第1陣でスタラザゴラに戻りました。今日は満月だけど、こんな天気じゃ見えないなぁ。というか、連休中は晴れて欲しい。星がきれいらしいところに行く予定なので。旅行記は後ほど。6日(木)、4連休初日です。明日からの旅行へ一緒に行く同期の人が来ました。スタラザゴラに来たら、ここくらいしか案内できるところがないので動物園へ。前に行った時はいなかった、かわいらしい小熊が2頭いまいた。ぬいぐるみみたい。動物たちは、相変わらずやる気なさそう(決してけなしているわけではないです)なんですが、どうやら食後だったようで、さらに輪を掛けていました。夕べは嵐だったから、その湿度が残ってて、ブルガリアらしからぬジメジメ感もそうさせた原因の1つかも。あ、でも熊(大きいほうです)は何だか落ち着きなく同じ所を行ったり来たりしてました。そんなわけで、一通り見て、街に戻って来ました。夕食はイタリアン。アドナィのカルツォーネ、美味しかったです。その後、家に帰り、何だかんだ話をして寝ました。明日からの3日間、晴れるといいな。7日(金)、メルニック最高。これだけじゃだめですか?来てもらわないと良さがわからない(笑)。一応足取りくらいは書いておきます。前にソフィアに上がった時と同じ7:30の2階建てバスでソフィアへ。都市間バス発着所で、別の街から来る人と待ち合わせ、運良く10:40発サンダンスキ行きのバスに乗れました。約3時間でサンダンスキ到着、メルニック・ロージェン行きは15:30発なので、時間をつぶすため、中心街のカフェへ。15時くらいに、バス発着所へ戻る途中で、別の街の人に会いました。今日中にブラゴエフグラッドまで戻らないといけないらしく、とりあえずメルニックはトンボ返りになるけど自分たちに同行。40分くらいの道のり、実家から電話があってびっくりしたのと(通話の途中で携帯の電源が切れた、また不具合?)、ウェルカムギリシャみたいなショートメールが電話会社から携帯に届いてびっくりしました(国境に近い街だから、GSMあっさり国際ローミング?)。メルニックに着いて、車の多さにびっくり、やっぱり連休です。とりあえずホテルチェックイン、部屋が空いてて良かったです。その後、バス発着所近くのバーでワインを飲みながら、トンボ返りの人が乗るバスを待っていたら…まんまと目の前を通って行ってしまいました。店の人に事情を話したら、タクシーを呼んでくれるとのこと、その人の兄弟が運転手(?)のようで、話が早い。しばらく待ってたら来ました。見送って、ちゃんとサンダンスキから出るバスに乗れたかねぇ、なんて話をしてたら、その人からメールが来て、無事乗れたようです。良かった良かった。その後、自分たちは、メルニックの街中を散策、ちょっとした山登りをしたり(めちゃくちゃ景色がきれいだった)、奥のほうに行ったら、妙にフレンドリーな兄ちゃんが、色んなところを案内してくれたり(ガイド料とられなかった、暇だった?)。ちょっと疲れたので、一旦ホテルに戻り休憩。その後、星を見に外に出たり(ちょっと寒くて長い時間見られなかったけど、すごくきれいだった)、おもての看板に微妙に間違ったカタカナで店の名前(?)が書いてあるバーで軽く食事をとったり(魚が美味しかったです)。お腹いっぱいでホテルに戻って来て、ちょっと写真の整理をして寝ました。明日はサンダンスキ、温泉に入れるといいな。8日(土)、行き当たりばったり。サンダンスキで焚き火をするとは思いませんでした。なかなかできない体験です。順を追って書いてみます。まず朝はゆっくりと起きて、11時前にホテル出発、夕べ食事した店で朝食兼早めの昼食をとり、ロージェン行きのバスを待ちます。予想より少し遅くにバス到着、ロージェン村まで10分ちょっとの道のり、0.5レヴァ。村に着いたら、今度は徒歩でロージェン修道院へ。坂道を登ると、原っぱに今は閉まっている教会と修道院がありました。帰りのバスまで時間があるので、ゆっくりと修道院を見て、原っぱでのんびりして降りてきました。バス発着所のカフェで軽く食事、店を出たらすぐバスが来ました。メルニックを経由してサンダンスキまで、1時間かからずに到着、2レヴァでした。さて、ホテルを探そう、と見付けたところ全部あたったけど、なんと空室なし。こりゃこまったねー、とりあえずバス停まで行ってみよう、ということで、振り出しに戻る。同行の人たちに色々当たってもらってる間、荷物番、戻ってきたので話を聞くと、山のほうにバンガローがあって、そこだったら空いているし、安く泊まれる、とのこと。他に選択肢もないので、言われるまま車に乗せてもらい、現場へ。着いたところは、本当にキャンプ場。バンガローを見せてもらうと、うーん、いいんじゃない。一晩20レヴァ、送迎代を往復10レヴァよこせ、ということだったので、1人10レヴァやね、決定。明日、迎えに来てもらう約束をして、教えてくれた人とは別れました。さて、とりあえず何をしよう、まずキャンプ場のレストランで水を買ってボーッとしてみます。そのうち、焚き火をしよう、ということになり、焚き木拾い。火をつけて、んー、暖かいねー、なんて言いながら、メシはどうしようという話になり、他にもキャンプしてる人たちはいたけど、「食料分けて」と言えず、他の2人に買出しをお願いして、自分は火の番をしてました。足がないのに買出しに行ってもらい、相当苦労したようです。どうもありがとう。おかげでメシにありつけました。食べながら、色々と話をして、気付けば23時過ぎ、そろそろお開き、と空を見上げていると、目が慣れてくるにつれて星がたくさん見えてきました。少し暗くなっている所に行って、寝転んで星を見てたら、人工衛星4つくらい、流星痕(って言うんだっけ、流星の飛跡が白く残るやつ)が少し残るくらい長い流れ星1つ見ました。昨日のメルニックに負けない星空。ちょっと雲が出てきてしまったし、寒くなってきたのでバンガローに戻り、明日に備えて就寝。ちゃんとスタラザゴラに戻れるといいなぁ。そうそう、こんなわけなので、温泉には入れませんでした。また次の機会の楽しみ、ということで。9日(日)、無事スタラザゴラに戻って来れました。いつものように流れをば。朝、8時に迎えに来てもらう約束をしていたので、間に合うように起きて準備、昨日「7時半じゃはえぇよ」と言われて8時にした割には、7時40分くらいにおっちゃんが来ました。眠そうなおっちゃんにバス発着所まで送ってもらい、昨日払った足代の残りを払おうとしたら、もう5レヴァ払え、と言われ、ちょっとくいさがると、どうやら「送・回送・迎」で合計15レヴァだったらしい。語学力の弱さがここにも出てますね、まぁしょうがないので払いました。で、ちょうどバスが止まってたので、乗り口に行ってみると、まさにドアが閉まる寸前、運転手に声を掛けて、席が空いてるか訊いたら大丈夫そう、全く待ち時間なくソフィア行きのバスに乗ることができました。ここで、行き先が違う人とはお別れ、温泉に入ってゆっくりしてから出発するそうです。ちょっとうらやましい。行きは3時間でサンダンスキまで来ましたが、帰りはブラゴエフグラッドのバス発着所に寄ったので、20分くらい余計に時間がかかりました。ソフィアに着いて、スタラザゴラまでのバスの切符を購入、ちょっと買い物してから帰るつもりだったので、2時間後くらいのバスを予約。ソフィアまで同行してくれた人は、スタラザゴラからさらに倍の距離に住んでいるので、早めのバスに乗車、気を付けて〜。さて、買い物。以前行った中華雑貨屋で目をつけていた炊飯器、ご飯を鍋で炊くのがいい加減面倒くさくなってきたので、ついに買ってしまいました。少々痛い出費ですが、今後の手間を考えるといずれ減価償却できるはず。昼食を食べながらバス発着所に戻り、適当に時間をつぶしてバス乗車。そこそこ混んでました。途中で止まったチルパンでは、乗れない人がいたみたいだし。約3時間でスタラザゴラ到着、無事家にたどり着けました。貴重な体験ができた旅行でした。そうそう、炊飯器ですが、家に帰って箱を開けてみたら、コンセントの形状が違ったので(店でよく見てなかった)、今日はご飯を炊けず。明日以降、変換コネクタかコード自体を探さないと。
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ガムについて。こっちの人は、よくガムを噛んでいます。で、例えばタバコを吸う時、タバコの箱に噛んでたガムをくっつけて、タバコを吸い終わってからまたそのガムを噛む、コーヒーを飲む時は、ストローやコーヒーカップのへりに噛んでたガムをくっつけて、コーヒーを飲み終わったらまたそのガムを噛む、という感じで、1回使い捨てじゃないようです。まずくないのかな、硬くないのかな、なんて、余計な心配をしてみたりしてます。

2004年5月4日(火) 6日から4連休、旅行の計画を練ってました。うまくまとまらんもんです。
4日(火)、今日は発掘現場を見てきました。引っ張ってってくれたのは、やっぱり写真家のおばちゃん。色んなところに連れてってくれて、感謝してます。14時くらいに出発、職場から歩いて10分くらいのところかな、3人で掘ってました。1人は博物館の人、あと2人は見たことないけど日雇いの人なんでしょうか。遺跡のことを博物館の人に訊いたら、2世紀くらいの教会らしいです。現場一帯を、数m掘り下げてあったけど、建物跡自体は、その外まで続いている模様。家とか建っちゃってるから、範囲を広げることはできないよねぇ…。というか、こういう状態を見ると、自分が今住んでいる下にも、何か埋まっているかも知れない、ということですねぇ。1時間弱くらいそこにいて、写真を何枚か撮って職場に戻ってきました。人骨の写真も撮ってしまった、塩まいといたほうがいいかな(笑)。ちなみに、帰りしな、おばちゃんの案内で、いつもとは違うギャラリーにちらっと寄ってきました。今は抽象画の展示をしているようで、うーん、絵のことはよくわからん…。そうそう、午前中に、ようやく水道代を払ってこれました。これもおばちゃん同伴。どこまで世話になってるんでしょ、ワタクシってば(爆)。前回同様、たらい回しの末。でも、親切にも案内してくれる人がいて、助かりました。次からは、自分1人で払えるようにしようっと。そんなわけで、割と話題があった1日でした。

2004年5月3日(月) 今月は、どこまで文章を短くできるか挑戦?
3日(月)、月がきれいですねぇ〜。…という書き出しなので、今日も特別なことは無かったです。朝、実家に郵便を出したのと、帰りに卵買う時、細かいお金が無くて10個買う予定だったのを6個にしてもらったことくらいかな、普段と違うことといったら。最近(といっても昨日から)、ベランダでボーっとすることが日課になりつつあります。夕方(職場から丁度帰ってきたくらいの時間)、鳥がいっぱい飛んでるんですねぇ。結構建物すれすれのところを飛んでいきます。二度と同じ飛跡を描かない鳥たち、見てて飽きません。あと、夜のベランダ。まだ今日しか見たことないけど、書き出しにあるように、月がめちゃめちゃ明るいです。ということは、他の星は見えにくいわけだな…。月が無い夜は、どんな感じなんだろう。ベランダ側には、大きな道路があって、建物もあって、結構明るいから、「うわぁー」と溜息がもれるほどの星空は期待できませんが。…あ、何だかんだ言って、結構文章を書いてしまった。こういうことはつれづれネタですねぇ、本当は(笑)。
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靴のサイズについて。こっちでは、日本のようにcm表示ではないです。38とか42とかいう数字です。自分の持っている靴で、両方表示してあるのを見ると、41が25.5cm、42が27cmです。…換算の式があるんだろうか?というか、普通に考えたら、数字が大きいほうが細かい区切りを表せるんだから、cm表示より幅が出てもよさそうなのに、なんで1しか違わないんだろう?ひょっとして、会社によって違う?適当?ちなみに、42の靴は、日本で買って、41の靴は、こっちで買いました。25.5cmは小さいです、自分の足には。試し履きした時は丁度良い、と思ったのに。

2004年5月2日(日) 4月分を別にしたので、30日の分は別ページです。
1日(土)、主夫業に専念。朝から掃除、布団干し、洗濯などなど。外に出てないので、何もネタはありません。明日はどうしようかな。2日(日)、たまには「のぉ〜んびり」な週末もいいよねぇ〜、ということで、買い物に出かけただけで、あとは家でボーっとしてました。スタンドバイミー読破(もちろん、日本語訳版)。こんな話だったんだねぇ〜(実は原作も読んだことなければ映画も見たことなかった)。ベランダに出てぽけーっとしてみたり(鳥(ツバメ?)が飛んでて、あんなふうに飛べたらいいなぁ、と思ってみたり)、昼から風呂に入ってみたり。でも、何してても時間が過ぎるのって、早いですねぇ。


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