2004年3月31日(水) 3月が終わります。日本では新学期ですね。桜は咲いているのかなぁ、とか、実家の近くの神社のお祭りがそろそろだなぁ、とか思ったりしてます。
29日(月)、今日は話題が2つ。1つは、国内郵便初発送。報告書を事務所に出すために、郵便局に行きました。宛先も自分の住所もしっかり書いてあるので、何も言わずに窓口に出しただけです。窓口の人から何か言われたけど、よく聞き取れずに、そのままにしてたら何事もなかったように処理してくれました。A4ファイルサイズの封筒に、10枚くらいの報告書を3部、これでソフィアまで1.25レヴァでした。しっかりしたレシートを発行してくれるんですね。一応発送証明、というやつでしょうか。ちなみに、この郵便を送るために、色々とあって、家と職場の往復を2回しました。通勤・帰宅を合わせて3往復。良い運動です。もう1つの話題は、靴を買ったこと。日本から履いてきた雪国仕様のショートブーツ(というか、これはもう長靴)が、いい加減暑くなってきたので、通気性の良さそうな運動靴を買いました。何回も試し履きをさせてもらって、ようやく決定、靴下も分厚い冬用のしかなかったので、薄手のものを一緒に購入。靴が15レヴァ、靴下が0.50レヴァのものを3足、50ストティンキおまけしてもらって、全部で16レヴァでした。ちなみに、散々試し履きしたにもかかわらず、家で履いてみたら…おや、ちょっと小さいかな、まぁでも大丈夫だろう、ということで、相変わらず買い物の下手さ加減が露呈したのでした。30日(火)、当局からのお達しがあったので(どこだい、当局って)、バスの時刻表を調べてきました。職場からの帰り道、ちょっと寄り道をして都市間バス発着所に行きました。改めて見ると、色んな所にバスが出てるんやねぇ〜。鉄道があまり発達していない分、バスが足代わりになっているのがよくわかります。高級デヂカメがあれば、写真1枚撮ってあとでそれを見ながらゆっくり編集できるけど、自分の持っているのでは心もとないので、全部紙に書きました。一番大きな時刻表を、まず書き写します。「一番大きな」というのは、これが全部ではないから。切符を売っている窓口付近にも、別なちっちゃい時刻表が貼ってあるんですねぇ。ちなみに、どこのバス発着所の時刻表もそうだと思いますが、出発時間が時系列で並んでない。どういうことかというと、例えば「11.30 15.00 14.30 9.15」のようにばらばらに並んでます。電子化したらソートすればいいけど、その場でぱっと見た時、分かり辛いです。まぁそんなこんなで、ガシガシ書き写して、一通り見終わったかなぁ、というところで帰りました。家で、ご飯を食べてから、今度はそれをエクセルに打ち込みます。並べ替えとかするのは、やっぱり表計算ソフトがあったほうが便利。最終的に当局(だからどこなんだってば)に渡す時にテキストにすればいいんだから。余計なことやってたからちょっと時間かかったけど、それっぽいのができました。めでたしめでたし。31日(水)、最近、変わったことがあると、思わず「しめしめ、ウェブサイトネタになる」などと考えてしまう自分がちょっと嫌です(笑)。今日の「変わったこと」は、お誕生日会。いつものように、写真家おばちゃんのところでウダウダしてると、「画像加工して」おばちゃんが来て、なにやらすごい勢いでまくし立てます。自分の部屋に来い、ということを言っているらしいのですが、よく聞き取れません。写真家おばちゃんと一緒に部屋に行ってみると、そこには宴会の準備が(といってもささやかなお菓子とコーヒーカップが並んでいるだけですが)。誘ったおばちゃんの誕生日のようです。「おめでとう」といって、チョコをもらいました。準備がしてあるということは、まぁみんなでワイワイやるんだろうなぁ、と思って、テーブルの上をもう一度よく見ると、ん?アルコールが入っているっぽいビンが。コニャックらしいです。うーん、午前中から酔っ払いか(笑)。写真家おばちゃんのところから部屋に戻らずに寄ったので、辞書やらノートやらを置きに一旦部屋に戻り、手ぶらもなんだから、たまたま持ってきてた千代紙で花を折って持っていきました。勧められるまま長椅子の奥の方に座らされ…って、途中退場できないように固められてしまうのか?(爆)格闘技で言えばマウントポジション、逃げられへんやん。まぁいいか、今日は大した仕事もないし(いつもだけど)。ちなみに、コニャックをどう飲むのか気になってたんですが、コーヒーの中に入れてました。チェイサーの柑橘系ジュースもあるし、適当にお菓子を食べながらだから大丈夫だろう、ということで、とりあえず集まった人たちで乾杯。少量のアルコールとはいえ、空きっ腹にはききますね。ちょっと酔っ払ってきたので、調子に乗っていいペースで飲んでたら、コニャックを注ぎ足されてしまいました。薄めないと何度くらいかな、40度くらいあるんかな、そんなことを考えながら、注がれるままに飲んでたんですが、お昼過ぎても場に動きがない(人の入れ替わりはあったけど)、きりがないと思って、無理矢理脱出。そんな感じで、今日は昼間っから酔っ払いでした。ちなみに、宴会の最中は、話を聞いてただけ(ほとんど内容は理解してないけど)、とても口をはさむ隙間なんてありません。唯一喋ったのは「乾杯」くらいかな(爆)。午後の仕事は…ご想像にお任せします(笑)。今日はこれでネタができた、と思っていたら、夜、もう1つネタができてしまいました。何時頃か忘れたけど、呼び鈴の鳴る音がしました。ひょっとして水道メータ検針の人かな、と思って何の気なしに扉を開けたら、見知らぬ男の人が2人。何か喋ってるけど、よーわからん、ん?教会がどうのこうの、というのが聞こえたぞ、ひょっとして、宗教勧誘か?!そういえば、手には小さな冊子を抱えているな、断り方知らんけど、「いいえ」と言っとけばいいだろう、と思って「ね」と一言、扉を閉めました。一応のぞき穴からその後の動向を探ってみましたが、おとなしくエレベータに乗るようでした。これからは、もうちょっと慎重に扉を開けるようにしよう。あまりにも軽率過ぎました。今後、連絡が途絶えたら、この2人にやられた、と思って下さい(爆)。
2004年3月28日(日) この週末は、1歩も外に出ませんでした。すごい不健全(笑)。でも、おかげで溜まってた仕事がだいぶ進みました。家にはお仕事を持ち込まない主義だったんだけど…しょうがないですね。
26日(金)、今日は、電話代を払ってきました。といっても、自分の分ではなく、帰国した同じ街の人の分です。電話を解約した時に払うことができなかったそうで、お金を受け取っていました。昼休み、窓口に行ってみると、お金を払うらしい所の電気がついてない、人がいる窓口に行って聞いてみると、13時から、とのこと。しょうがないので、一旦職場に戻って出直します。大体丁度の時間に同じ窓口に行って、お金を払えるかどうか聞いてみると、どうやら違う窓口のようです。2階に行け、と言われてしまいました。言われた通り2階に行き、それらしき窓口へ。電話番号が書いてある紙を見せると、その人の名前を言われたので「だー(はい、の意)」と答えたら、払うことができました。受け取ってた金額より少なかったので、お釣りは新しく5月くらいからこの街にくる人のために使わせてもらおう(笑)。というわけで、自分が電話をひいた時の、支払いのシミュレーションができたのでした。めでたしめでたし。27日(土)、特記事項なし。1日外に出ませんでした。なんてジメジメした生活送ってるんだ(笑)。まぁ天気悪かったし、特に用事もなかったので。28日(日)、今日から夏時間です。時計を1時間進めないといけません。これで日本との時差が6時間になります。目覚し時計と携帯と腕時計は自分で時間を直しましたが、パソコンは立ち上げたら自動で変更してくれました。さすが。
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食堂、レストランのメニューについて。書いてあるのに、ないことがよくあります。材料がないのか、作るのが面倒なのかわかりませんが、結構な確率で「ない」と言われることがあります。逆に、これはないけど、これとこれとこれと…はあるよ、という感じで、メニューに書いてないのがあったりします。全部は聞き取れないので、聞き取れたものを注文したりしてます。
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小さいもの、かわいいものの言い方。語尾に「ч」とか「чка」とかが付いたりします。例えば、姉妹のことを「сестра」と言いますが、妹のことを「сестричка」と職場の人は言ってました。でも、辞書をひいたら、あんまり良い意味ではなかったんですが…。他には、3月1日に交換し合う「мартеница」も、小さい物は「мартеничка」と言っているのを聞いたことがあります。幼児言葉としてよく使われているそうですが、子供と接する機会があまりないので、まだちゃんと聞いたことがありません。
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お店について。結構頻繁に移転するようです。自分がこっちに来てから、職場までの通り道で、既に4・5店舗変わっているような気がします。これじゃあ、お店まで載った詳しい地図は、意味がありませんね。人づての情報を大事にするこっちの人の気持ちが、ちょっとわかった気がします。まぁそれでも、真偽の程は定かではありませんが(笑)。
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上のことに関連して、人の情報について。こっちでは、人にものを尋ねる時は、少なくとも2人以上に聞け、といいます。それだけ人によって、返ってくる答えが違うんだそうです。でもそれは、答えている人が嘘を言っているわけではなく、その人が正しいと信じている情報を提供しているだけなんです。たまたま古い情報なのかも知れないし、直接知っているわけではない情報に尾ひれを付けているのかも知れないし。やっかいなのは、それを「自信を持って言い切ること」。はたから聞いて、えぇっ、それおかしいんちゃう、ということも、何の疑いもなく言い切ります。それでいて頑固だから、それちゃうよ、と突っ込んでも大抵聞く耳持たずです。…まぁ、これらは、ちょっと極端な例ですが、少なからずこういうこともあるよ、ということで。
2004年3月25日(木) 1週間って、早いですね。これをアップする時には、もう金曜日。1ヶ月って、早いですね。もうすぐ3月が終わってしまいます。この分だと、ブルガリア滞在期間もあっという間に終わってしまいそうです。そして、あっという間に一生が終わっていくんだろうなぁ…。人類の歴史の中の、ほんの一瞬、地球の歴史で見たら、もっと小さい時間、宇宙の歴史の中では、もうないのと同じ。…すみません、まだちょっとおかしいみたいです。
24日(水)、昨日の、XPでCD書き込みしてファイルが見られなくなってしまった件について、おそらくこれだろう、という結論に達しました。ここにも書いてありますが、キリル文字の「л」が原因だと思われます。昨日ダウンロードしたパッチを当てておいたので、今後は大丈夫でしょう。閑話休題。今日は、ネタが2つ。1つは、職場から帰る時のこと。17時近いし、ぼちぼち帰る準備するか、と思っていたら、何やら外で音がする。よく見てみると、結構雨が降ってました。あー、ついてないなぁ、と思いながら、出入り口まで歩いていると、ゴロゴロと音がする。雷まで鳴っているようです。傘をさして外に出て、しばらく歩いていると、今度は白い塊が降ってきました。雹っていうんでしょうかね、こういうのって。激しくなる前に、通りすがりの建物で雨宿り。みるみる車のワイパーの所に白いものが積もってくる、道路をすごい勢いで水が流れている、雷も激しくなる、あーあ、洗濯物干してきたのに濡れちゃってるなぁ、と思いながら、様子を見てました。雷って、横にも走るんですね。あまりじっくり見たことがなかったので、面白かったです。雹交じりの雨が、雨だけになってその勢いも弱まり、雷も収まったところで、帰途につきました。ネタのもう1つは、こんな状況の中、髪を切りに行ったこと。家のすぐ近くに髪を切るところがあって、前からそこに行ってみようと思ってました。看板だけみると、美容室みたいだけど、通りがかった時に中を見てみるとおっちゃんとかも髪切ってることあるから、多分大丈夫だと思って。今日は先客がいなくて(ここ最近はいつも誰かしらいたので入れなかった)入ってみることにしました。店のおばちゃんに「もじぇり?(できますか?)」と聞いたら、首を横に振られたので切ってもらうことに(ブルガリアでは、肯定で首を横に振る)。椅子に座って、どうする?と聞かれた(ような気がした)ので、前に同期の人から聞いてた単語で応酬。「短く」という単語が「くそ」というらしい(笑)ので、「とぅっく(ここ、という意味)、とぅっく、くそ、とぅっく、まるこ(ちょっと、という意味)くそ、もりゃ(お願いします、の意)」と言ったら、通じたらしい。他にも何か聞かれたけど、「だー(はい、の意)」と適当に答えてたら何とかなったらしい。切ってもらってる時には、ブルガリアにどんくらいいるの、とか、どんくらい勉強したの、とか、ブルガリア語は難しいでしょ、とか、今日の天気はろーしょ(悪い)ね、とか、やっぱりどこでも世間話をするらしいです。終わりがけ、別のお客さんが入ってきて、その人とすごい勢いで話をしながらも、きちっと仕上げてくれて、なかなか良い感じ。もっとひどい髪型にされることを、恐れつつ期待してたんだけど、普通に仕上がりました。時間は10分くらいでしょうか、4レヴァでした。日本じゃ考えられない安さですね。約280円。今後もそこで切ることにしよう。こんな感じで、馴染みの店ができていくんでしょうね。お店の人と、普通に会話できるくらいになった頃には、日本に帰ってしまうのかな、と思うと、ちょっと寂しくなったりもします。そうそう、洗濯は無事でした。屋根があるベランダっていいですね。25日(木)、昼休み、電気代を支払うために銀行でお金を下ろして、その後ハンバーガーを買って公園で食べてた時のことです。見知らぬ人が近づいてきて、「ちょっといいか」と。何だろうと思って話を聞いていると、どうやら人を知ってるか、ということらしい。最初に、日本人だろう、と確認された(ような気がした)ので、多分その人の日本人の知り合いのことを聞いてきたのでしょう。しっかり聞き取れなかったけど、聞いたことない名前だったので、知らない、と答えたら、そうか、と去って行きました。前に、この街にいた人なのかなぁ。何人かは知ってるけど、どの人でもないっぽい名前だったからなぁ。旅行者とかだったら、そりゃあ全然知らないけど、観光地ではないこの街に、その手の人が立ち寄るとは考えにくいし。これで、知ってる人の名前を聞かれたんだったら、もうちょっと話もできてよかったんだけどなぁ。残念。
2004年3月23日(火) 試験的に、その日あったことの中で、一番印象深いことについて書いてみます。
22日(月)、博物館の人に、発掘現場を見せてもらいました。前に、「なんだろう、この建物」と思っていた所です。街の真中に、どーん、とあるモスクです。博物館の人と一緒に、進入禁止のテープをくぐって、いざ扉へ。と、その前に、建物の周りも発掘されており、ちょっと説明を受けました。普通に人骨が転がってました。でかい鍵でもって扉を開けてもらって、中に入ると、なにやら神秘的な雰囲気。埃っぽい空間に、窓から差し込む光がきれいです。電気をつけてもらって、発掘している所に降りていきます。降りるといっても、地表から1m強くらいです。ここは、建物自体はモスクですが、その床の下にそれより前の時代のキリスト教の教会が埋まっているんだそうです。そして、更にその下にも、まだ何なのかがわかってないものも埋まっているそうで、連れて行ってくれた人は、少々興奮気味で話をしてくれてました。発掘途中の教会の周りにも、人骨が何体も転がってました。普段、こんなにも間近で人骨を見ることがなく、見ても博物館とかのガラスの中だったりするので、手で触れられそうなところにこういうものがあることに軽いショックと興奮を覚えました。モスクはイスラム教の建物であり、祭壇はメッカの方向を向いているそうです。キリスト教の教会の祭壇は、エルサレムの方向ですね。こうやって、実際の現場を見ることで、徐々に知識を仕入れていきたいと思います。23日(火)、昨日行かなかった写真家おばちゃんの所で、トラブルが発生してました。自分がいない時に、パソコンのハードディスクからCD-Rに写真を焼いてたら、CDのデータがなくなってしまった、というのです。見せてもらうと、確かにない。もう1回焼いてみても、そのデータが書き込めてない。ひょっとしたら、CDをクローズしてしまったのかな、とも思ったけど、でもそれだったら、クローズした時のデータは残ってるはずだし。わけのわからないままCDを貸してもらって、自分が使っているパソコンでじっくり検証。ネットを調べていると、XPでCD書き込みする時に、エラーが発生する場合があって、それのパッチがあったので、とりあえずそれをダウンロード。明日当ててみよう。他に、見えなくなったデータを見られるソフトがないかなぁ、と探していたら、ありました。IsoBusterという怪しげな名前のソフト。ここら辺にあります。これでCDを見てみると、今まで書き込んだセッションが全部表示されてて、見えなくなったファイルも取り出すことができました。ただ、キリル文字で書かれたフォルダ名が、正しいかどうかわからないので、明日持ってって聞いてみようと思います。原因がはっきりしないのが、何とももどかしいですが。どなたかこういう現象についてご存知でしたら、教えて下さい。
2004年3月21日(日) 2週間の刑期を終えて、無事娑婆に戻って参りました(爆)。
20日(土)、飲み会は1次会のみ。今後はそうしよう。2次会、3次会と、時間が経つにつれ、なんだろう、なんかおかしくなってくる。何で自分はここにいるんだろう、みたいな。…のっけからすんません、今日は、帰国する人たちの送別会、その時に、ふっと思ったことでした。その前に、安全対策連絡協議会なるものがあったんですが、そういえば、その時から何かおかしかったような気がする。投げやりな感じ。そんなわけで、今日の文章も、何だか投げやりです。すんません。こんな日はとっとと寝るに限る。明日も早目にスタラザゴラに戻って精神を立て直そう。そんなわけで、お休みなさい。21日(日)、12時のバスで、スタラザゴラに戻ってきました。今日は暑かったです。アパートに着いて、部屋の片付けをしたり洗濯をしたり、もらったビール飲んだり(笑)。アルコールに逃げるようでは、まだ回復してないな…。しかも酔えないし…。とっとと寝よう。
2004年3月19日(金) プラヴェッツ便り。でも発信はソフィアから。
14日(日)、久し振りの自分のアパート、何となく落ち着かない(笑)。午前中は、久し振りに実家に電話をかけて(多分IPフォンだと思う、前にブルガリア人のGさんに教えてもらったお店。公衆電話や携帯より安くて、何となく音声の遅延が少ない気がする)、その後ネットカフェめぐり。3ヵ所まわって、全部自分のパソコンを繋ぐのは断られました。そりゃーそーだよねー、DNSとかIPとか、店の情報が、わけのわからん日本人のパソコンの中に設定されてしまうわけだから。そう考えると、ボテフグラッドのネットカフェは、セキュリティ上、かなり問題があるなぁ。それはさておき、家に戻って昼食、午後は、もうすぐ帰国してしまう同じ街の人の準備手伝い。といっても、譲ってもらえるものを自分の家に運ぶだけ。今日の分を運び終えて、また明日残りを運ぶことに。その人の家で、ちょっとだけメールを受信させてもらい、家に帰って返事書きやらなんやら。夕食後、しばらく湯船につかれないだろうと思って、お湯をはって風呂に入りました。うだうだと明日出かける準備をして、0時半頃寝ました。15日(月)、熟睡してましたねぇ、8時ちょっと前の携帯メールで目が覚めました。起きなきゃ。洗濯・朝食を済ませ、ネットカフェでサーバ上の写真整理(今度は店のパソコンで)。日本語が表示できるといいんですけどね。お昼前に、帰国する人から最後の荷物を受け取りました。今まで色々とお世話になりました。最後の最後でバタバタしてしまって、すみませんでした。家に戻って、昨日の電話屋さんへ行って、日本に電話する用事があったので電話、その後、バス発着所へ。着いたら丁度ソフィア行きのバスがあって、待つことなく乗ることができました。でも、何も食べ物を買わずだったので腹が減りました。と思っていたら、途中で休憩が入り、昼食にありつくことができました。3時間強でソフィアに到着、夕方に1本、着いたバス停からプラヴェッツ行きのバスがあったな、と思い出し、窓口で聞いてみると、16時半にあるとのこと。ラッキー、30分くらい待つだけでいいぞー。料金も3.5レヴァと、別のバス停留所までタクシー使うこと考えたら安い安い。大体時間通り発車、先週ボテフグラッドに行く時にバスに乗った発着所に寄り、そこから約1時間でプラヴェッツのバス発着所へ。先に行ってた人が待っててくれました。本当は今日のオープニングから手伝う予定だったのに、遅くなってしまってすみません。その後、一旦泊まる所へ移動、やはりボテフグラッドと一緒で、学生寮のようなところ、しかし、部屋の入口に「ディレクター」と書いてある!広くて良い感じの部屋です。今週は快適に過ごせそうです。荷物を置いて、もう1人の人が泊まっているホテルへ。3人で近くのお店で夕食。ボテフグラッドに続き、おそらくこの街始まって以来の日本人高人口密度でしょうね(笑)。食事を注文する時に、客の1人が何やら話し掛けてきて、何だかよくわかんないけど、ワイン1本おごられたらしい(爆)。1964年に東京でどうのこうの、とか言ってたけど、よくわかりませんでした。ちなみにこのお店、割と美味しくて、値段が安い。もしかしたら、今後ちょくちょく利用するかも。店を出て、ホテル泊まりの人の部屋にお邪魔して、ちょっとネットさせてもらい、寮に帰ります。毎日お湯が出るらしいけど、何があるかわかんないので、浴びれる時にシャワーを、と思い入浴。明日の分の鶴とか孔雀とかの折り紙の在庫を少し作って寝ました。16日(火)、朝、会場に行ったら、もう人がいっぱいだよ…先が思いやられるよ…。朝食のパンを食べ終え、作業開始。11時過ぎまでは3人体制、書道したり、折り紙したり、浴衣の着付けを見てたり、けんだまやったり、こままわしたり、割と余裕がありましたが、それ以降、今日の終わりまでは自分1人。2人が帰ったそのすぐ後に、団体さん、2役から3役こなしてた気がする…。13時過ぎに昼食、30分弱くらい休憩しただけで、18時近くまで立ちっぱなしで書道やったり折り紙したりしてました。うーん、さすがにちょっと疲れた。終わってから、夕食は、昨日ホテル泊まりの人から聞いたレストランへ。まぁまぁ、普通のレストランです。帰り道、ネットカフェでネットを、と思ったら人がいっぱい、明日でいいや、と思って帰って来ました。昨日、部屋にある電話線を1本見つけて、確認したけど信号なし、今日はベランダに出て、なんとなしにその電話線の行き先を追ってみたら、おや、もう1本部屋に入っている電話線が。暖房の裏に隠してありました。確認してみたら、信号が来てるじゃありませんか。使っちゃえ使っちゃえ、ということで、ネットしちゃいました(笑)。メールの返信を一通りして、シャワーを浴びたんですが、途中でぬるくなってきたので、早々に出ました。明日の準備をちょっとして、床につきました。明日は朝にもう1人来てくれて、2人体制でまわせるので、少しは楽になるかな。17日(水)、結局昼まで1人だった…。朝来る予定だった人が、遅れてきました。なんでも、プラヴェッツで降ろしてもらうように頼んであったのに、運転手が忘れていて、バスがソフィアまで行ってしまったそうです。その後も、この街までバスが出ている発着所まで行こうと人に聞いて行ってみたら違う所だったそうで、来るまでに疲れた、と言ってました(笑)。というわけで、午前中は昨日と同じように1人で会場にいました。主に書道、たまに折り紙。すごい勢いで両方の紙がなくなっていきます。2人体制になっても状況はあまり変わらず。多少長めの昼休み(といっても1時間なかった)後も、自分はひたすら書道、もう1人の人は折り紙その他。途中、あまりにも人が来て、しかも1人が何枚も書いてくれ、と来るので、おとなげなくキレそうになってしまいました。いかんいかん、こんなことでは。今日も17時過ぎまでお客さんの相手、博物館の人の1人のほうが先に帰ってしまいました。まぁ、定時上がりが普通の国なので、当然といえば当然。逆に残ってくれてた人に対して、申し訳ないです。展示場を出て、夕食は魚料理屋さん。偶然見つけて入ったんですが、久し振りに米にありつけてよかったです。寮に戻ってメール他。シャワーを浴びて、寝ました。18日(木)、目からウロコ。20年来の新事実(自分にとって)。しかも、日本文化なのに、異国の地で。というのも、こまの回し方、今まで間違ってました。一緒に展示会場にいる人に教えてもらったら、今まで以上に回しやすく、より強力に回せました。そーかー、あれにひもを引っ掛ければよかったんだー。というわけで、スキルアップです(笑)。それはさておき、今日も朝からすごい人です。8時半頃に寮を出て、朝食のパンを買って会場に行ったら、1団体既に入ってました。さっさと朝食を済ませ、書道を始めます。午前中、というか、15時頃まで人が途切れることなく入ってくるので、休みなし、立ちっぱなし。しかも今日も1人で何枚も書け、という子がいっぱいいて、半分やっつけ仕事気味でした。最初に断っておかないと、際限なくなってしまうんですよねー、こういうのって。昼食だかおやつだかわかんない食事をとっとと済ませ、また戦いの場へ。一応終了時間の17時より随分前に紙がなくなりました。しばらくは、紙がないから書けないよ、で逃げてたのに、博物館の人が紙を持ってくる、というので、再開。相変わらず、その紙と自分のノートを破いたので数枚書け、と言ってくる子がいて、イライラ。おとなげないです。結局今日も17時丁度には終わらず、少しオーバー。客がほぼはけたくらいに、応援部隊の2人到着、やったー、これで明日は少しは楽になるぞ。博物館の人が、ちょっとしたアルコールとおつまみを出してくれるというので、それをいただき、その後、日本人4人で夕食。おそらくこの街始まって以来の日本人高人口密度です(初日にも書いた)。昨日と同じ魚料理のレストランで食事をしました。今日はよく晴れていて、星がきれいだったので、時折空を見上げながら、寮まで戻りました。疲れとアルコールでかなり眠かったので、とっととシャワーを浴びて寝ました。19日(金)、プラヴェッツ千秋楽。今日は4人体制だから楽だろう、と思ってたのに、休憩なしで昼まで働きづめ。書道は、半分くらい応援に来た人にやってもらったけど、その時自分はひたすら折り紙。まぁでも、気持ち的には余裕がありましたね、自分の他に日本人が3人もいると。紙の枚数からすると、プラヴェッツだけで1000枚くらい書いてる気がする…。1人で何枚も書いてくれ、と言ってくる子もいれば、展示を見るだけで帰っていく人もいるので、差し引き0と考えると、入場者数も、のべ1000人くらいかな。ボテフグラッドよりも大勢来た気がします。12時過ぎに終了、片付けをして、事務所から迎えに来てくれた人の車に荷物を積み込み、14時前に出発、途中、湖を見て、ソフィアに向かいました。治外法権車だから、速い速い。1時間かからずに市内に入り、1ヵ所、展示品を降ろすところで降ろして事務所へ。少しネットして、近くのホテルに荷物を置きに行きます。その後、また事務所に戻り、買い物をする人について行きました。インド雑貨屋で、お香をゲット、スーパーで蕎麦をゲット、夕食もご一緒させてもらい、うまい食事にありつけました。ホテルに戻って、同室の人を待ちながらこれの下書きをしてたら、眠くて眠くてちょっと横になって、ノックの音で目が覚めたら日付が変わってました。戻ってきた人たちとテレビを見たり、話をしたりして、適当なところでシャワーを浴びて寝ました。
2004年3月13日(土) ボテフグラッド便り(意味不明)。来週はプラヴェッツ便り。
5日(金)、「ちょっと早いけど、どうぞ。あと、ちょっと遅いけど、これも」と言いながら、花と飾りを配ってまわりました。反応は上々(だと思う)。チョコもらったし、コーヒー飲んでけ、って言われたし。あ、ちなみに、職場の女性は、みんな子供がいるおばちゃんばかりです。花を配ったことによって、何かがどうかなるということは、あり得ません(爆)。いる人に配り終えて、写真家の人の所へ。11時頃までいたかな、相変わらず意志の疎通がうまくいきません。昼は、いつものハンバーガ屋さん。午後はDB関係と、報告書で職場の人に訊かなきゃわからないことを訊いたり。話をしたあとに、わからない単語を調べたりするので、内容を理解するのに、2倍以上の時間がかかります。そうそう、携帯に初間違い電話。知らない番号だったので、「もしもし」って普通に出たら、相手のほうが戸惑って、英語で「間違えました」と言って切れました。んー、誰と間違えたんだ?夕方、今日いなかった人の分の花を、月曜日に渡してもらうように頼み、職場を出ます。帰る途中、携帯電話の料金を払いました。2月分はケチりにケチって3.40レヴァ。極端過ぎ。それから、家の近くのお店で、前から気になってた「プルーペプシ」を買ってみました。その後、いつもの果物屋さんに行ったら「バナナもキウイもないよ」と言われてしまいました。家に帰って、早速ペプシを飲んでみたけど…味は普通やね。いつまでもプチプチと泡が消えないのは、ちょっとどうかと思うけど。夕食はパン。ジャムも蜂蜜もなくなった(本当はバナナでジャムを作ろうと思ってた)ので、ヨーグルトに砂糖を混ぜてぬってみました。微妙。あとは、明日からのお出かけの準備をして、風呂に入って、パソコンやって就寝。報告書以外でもまとめることがあって、色々大変です。あ、こんなんで時間がないはずなのに、PEDでパイルアップトレーニングしてた…なにを期待してんだか(すんません、マニアックな話題でした)。6日(土)、プロヴディフ観光第2弾…いやいや、前のは仕事だったから第1弾(笑)。同期の、プロヴディフ在住の人には、またまた大変お世話になってしまいました。いつもすみません。行ったところは、地球の歩き方に載っている所(見ただけも含む)プラスαといったところでしょうか。街全体、結構坂が多いんですが、見るもの見るもの興味深いものばかりで、そんなに疲れを感じませんでした。風景描写は…こればっかりはちょっと難しいので、写真に頼らせてもらいます。yahooサーバの写真をご覧下さい。そんなに枚数はないですが。夜は、サングリアというスペインの甘いワインを飲ませてもらいました。ジュースみたいで美味しかったです。ほろ酔いの良い気分で就寝。明日は初めての街に移動、楽しみと不安半々くらいかな。まぁ、なんとかなるでしょう。7日(日)、8時前に起床、昨夜書いたメールを送信させてもらい、朝食。一宿ニ飯のご恩、いつの日か必ずお返しを…。ご飯の後、ケーブルテレビのチャンネル設定をしてから、出発、どうもお世話になりました(というか、一緒に移動するので、この後もお世話になるんですが)。駅までタクシーで、11時24分発のソフィア行きの切符を買い、ちょっとした食料を買ってホームへ。19分にブルガスから到着する列車だと思ってたんですが、その時間に、別のホームに列車が到着、どうやらその列車らしい。あと4分くらい、別の列車がとまっている線路を1つ越えないといけないんですが、その列車の近くにいた人が「この列車を通って行け」と線路側の扉を開けてくれたので、階段を使わずに目的の列車にたどり着き、乗るのもホームではなく線路から。日本では、こんな体験できません(笑)。荷物が重くて1回では上がれなかったけど、何とか乗車、空いている席を見つけて一息。大体時間通りに列車が発車(すごいことだ)、しばらくすると車掌さんの検札があったんですが、どうやら自分が買ったのは2等車で、乗ったのは1等車だったみたい。けど「移動しなきゃダメ?」と訊い(てもらっ)たら「問題ない」と言われた(気がする)ので、そのまま席を占拠。とまる駅で乗ってくる客も、席の番号は見ずに、人がいるかどうかだけ見て去って行くような感じなので、多分席までは決まってないのでしょう。その後、また車掌さんが通り掛かった時に、ソフィアの1つ手前の駅で降りたかったのでこの列車がとまるかどうかきくために呼び止めて(もらい)、訊いて(もらって)みたら、13時57分に着くよ、とのこと。たびたびありがとう、車掌さん。小腹がすいたところで、駅で買ったものを昼食に。何駅か停車して、ほぼ時間通りに目的の駅に到着(すごいことだ)。乗り換えの、都市間バス発着所がわからなかったので、売店のおばちゃんに聞いてみたら、2人いるうちの1人がちょうど帰るところだったみたいで、途中まで道を教えてもらいました。ありがとう、おばちゃん。近くまで行って、やっぱりまだ正確な場所がわからないので、道を歩いていたおじちゃんに訊いてみたら、発着所まで連れてってくれました。ありがとう、おじちゃん。バスの発車まで50分くらいあるので、その辺をプラプラして時間をつぶし、15時15分のバスに乗ります。3レヴァでした。約1時間で、目的のボテフグラッドに到着、別で来ている人に連絡を入れ(てもらっ)たら、発着所まで迎えに来てくれました。数分歩いて、今日から約1週間、金曜日までお世話になる博物館へ。「日本の歴史文化展」の手伝いです。中心的役割の人と、手伝いの人で、日本人が自分も含めて6人、この街始まって以来の高人口密度ではないでしょうか(笑)。博物館の人と、最初はホテルに行き、まずみんなでお茶して、ホテル泊まりの人はそのままチェックイン、2人分は、主催者側で学生寮の部屋を用意してくれているらしいので、自分はそっちに荷物を置くために移動。その後、博物館に戻り、明日のオープニングの準備をすこしだけして夕食。魚が食べられる店に連れて行ってもらい、久し振りに魚料理を食べました。アルコールも入っていい気分、ホテル泊まりの人の部屋にお邪魔して、缶ビール(from マケドニア)飲んで、ギターに合わせて歌って、1時近くまで騒いでいました。苦情はきてないから、そんなに人が泊まっていなかったんでしょう(ということにしておこう)。自分ともう1人の寮泊まりの人と、寮に戻って(門限1時なのでギリギリでした)、すぐに寝ました。8日(月)、貴重な体験ですね、日本歴史文化展。オープニングから手伝えて良かったと思ってます。朝、展示会場に行き、午前中で展示の準備、昼食をはさんで、午後は少しネットカフェでメールチェック、オープニングが14時から、その少し前から広報活動、外でギターを弾きながら歌を歌っている人の隣りで案内パンフレット持って立ってました。時間になって、会場に戻ってみると、結構な人が集まってました。地元のケーブルテレビ局も来ています。セレモニーが済んで、いよいよ開始。けんだまを披露している人がいたので、んー、自分も何かやろうと思って、字が下手なのに書道を始めました。そうしたら、すごい人が集まってきてしまいました。本人の名前を当て字の漢字で書いて渡すと、喜ばれます。何枚書いたかわからないけど、一段落したところで休憩、なんとなく無線のコンテストに似てるな…。オープニングの人がはけた後は、人の入りが極端に減ったものの、全く誰も来なくなるわけでもなく、17時くらいまで何だかんだやってました。今日の展示はこれで終わり、あとはまたネットカフェでメール、その後夕食、宿に戻ってメール書き。あったことが多すぎると、かえって簡略化してしまう。とりあえず、寝ます。9日(火)、どパイルだぁ〜…すみません、わからない表現で。日本の歴史文化展 in ボテフグラッド、2日目です。昨日のオープニングの後、2人が帰り、今日も午前中で2人が帰り、残された2人で切り盛りしないといけません。4人体制だった午前中は、お客さんもまばらで、これくらいが丁度いいなぁ、なんて思ってたんですが、2人帰った後、学校のクラスなんでしょうね、子供たちが大勢来ました。自分は何故か書道担当なので、子供たちの名前の当て字を漢字で書いてたんですが、書いても書いても人垣がなくならない、終いには半紙がなくなってしまいました。そう、このように、呼びかけに対して一度に沢山の人が群がってくることを、パイルアップといいます。それに、程度が大きいことを表す「ど」をつけて…解説なんかどうでもいいですね、すみません(笑)。紙がなくなってしまったので、その場はとりあえず終了、気付けば13時半頃、昼食もとらずに、立ったままひたすら2時間近く字を書いてたことになります。あのまま紙がなくならなかったら、どうなっていたんでしょう。恐ろしや…。博物館の人に用意してもらった昼食をとり、ちょっと休憩、午後はお客さんもまばらで、対応にも余裕がありました。ヴェリコ・タルノヴォ大学で日本語を習っていたという人と話をしたり、諺を書いてくれと言われてすぐに思い浮かばず、筆に書いてあった漢字を書いてみたり(頼んできた人も日本語を話してた)、折り紙を折ってお客さんの帰り際にプレゼントしたり、ゆるりゆるりと時間が流れて17時頃に終了。どうもお疲れ様でした。博物館を出てから、いつものようにネットカフェでメール、帰り道の中華レストランで夕食を、と思っていたんですが、休みだということで、寮に戻って、中にあるお店で食べました。雨も降ってたし、外に出るのも面倒だったし。部屋に戻って、メールの返信、書道のための、漢字収集(書く時にすぐに頭に浮かばないので)、今日はお湯が出るので、シャワーを浴びて寝ました。明日は雨じゃないといいな…。10日(水)、雨ではなかったけど、窓の外を見たら白かったです。雪です。部屋が暖かいので、全然実感がありません。いつもより少しだけ早めに寮を出て、途中で朝食のパンを買って展示場へ。鶴を折ったりして準備していると、ぼちぼちと人が来始めました。書道コーナーに立ってなくても、背中に大きく「日本」と書いてある目立つハッピを着ているので、名前を書いてくれ、と言われます。最初は数人単位で来てただけなので、余裕があったんですが、学校のクラス単位でまとまって来だすと大変です。結局昼食は12時半過ぎ、それまで立ちっぱなしで漢字を書いていました。博物館の人が用意してくれたパンを食べて、さて後半戦、間髪を入れずに子供たちが波状攻撃を仕掛けてきます。何回も来ている子や、1人で何枚も書いてくれ、という子がちょっと控えてくれると、みんなに書いてあげられるんだけど、今日も紙がなくなりました。100枚以上は軽く書いてるな…。もう紙ないよ、と子供たちに言うと、買って来たら書いてくれる?と言うので、いいよ、と言ったら、本当に買ってきました。その買い物の時間、ちょっと休憩、その後、17時半近くまで書き続け。最後のほうは、ノートを破いて持って来る子供続出。そこまでして漢字を書いて欲しいのか!?というわけで、今日もどパイルでした。展示場を出た後、博物館の人たちとお茶をして、その後、いつものようにメールチェック、今日は帰り道の中華を食べることができました。久し振りに米、美味いです。寮に帰ってメールの返事だけ書いて、就寝、明日も大変なのかな…もう少し、こう、一気にじゃなくて、平均化して来て欲しいな…。11日(木)、250枚入りの紙が完売です。いや、売ってないから完売ではないな。とにかく、なくなりました。午後の、割と早い時間に。あとは、昨日のように、ノートを破いたり、紙を買って来たりした子供に対応、応援物資も合わせて、今日だけで300枚くらいは書いてる気がする…。昨日までで、100枚入りの紙が2つ既になくなってて、その前にも、もって来てた半紙がなくなってるから、今日までの総計600枚くらいは書いてる気がする…。まぁまぁ、それはさておき、今日の午前中に、昨日まで一緒に会場にいた人が帰ってしまい、しばらく自分1人でした。特に展示について説明を求められたりすることもないので、問題もなんですが。午後になって、応援の人(というか、首謀者の1人)が来てくれて、2人体制で対応、さらに、16時過ぎにもう1人手伝いの人が来てくれて、なんとかまわりそうな感じ。でも、その頃には、お客さんもまばらで、しばらくして閉店(いや、だから売ってないから店じゃないんだってば)。17時過ぎに、ホテル泊まりの人のチェックインを済ませ、いつものネットカフェでメールチェック、今日は、最初の日にみんなで魚料理を食べたお店で夕食。腹いっぱいです。寮に帰って、メールの返事、今日はお湯が出るので、シャワーを浴びて、就寝。忙しかったけど、明日でひとまず終わり。紙は多めに買っておこう(笑)。12日(金)、スタラザゴラに帰れませんでした。ははは。予定通りには行かないものです…というか、予定そのものを立ててないので、予定通りじゃないかどうかも定かではないんですが。それはさておき。今日でボテフグラッドの展示は終わりです。撤収の時間と、次に行くプラヴェッツへの移動もあるので、展示は12時までです。次の街も分も含めて、紙は500枚買っておきました。控え室のようなところで、お茶を飲んでいると、また子供たちが大勢来ました。下手くそ書道開始。午前中で終わりというのがあるから、幾分気は楽なものの、まとまって沢山来ると、やっぱりちょっと疲れます。今日はどうかなぁ、100枚くらいは書いた気がします。昨日までに比べたら、ペースが遅い気がするけど、もう1人の人も書いてて、午前中自分だけでこの枚数だと考えれば、トントンでしょう。12時になり閉場。人も沢山来たし(目的はどうであれ)、成功ではないでしょうか。とりあえず昼食、その後片付け。大体終わったところで、ネットカフェへ。小1時間ネットして、プラヴェッツから車が来たので、展示品の積み込み。荷物と一緒にボックスカーの後ろに乗っかってプラヴェッツへ。15分くらいの距離でしょうか、近いです。展示会場の博物館はきれいなところです。車から荷物をおろし、レイアウトを考え、お茶をいただき、バスの時間に間に合うように発着場へ。17時発ソフィア行きに乗ります。1時間ちょっとでソフィア到着、そのままスタラザゴラ行きのバスに乗ろうとしたら、なんと満席でした。19時発を逃したら、次は22時半、そんなの待っとれん、ということで、近くのホテルで泊まることにしました。トイレ・シャワー共同の安ホテルだけど、寝られればいいから問題なし。何もする気が起きなくて、とっとと21時頃に寝ました。13日(土)、ある程度予想はしていたけど、本当に見るとは思わなかった、部屋に侵入される夢を見て、夜中の1時頃に目が覚めました。鍵が1個だし、ドアチェーンもないから、心配がそのまま夢になって現れたんやね。実際は、何もなくなってないので、問題ないです。7時半頃に目が覚めて、出かける準備、メモしてあるバスの時間を見たら、8時45分というのがある、それに乗るべくホテルを出発。発着所に8時半頃到着、売り場で切符を買うことができて、席確保。これで乗りっぱぐれることはありません。朝食用にパンを買って乗車、席の番号がどこに書いてあるかわからず、オロオロしてたら、近くの席の人が教えてくれました。ありがとう、おじちゃん。ほぼ定刻にバスが出発、3時間以上かかるので、報告書を書こうかと思ってたのに、途中で眠くて寝てしまいました。大して寝てないんだろうけど、暑くて目が覚めました。太陽側の席で、足元に温風の吹き出し口があり、座席もなんだか異常に熱い、とりあえずカーテンを閉めて、体の向きをちょっと変えて、そこからは寝てるんだか起きてるんだかわからない状態でした。自分の住んでる街の近くになって、段々意識がはっきりしてきて、終点のバス発着所でちゃんと降りることができました。家に帰って、とりあえず昼食。その後、洗濯してシャワー浴びて、書き溜めたこれの下書きの打ち込み。19時頃だったかなぁ、呼び鈴が鳴ったので出てみると、何かの台帳を持った人がいました。最初、何のことを言っているのかわからなかったけど、話を聞いているうちに、前に同じ街の人から聞いた集金だな、ということがわかってきました。アパートの維持管理費、とでも言えばいいんでしょうか、1月2レヴァで、1月分と2月分で、4レヴァ払いました。その後もパソコン、適当なところで床につきました。
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携帯、再び。抑圧を受けているのは、どうもアンプ部かも知れないです(いわゆるアンプIというやつですね)。パソコンに繋いであるアンプ内蔵スピーカから、前にラジオで聞いたのと同じ音がしました。携帯の電波が強いのか、アンプのシールドが弱いのか…。他の電化製品にも、何かしら影響がありそうです。動作異常が表に出ないものだと、実際に影響を受けているのかどうかがわからないんですが。イヤフォンマイクの購入を、ちょっと真剣に検討しようかと思います。
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教習車について。多分「У」と書いた看板が屋根の上にある車が教習車だと思います。「училище」という単語が「学校」という意味なので、多分。結構無茶な運転してて、面白いです。日本と同じで、渋滞の原因になっていることもあります。
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せっかちさん?その2。前に映画を見た時のこと。映画のエンドロールが始まった瞬間に、みんな席を立ち始めました。自分もそれに従ったんですが、某魔女宅のように、エンドロールの後に続きがある場合にはどうするんでしょう。あと、これは聞いた話ですが、映画館側も、エンドロールの途中で上映を「打ち切る」そうです。日本だったら「金返せ」と騒ぐ人が出そうです。
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駅について。日本の「改札」というものが存在しません。駅舎とホームを自由に行き来できます。なので、切符の検札は、列車内の車掌さんだけですね。その検札も、今回のように、結構いい加減だったりします。ただ、まだ乗ったことはないですが、地下鉄は改札があるそうです。ソフィアにしか地下鉄はないので、地方都市は関係ないんですが…。
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街の境界線について。一応看板が立っています。街に入る時は、地名が書いてある看板で、出る時は、その地名に斜線が入っている看板です。「街を出てしまった」と強く感じざるを得ない書き方です。わかり易くていいんですけどね…。ちなみに、「гр.」は「град(グラッド、市)」、「с.」は「село(セロ、村)」というように、略して看板に書いてあることもあります。他には「област(オブラスト、州)」と書いてあるものや、「община(オブシュティナ、地域?)」と書いてあるものも見たことがあります。
2004年3月4日(木) これを書いているのは、5日になってからなんですが…まぁいいか。
4日(木)、写真家の人が、長期休暇から戻ってきました。また、毎朝お茶しながらパソコンを教えてブルガリア語を習う、という日々が始まる…はず。今日は、途中でおばちゃんに用事が入ってしまい、何もできずに終了。また明日。昼には、もうすぐ日本に帰国する同じ街の先輩の荷物郵送の手伝い。あとは、相も変わらずDB関係のメールやりとりと、それに関する調べ物。帰り際、先輩からスーツケース大小をいただき、まるで旅行者のようないでたちで家へ。8日が、日本でいう母の日のようなものらしく、女性に贈り物をする習慣があるそうなんですが、その日(というか、その週と次の週)職場にいないので、ちょっと早いですが明日花を贈ろうと思い、花屋へ。しどろもどろになりながら、なんとか買えました。ちょっと遅くなってしまったけど、マルテニツァも一緒に付けて、みんなに配ります。明日は他にもやることがあって、バタバタしそう。
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せっかちさん?昨日に引き続き、レストランでのことです。食器が足らないのか何なのかわかりませんが、お皿が空くと、すぐに店員が下げに来ます。ひどいと、まだ入っている入れ物を何回も見に来たりします。店にもよるのでしょうけど、せっかちな店が多いように思います。
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レストランついでに。まだ書いてないと思いますが、こっちの店には、基本的にレジがありません。食事をしたテーブルで会計をします。ヨーロッパとかアメリカとかは、大体こうなんでしょうか。日本だけが出入り口で支払う、というシステムなんでしょうか。よく知りませんが、少ない店員で忙しく仕事をしている時は、なかなか来てくれません。ようやくつかまえて「すめっとかた、もーりゃ」というと、レシートか明細書を持ってきてくれます。端数は、チップとしておいていくことが多いですね。ちなみに、あまりにも長居した時には、店員の方からこの「すめっとか」を持ってきます。えぇ加減に帰れ、ということなんでしょう。
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さらに、レストランネタ。注文する時は、注意。復唱しないので、かなりの割合で、頼んだつもりのものが出てこないことがあります。1人で入った時には今までなかったので、気を付けるのは複数人で行った時ですね。待っても来ない時は、確認した方が良いです。愛想の良い店員だったら、苦笑いして持ってきてくれますが、無愛想な店員だと、あんた言ってないじゃない、みたいな顔をされます。
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来週と再来週は、職場を離れるので、アップできるかどうかわかりません。下書きはしようと思っています。ではまた。
2004年3月3日(水) ブルガリアに来て3ヶ月です。この3ヶ月間、自分は一体何をしていたのでしょう。
1日(月)、今日はお祭りの日です。マルテニツァという、赤と白の飾り(手首に巻いたり、胸に付けたりする)を贈り合います。背景はよく知りませんが、幸せを運んでくる鳥であるコウノトリを見たら、近くの木などにその飾りを結びつけるそうなので、幸運のおまじない的要素があるのでしょう。朝、職場に行ったら、同僚の人たちに、寄ってたかって飾りを手首に巻かれました。昨日もらったのも合わせて両手首で5個の飾り。すごいことになってました。お返し用の飾りを持って行ってたのに、渡しそびれてしまいました。いかんなぁ。一段落したところで、同室の人が、ケーブルインターネットの会社の紙を持ってきてくれました。DOCSISモデムのレンタルが1月6レヴァ、一番スピードが遅い、下り96/上り48kbpsのプランが1月29レヴァ、これでいいんじゃないかなぁ、繋ぎっぱなしみたいだし。但し、初期費用として、デポジットが29レヴァ、多分工事費だと思うけど、それが29レヴァ。LANのインストレーションが30レヴァ、って書いてあるけど、これは多分自分で設定できるでしょう。というわけで、93レヴァでネットができるようになるようです。その後は月々35レヴァ。電話への初期投資と月々の通話・通信料とインターネットカードと通信スピードと安定性を考えたら、多分お得な買い物ではないでしょうか。あとは、契約をするだけ、でもやり方がわからないから、やっぱりいつものように連れてってもらうことになるのかな…。仕事は、一応DBでした。何もできずに、時間ばかりが過ぎていきます。夕方、仕事が終わって、同じ街の先輩と夕食、ここでもマルテニツァをもらっちゃいました。あと、誕生日プレゼントということで、こっちでメジャーな歌手のテープもいただきました。ありがとうございます。食後、家に帰る途中でパンを買いました。明日の朝食。風呂入って、ものすごく眠いので、日付が変わる前に寝ました。まだ疲れが抜けてないかな。2日(火)、どうしたらいいんでしょうね、相手の言っていることがさっぱり頭に入って来ません。同僚の人と、ケーブルインターネットのことで話をしようとしていたんですが、なんだろう、聞こうとしているのに、全然わからない、言いたいことも、文を組み立てようとすると頭が真っ白になる、結局ネットに関しては、日本語で説明してもらってからにしたら?ということになりました。もう3ヶ月ですよ、ブルガリアに来て。なのに、この体たらく。改めて自分のコミュニケーション能力の低さを思い知らされます。まぁ、日本語でもうまく会話できてなかったからねぇ。しょうがないのかな。そんな状態で。相すみません。今日は愚痴で終わりです。3日(水)、今日は休みです。日本でいう「建国記念の日」のようなものらしいです。昼頃、前に泊めてもらったスリヴェンの人が来るというので、同じ街の先輩と3人でご飯を食べました。2人とも、普段日本語で喋る機会があまりないからでしょうか、どわぁ〜っと話に花が咲いていました。自分は、たまに話を振られてあいづちを打つくらい。イタリアンのお店と、ファミリーレストランのようなところをハシゴして、バス発着所まで見送り。そこで、初めてこっちの新聞を買ってみました。何が書いてあるのか、さっぱりわかりません。スリヴェン行きのバスが出たあと、家に帰り、夕食、風呂、就寝。すんません、諸般の事情により、短めでお許しを(笑)。
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カレンダーについて。基本的にこっちのカレンダーは、日曜日が週の終わりに来ているようです。なので、日本でいう「来週」というのは月曜日からのことになります(この辺、日本でも日曜日が週の頭なのか月曜日が週の頭なのか、意見が分かれるところだと思いますが)。あと、カレンダーによっては、元旦の週から起算して「何週目」という表記があるものもあります。何に使うのか、わかりません。それから、縦書きのカレンダーもあります。曜日がY軸で、左から右に日付が書かれています。携帯用の小さいカレンダーに多いような気がします。見慣れてないので、見づらいです。
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レストランでの出来事。いわゆるファミリーレストランみたいなお店で体験したことです。従業員が、テーブルの上のものを下げて持って行く途中、皿だか灰皿だかを落として割りました。その瞬間、カウンターの方から拍手が聞こえてきました。お店の人が手を叩いていました。全部が全部、そうじゃないと思いますが、こっちのお店では、こういう対応をすることがあるようです。聞いた話なので、裏は取れていません。