2003年12月のブルガリアでのこと。


2003年12月31日(水) 本当はこれを1月1日に書いているんですが、年ごと・月ごとにページを分けようと思っているので、その都合上31日までのことをつらつら書いておきます。とりあえず、クリスマス・イヴの続きから・・・。
24日(水)、イヴの夕食は、動物性のもの(肉や油など)を食べない習慣のようで、ひたすら野菜やパンやご飯などを食べ、酒を飲んでました。パンの中にコインなどを埋め込んでおき、食べる時に見つけた人が幸運になる、というおみくじのようなものも、伝統行事のようです。この日は、もう本当に食べ過ぎ飲み過ぎでしたね。それでもさらにбаница(バニツァ、パイみたいな食べ物)をすすめてくるので、これは次の日の朝食べる、と言って部屋に戻って寝ました。25日(木)、この日もクリスマス休暇、メールチェックのため、午前中は事務所に行きました。午後家に戻ってきて、しばらくすると、客がぞろぞろとやってきたようです。キッチンがいっぱいだから、部屋で夕食食べてね、と言われて、1人で食べました。イヴにホストファミリーと一緒に食べたから、別にいいんですけどね。そんな感じで、クリスマスは終了。あ、そうそう、客が帰った後、気を使ってくれたのか、ワインを部屋に持って来て、ちょっとだけホストの人と一緒に飲みました。この日に、OSの再インストール終わってたはずです、そういえば。26日(金)、午前中は授業、午後はテクニカルタームでした。この日でコンピュータ関係は終わり、次からは博物館関係の内容になるらしいです。夕方は事務所でメールチェック、特に変わったことはなかったはず。27日(土)、午前中は授業、午後は屋外です。聖ゲオルゲ教会というところに行って来ました。ブルガリアで4番目に古い教会だそうです。ここで、православен календар(直訳すると、オーソドックスなカレンダー)を買いました。クリスチャンの人は知っていると思いますが、今日は誰の日、明日は誰の日、というように、毎日誰の名前の日かを書いてあるカレンダーです。教会を出てから、すぐ近くの喫茶店でお茶を飲み、夕食は事務所の所長宅でおよばれ。いやー、いいとこ住んでますなぁ。久し振りに日本食を食べました。帰りもお抱えタクシーで家まで送ってもらいました。28日(日)、3食スティ先での食事を避けるため、午前中に出かけました。前に同じスティ先にいた人から聞いた、近くのお店に行ってみました。多分これだ、と思う店は、食料品店、お昼ご飯にしようと思ってプリン(買った時はヨーグルトだと思ってた)だけ購入、そうそう、こっちのスーパーみたいなところは、入り口は入り口、出口はレジ、みたいな感じになっているので、何も買わずに出られなさそうな雰囲気です。なので、しかたなく。その後、店の近くをふらふらしてたら、ネットカフェ発見、ドキドキしながら初めて入ってみました。パソコンがたくさん並んでます、大半はゲーム(ネットゲームかな)をしてました。インターネットやりたいけどどうしたらいいの、って聞いたら、そこのパソコンでやってね、料金は後払いよ、と言われた(と思う)ので、座ってウェブサイトを見てみました。日本語が打てないのが辛いけど、表示は問題なくできるみたいです。スピードはそこそこ速いですね。ベンチマークやってないから正確にはわからんけど、ストレスなくページが表示されてたように思います。1時間くらいいたかな、画面に料金っぽい金額が表示されてたので、それをレジで払ったら、なんのかんの言われてわけがわからんかったけどよかったみたい。1лев(レフ)で結構楽しめたと思います。戻るバスの乗り場近くで、インターネットカード(電話線さえあればプロバイダ契約なくてもネットができるもの)が売っているところがあったので、試しに購入、帰ったらやってみよっと。その後、地図で見かけた近くの教会に行ってみようと、трамвай(トラム)に乗り換え北上。妙に賑やかなところでみんな降りるので終点かなと思って(教会は終点近くにあります)自分も降りてみました。結局違ってたんですが、ここにはめちゃくちゃでかいбазар(バザール)がありました。せっかく来たのだから、と思い、迷いそうになりながら、ふらふら、ふらふら。相変わらず何も買わずに時間だけ使って出てしまいました。出る時に気付いたんですが、実は入場料みたいなものが必要だったみたいです。受付みたいなところに「0.20лв(レバ)」って書いてありました。ごめんなさい、次からはちゃんと払います・・・。その後、改めて教会を、と思ったんですが、疲れてたので、трамвайの終点まで乗って帰って来るだけにしました。またの機会に。家に帰って来てから、電話線を使っていいか家の人に聞いて早速インターネットカードを使って繋いでみます。んー、非常につながりにくいですねぇ。電話番号が5つも書いてあるのに、どこにダイヤルしても、相手のモデムは応答するけどその先のホストが応答してくれない。これじゃあ電話代ばかりかかってしまうなぁ。たまに気まぐれでつながることがあるから、それを期待するしかないんかな。ちなみに、この会社のカードだと、ソフィア市内とБургас(ブルガス、黒海に面する都市)では、27時間で5лева(レバ)、他のところからだと同じ金額で8時間しか使えないようです。29日(月)、午前中は授業、午後は博物館関係のテクニカルターム、先生も変わってマンツーマン、わかりやすいです。夕方は事務所でメールチェック、夕食は、語学先生のボスに連れられてブルガリア料理の店で。アホみたいにアルコール摂取して、誘われるままにブルガリアンフォークに合わせて踊る踊る。生演奏をじっくり聞きたいのに、なぜか汗かいてステップ踏んでました。そんな調子で家に帰ったのが23時頃、家の人が起きて待っててくれました。ごめんなさい。30日(火)、二日酔いです。頭が痛いです。でも学校に行かなきゃ。午前は年末年始の伝統行事についての授業、最後の1時間は、内容は何でもいい発表会、相変わらず原稿棒読みで最悪でした。午後は屋外授業、国立図書館とソフィア大学と国立美術館に行ってきました。図書館と大学は閉まってて入れず、美術館だけ見てきました。ちなみに、美術館と同じ建物の中に民族博物館もあるんですが、お休みだったようです。その後、事務所でメールチェック、行った時には元のルータがおかしかったみたいで、しばらくネットが使えませんでしたが、無事復活。事務所を閉める時間をちょっと延長してもらっちゃいました。31日(水)、以前行けなかった教会に行ってみようと思い、午前中にスティ先を出発、教会近くのспирка(停留所)で降りて向かいます。あそこが入り口だったのかなぁ、なんか守衛みたいな人がいたから、違うところから近づいてみようと思って、別な道に少し入ったら、でかい犬が2匹(番犬?)寄って来ました。怖かったので、教会に近づけず、遠い位置から証拠写真だけ撮りました。午後はソフィア近くのсело(村)で伝統行事に参加。幸運を呼ぶためのおまじないでしょうね、身に付けるもの(指輪など)を果物(りんごなど)に紐でくくりつけ、歌い手兼踊り手が歌を歌いながら円を描いて踊っている真中にある水の入ったかめに入れてゆき、一晩清めて元旦に取り出すようです。但し、指輪などを預けられるのは女性のみらしいです。希望者がみんな預け終わったのを見届けて、ソフィアに戻ってきました。夜は、事務所関係の人に呼ばれていたので、お宅訪問。いやー、いいとこ住んでますなぁ(どっかで書いた台詞)。適度にアルコール摂取、美味しい食べ物もいただき(豚の丸焼きはすごかった(見た目が))、帰り際にくじ引きでプレゼントまでもらっちゃいました。かなり遅くなってしまったので、そそくさとタクシーに乗ったんですが、これが変なタクシーで、急にスピードを落としたかと思ったら、道端に車を寄せて止まっちゃいました。ガス欠だ、降りろ、みたいなこと言うから、お金払っておりたら、元気に去っていきました。しょうがないので、別なタクシーを拾って帰りました。スティ先には、日付が変わる5分くらい前に到着、なんとかホストファミリーと年を越せそうです。ちなみに、自分が住まわせてもらっている部屋を占拠されてパーティーの用意がしてあったので、しばらくは寝られませんなぁ・・・。
続きは別なところに。

2003年12月24日(水) wind○wsの再インストールをしながらこれを書いています。自分のパソコンでOSの再インストールは、多分初めて。無事立ち上がると良いのですが・・・。
23日(火)、雪です。誰かが言っていた「クリスマス頃には降るよ」、当たってました。そんな中、学校に行きました。午前は授業、午後は日曜日に行って来たХрам-Паметник "Света Александър Невски"(アレクサンダル・ネフスキー寺院)です。この時は、中も見学しました。広いですねー、天井画、壁画で一面が覆われているような感じです。シャンデリアもきれい。プラプラ見て回って、外に出たら、まだ雪が降っています。кафе(カフェ)でコーヒーを飲んで解散、事務所が休みなので、この日はまっすぐ家に帰ります。帰ってからパソコンごちゃごちゃやってて、まぁ、下に書いたような感じです。24日(水)、学校はクリスマス休暇です。午前中は事務所が開いているそうなので、行って来ました。不安定なパソコンでメールチェック、受信しかできないような状態(1通だけ送信できた、yah○○のサーバ側にも問題があったのかも)、自分のHPの掲示板にもうまく書き込めません。いじってて、なんとなくですが、ひょっとしてバージョンの整合がとれてないんじゃないか、と思うようになってきました。デフォルトでは98、その後SEを入れたけど、システムファイルの復元とかで、細かいバージョンがごっちゃになっているような気がする。よくわからんソフトをインストールして、dllが置き換わってる可能性もあるし。そういうわけで、再インストールすることに決定。・・・本論から外れましたね。昼食は、事務所の近くの安い店で食べ(ご飯とお茶で1.5лева(レバ)、安い!)、近くをフラフラして、帰りました。帰ってしばらくして、シャワーを浴びさせてもらって、服も洗って、さっぱりして、現在に至る。
自分の勉強のためにも、ブルガリア語-日本語単語ページを作ろうかと思っています。ほったらかしのタグリファレンスページのようにならなきゃいいけど(爆)。
あ、パソコン再起動。げ、プロダクトキーがいるのかー!!そりゃそーだよなー、micr○s○ftだからなぁ。明日家に電話して、説明書を探してもらわなきゃ。というわけで、今日はここまで。勉強しろ、ということだな。

2003年12月23日(火) パソコンの調子が悪いです。スタートメニューが表示されません。wind○wsを終了する時に、expl○rerのエラーで終了できません。しょうがないので、Ctrl+Alt+Delete でシャットダウンしています。化石のような98SEを使ってるからいけないんでしょうか。誰か治す方法知ってたら教えて下さい。
20日(土)、事務所で総会と歓迎会に出席してきました。10時から始まって21時近くまで、遅い時間のтрамвай(トラム)とавтобус(バス)は初めて乗ります。乗り換えする辺りで、ガラの悪そうな若者を見かけました。ちょっとドキドキしながら帰ったけど、でも日本だってこういう輩はいるし。家に帰ったら、22時頃、家の人に「такси(タクシー)で?」と聞かれました。そりゃこんな時間だからねぇ。21日(日)、午前中は語学授業を一緒に受けている人たちと打ち合わせ、お昼を中心街で食べて、その足でХрам-Паметник "Света Александър Невски"(アレクサンダル・ネフスキー寺院)を見てきました。きれいですねー、やっぱり。天気も良かったし。中には入らなかったので、またの機会に。ふらふら帰って、家でパソコンやってたら、前にこの家にホームスティしてた人が来たので一緒に夕食。あと3ヶ月後には、自分もこれくらい喋れるようになっているのかなぁ、とちょっと不安になりました。ほどよくお酒を飲んだので、適当なところで就寝。22日(月)、午前中は授業、午後はテクニカルターム。相変わらず言葉が聞き取れません。この日も終わってから事務所でメールチェック。写真をyah○○のサーバに打ち上げておきました。見たい人はURIを教えるので、連絡下さい。仕事で使うデータベースも、もらってきました。そう、これがパソコンの調子を悪くした発端といえば発端です(ソフト自体には問題なし、自分の操作の問題)。ダイアログのキリル文字がうまく表示されないので、色々試してたら、ノーマルモードでwind○wsが起動しなくなりました。expl○rerだけの問題のような気もするけど、ファイルの復元しても良くならないし。セーフモードで設定を変えたりして、なんとかノーマルモードでも起動するようになったけど、スタートメニューが使えないと、ちょっと不便。
書く時間がなくなったので、続きは別の日に。

2003年12月19日(金) автогара(バス発着所)のресторант(レストラン)でавтобус(バス)を待ちながら書いてます。結局今日も窓口で「チケットちょーだい」って言ったら「バスの中で買って」と言われた(ような気がした)ので、本当にソフィアに帰れるかどうか不明。今日は、トラキア人の墓を見てきました。本物は中に入れず外観を見るだけ、コピーがあるよ、と案内があったけど、固く扉が閉ざされていて入れませんでした。案内板の時間の所が微妙に消してあったから怪しいなぁ。営業時間変わったかな。行ったの10時前だったし。まぁいいや、次の機会に。近くのЕтнографски Комплекс "КУЛАТА"(クラタ民族博物館)は、情報通り休み(だったと思う、扉閉まってたから)、写真だけ撮って、とりあえずавтогараに戻って・・・最初に書いた通り。時間をつぶそうにも、疲れてるし、歩くの面倒だし、もー、どうにかしてー、って感じ。待ってる時間というのはなかなか過ぎないものです。
・・・ふと思い立って、本当にレプリカが見学できないのか確認したくなり、もう一度行ってみました。片道20分くらい、やっぱりやってないみたい。おバカさんですよねぇ、いつも思い付きで行動するからこうなるんよ。でも、近くの土産屋で、バラのракия(ラキヤ)が買えたのは良かったかな。ホストファミリーへの土産です。ちなみに、土産屋のおばちゃんも「鍵かかってたでしょ、やってないのよ」みたいなことを言ってました(そう聞こえた)。
ソフィア行きのバス乗り場で待ちながら、これを書いてますが、人が続々と集まって来てます。隣りの乗り場かなぁ、なんにしても、まだ本当に帰れるのかどうか不明。
良かったー、無事ソフィアに戻って来れました。行きと同じバス(27人乗りくらいの小さなバス)で、運転手も同じ、帰りは色んな場所で人が乗ってきて定員オーバー、あふれた人は3人くらいかな、運転手が用意してたクッション付の板でステップの所に座ったり、運転手が荷物置き場からおもむろに取り出してきた椅子に座ったりしてました。心配していたチケットは、結局車内で購入できました。行きは3時間半でしたが、帰りは4時間かかりました。人が途中で乗ってきたし、道も違うみたいだったし、ソフィア市内に入ってから渋滞してたし、しょうがないかな。なんだか疲れた旅行でしたが、色々と体験できたのは良かったと思います。
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ハイウェイ(だと思う、結構飛ばしてた、でも料金所なかったからタダだよな)を走っている時に、そういえば、と思ったんですが、日本と追い越し車線が逆なんですよね。走行車線が右で、抜かす車は左。右側通行左ハンドルだから当然といえば当然、ようやくこの日確認しました。
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パラボラアンテナについて。一戸建て・集合住宅問わず、でかいパラボラをあげている人が結構います。CS(衛星放送)を見ているのかな。日本のように小さなアンテナでは見られないんでしょうか、衛星が遠いのかな。それとも放送じゃなくて、別の目的だったりして(笑)。アンテナつながりで、ついでにここに書いときます。トラキア人の墓に行く途中、アマチュアらしきアンテナを見ました。多分、HFトライバンダーと2mと430MHzの八木。で、2mっぽいのはやっぱり縦、さらに430MHzっぽいのは横でした。UHFテレビと干渉しないのかな。
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鳥について。住んでいる場所柄なんでしょうね。朝、すごい数の鳥が飛んでます。カラスかなぁ、種類はよくわかりませんが。群れて、昼の活動場所に移動するんでしょうか。ヒッチコックの鳥という映画を、見たことはないんですが、こんな感じの場面もありそうだなぁ、なんて思ったりしてました。そうそう、鳥つながりといえば、こっちのスズメは丸々太ってます。餌になるもののカロリー高そうですからねぇ(笑)。
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だんだんネタがなくなってきた感じ(?)。また何かあったら書きます。

2003年12月18日(木) 語学訓練旅行でКазанлък(カザンラク)に来てます。автогара(バス発着所)で無事乗るべきバスに乗り、現地到着、博物館を見てホテルチェックイン、部屋でこれを書いてます。帰りのバスのチケットはまだ取ってません。時間はわかってるけど・・・帰れるのかや。
14日(日)、前回の続き。断水初体験です。寝る前にтоалетна(トイレ)に行ったら、水が出ませんでした。バケツに水が汲んであったので、それを流し、歯磨きもペットボトルの水でしました。ふーん、水がないとこうなるのね。15日(月)、木曜と金曜の旅行のための勉強。午前中はホテル予約とかで必要な表現を習い、最後の1時間は自分についてのプレゼンテーション(原稿棒読みで最悪だった)、午後は実際にホテル予約。午前の授業がさっぱり頭に入ってなくてパニック状態。先生の助けを借りながら(それもブルガリア語だからわからない〜状態で)なんとか予約できたみたい。ちなみに、最初は自分が行く予定のСтара Загора(スタラザゴラ)に行くつもりだったのに、ホテルが高すぎで、近くのКазанлъкにしました。で、行きは列車で帰りはバスで、と思って、それも予約しようと思ったら、行った代理店では扱ってないらしい。じゃあ列車はやめて、往復バスは、というとそれも扱ってないらしい。というわけで、ここではホテルのみ。次に列車のチケットを扱っているж.п.бюро(緑の窓口みたいなものでしょうか)に行ってみます。Казанлък行きの列車の時間を聞いたら、めちゃめちゃ早いのとめちゃめちゃ遅いのしかなかったので、往復バスにすることに。ここでは列車の切符しか扱ってないので、後日。ちなみにこの日行ったж.п.бюроには、次の日に行く予定だったそうです。先生の早とちり。この日も事務所に行ってメールチェックして帰りました。18時半頃に帰ったんですが、18時頃までずっと1日中断水してたそうです。恐るべし、ブルガリア。16日(火)、朝から腹の調子が良くないなー、日曜に食べすぎたかなー、と思いながら学校へ。午前中は切符の買い方。午後は、ж.п.гара(鉄道の駅のこと、ソフィア駅)見学、автогараでКазанлък行きのавтобус(バス)のбилет(チケット)購入(してもらった、だめぢゃん)。往路のみしか買えず、復路は現地で買え、と言われた(らしい)。その後、前日行った代理店近くまでうだうだ帰って来て解散、事務所へ行ってメールチェックして帰りました。17日(水)、今日も調子よくないなー、朝食はчай(お茶)だけ飲んで、他の食べ物はゴメンナサイ。午前中は動作の言い方の勉強、昼食は昨日と同じく「梅昆布茶(510さん、ありがとう!)」だけ、あ、でもこの日はシュークリームみたいなのを2個食べたかな。午後はНДК見学、うだうだとтрамвай(トラム)の乗り場まで戻って、事務所に行ってメールチェック。帰る頃には腹の調子も回復したようで、帰ってから夕食をちゃんといただきました。そして今日、18日(木)、9時のавтобусで出発です。余裕を持って家を出たはいいが、40分以上前に着くなんてオバカさん・・・。待てども待てども乗るバスが来なくて逆に心配になってしまいました。10分弱前にバス到着、うーむ、小さいバスだ。荷物積み込み(自分のは手荷物だけだから預けなかった)、チケット確認後、定刻を10分くらい遅れて出発。途中トイレ休憩を1回とって無事Казанлъкに到着、運転手が運転しながら携帯いじったり、車線が定まらなかったりしてちょっと心配してたんですが、ほぼ定刻通りに着きました。ちなみに、直通だと思っていた割には、終点近くなってくると途中で乗り降りする人がいたりして、なんでもアリみたいです。終点のавтогараまで乗ってたのは、自分と、隣りの席に座ってた若いにーちゃんだけ。みんなцентър(中心地)で降りちゃいました。その方が街に行くには便利なんですよね。駅は街の南の方にあるし。帰りの切符が欲しくてそこまで乗っただけですから。でも・・・窓口で、明日の切符ちょーだい、と言ったら「ないよ」と言われた(と思う)。当日じゃないとだめなのかな・・・。しょうがないのであきらめて、近くのресторант(レストラン)でコーヒーを飲んで出発(昼食これだけ)、目的の博物館の午後の開館時間まで少し時間があったので、先にホテルの場所確認、площад Свобода(スヴォボダ広場)を経てПарк Розариум(バラ公園)まで行ってみます。時期じゃないので、当然閑散としてますね・・・。公園の近くの建物の上にアンテナ発見、アマチュアっぽいけど、144MHzくさいアンテナが縦偏波だぞ。まだちょっと時間があったので、Музей на Розата(バラ博物館)まで行くだけ行ってみます。地球の歩き方にある通り、街から25分くらいかかった気がする。証拠写真だけ撮って、いざИсторически Музей "Искра"(イスクラ歴史博物館)へ。入口、入口・・・あったあった、おーい、受付いないぞー、管理人室みたいなところへ行って、見せてくれ、って言ったら2лева(レヴァ)って言われました。券をもらって中に入ってみます。うーん、寒い。暖房なんてものは入ってないようです。しかも、見学する順路通りに順番に電気をつけていって、見終わったところは容赦なく電気を消していくという、なんだかせかされているような感じ。品揃えは、そうですねぇ、Шипка(シプカ)での出土品が多いかな、と感じました。2階にあたる部分は現代アートギャラリーになってるんですが、何も考えずに順路通りに歩いているといつの間にか見始めているという感じ。これはこれで面白かったです。博物館を出て、さて腹ごしらえ、地球の歩き方に載っているブルガリア料理の店に行ってみたら「Не,работя.(営業してないよ)」って言われてしまい、もう1つの店へ。名前からしてアメリカンな店だけど、ブルガリア料理も食べられるらしい。しかし、ここはあえてパスタ(笑)。飲み物も何も頼まなかったし、変なяпонец(日本人)と思っただろうな。その後、ホテルへ。チェックインはどう言えばえぇんかなぁ、と思ってたけど、予約した時の紙見せたら全部やってくれました。おまけに、朝食の時間をわざわざ紙に書いてくれました。さすがтризвезден хотел(3つ星ホテル)といったところでしょうか。部屋に行ったら、あれ、ツインルームだ。だから高かったんだな。代理店にハメられたのか、自分の伝えたいことが伝わってなかったのか・・・まぁいいや。баня(風呂場)を見ると、おぉ、浴槽が。さっそくお湯をはって入浴〜。何日ぶりだろう、やっぱりお湯につかるのはいいやぁねぇ。さっぱりして出たところで、これを書いてました。地球の歩き方にある通り、レストランからの音が響いているらしく、騒がしくなってきました。まぁ、問題なく寝られるでしょう。明日は世界遺産のТрасийска Гробница(トラキア人の墓)へ行くつもり。ちょっと楽しみ。
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日々の出来事を書き過ぎたので、その他の事は短めに。トイレのチップについて。みんなが集まる場所のトイレは有料のようです。たかだか20ст(ストティンキ)ですが、小銭がない時はどうするんでしょ(笑)。ちなみに、博物館でトイレ借りた時は、「いいよ、いいよ」って言われた(と思う、仕草でそうとった)ので、タダで使わせてもらいました。
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携帯のマナーについて。そんなものはないようです。バスの中だろうがなんだろうが、着信音を高らかに鳴らし、大声で話し始める。ちなみに、着信音は単音が多いようです。
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автобус、трамвайなどの乗り降りについて。早い者勝ちです。並んでなんて待ってません。みんな我先に乗り込みます。спирка(停留所)から少し離れてても、乗り物が見えたら走って来ます。降りる時も、随分せっかちに、まだспиркаが見えないのに扉のすぐ前に立って降りる準備をしています。不思議なのは、時刻表なんてないのに、みんなあたかも乗り物が来る時間がわかっているかのように動いているということ。あ、そうそう、関係ないですけど、この前初めて車内放送がтрамвайの中で流れてました。最新車両だと思われます。
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道の横断について。あまり信号を守ってません。車も歩行者も、見切り発車です。歩行者は車が来なければ赤でも渡ってますね。あと、歩道じゃないところでも、平気で渡ってます。かなり車の量が多くても。ある意味、これは特殊能力だという気もする(笑)。
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車のナンバーについて。1文字ないし2文字(たまに3文字)のазбука(アルファベット)+数字4桁くらい+азбука2文字くらいという構成だと思います。最初のазбукаは、その車を登録してあるところを表すようです。С--->София(ソフィア)というように。今まで見た中で、覚えているものやメモが残っているものは、А、В、ВН、ВР、ДЛ、Е、ЕВ、ЕН、КН、Л、М、ОВ、П、РА、РВ、РК、С、СЗ、СМ、СН、СО、СТ、У、Х、ХХなど。Казанлъкでよく見たСТやСЗは、Стара Загораに近いので多分それでしょう。他はわかりません。別のも合わせて、わかったら順次発表(予定)。
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前に書いた内容の訂正。今は1ドル≒1.6леваを切っているようです。あと、автобусなどのбилетは、40стではなく、今は50стでした。だから、多分罰金も5леваだと思います。パンの値段も値上がりするようで、インフレなのかな。
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犬についての補足。ブルガリアの人は、犬が大好きなんだそうです。だから大勢が噛まれてても犬狩りをしないみたい。首輪してなくても飼い犬だったりするらしいし。кучеというのはブルガリア語で犬のことですが、かわいらしいものの名前に付けるчеという語が入ってます。かわいがってるからかな、と単なる推測ですが。ちなみに、ブルガリアの人はкитаеци(中国人)に対して良いイメージを持ってないらしい。理由は「犬を喰うから」(爆)。ホントかどうか、真偽の程は定かではありません。
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短く、と言っておきながら、ちょっと長くなってしまいましたか。旅行の後半は、また後ほど。

2003年12月14日(日) 天気が良いのに部屋に引きこもって勉強(のフリ)。
12月12日金曜日、午前の授業は昨日に引き続き場所の説明について、午後は、テクニカルタームということで、自分の専門分野(コンピュータ)についての勉強。コンピュータ関係の言葉は、英語と似てるのが多いから何とかなるかな。この日も事務所に行ってちょっとメールチェックしてから帰宅。13日、土曜日だけど授業があります。午前は過去分詞(だと思う)を習って、午後はテクニカルターム。15時半頃に終わってしまうので帰るには早く、булевард Витоша(ヴィトシャ大通り)に行ってみます。ネットカフェがあると聞いていたので、店の中を見ながらフラフラ、NDK(Национален Дворец на Културата:НДК,通称エンデカ、総合文化センター)まで行って、またЦърква Света Неделя(聖ネデリャ教会)まで戻って来ました。結局パソコンらしきものは、教会近くのマクドナルドにしかなかった(見付けられなかった)・・・。なんとなくтрамвай(トラム:路面電車)に乗らずに、いつもавтобус(バス)に乗り換えるспирка(停留所)Лъвов Мост(ルヴォフモスト)まで歩いてみます。バスに乗って帰ってみたら17時、しばらくしてから夕食、ракия(ラキヤ:お酒です)を少し飲んだのと疲れていたからでしょう、部屋の椅子でうたた寝してたら23時頃になってしまいました。これじゃいかん、と思い、ソファベッドを用意して寝ました。14日(日)、目覚ましなしで7時半頃に目が覚め、8時頃に食事、テレビを見たり、携帯をいじったり、月曜日のプレゼンの用意をしたりしてたら昼食、相変わらずすごい量。食べきれません、ごめんなさい。というわけで、現在に至る。
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ホストファミリーのところだけではないと思うけど、ペットボトルがやたら多いです。бира(ビール)はペットボトルで売られているし、мляко(ミルク)もペットボトル(多分売ってるのもあるし、ここの家ではコーラのに入れ替えてもあった)、ジュース(自家製のぶどうジュース?)もペットボトル、飲んでないけど部屋に持ってきてくれた水もコーラのペットボトルでした。
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食事に関しては、自分にとっては一言で言うと「しょっぱくて油っこくて量が多い」(あ、三言でした)。やたらにしょっぱいсирене(シレネ:チーズ)が多いです。スープには油が浮いてます。量が多いのは、もてなしの意味もあるんでしょうが・・・うーん、食べ切れないことが多い。それでも家の人たちは、ペロッと食べてしまいます。たまに塩をさらにかけて食べてたりします。すごい。
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交通事情は、基本的に乗り物優先です。人が道を渡ってても、車はほとんど止まってくれません。車は基本的に外車が多く(当然)、たまに日本車を見かけます。ただ、大切に乗っているという印象はあまりないです。動けばいい、という感じ。この前も、縦列駐車から出ようとしていた車が、普通に前後の車にぶつけながら出て行きました。
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ソフィア市内の交通機関について。абонаментна карта(多分定期)で乗り放題なのがтрамвай(トランヴァイ)、автобус(バス)、тролейбус(トロリー)、метро(地下鉄)。これとは別に、1回1лв(1レフ、約70円くらい?)払って同じ路線乗り放題のмаршрутки таксита(ミニバス)があります。それぞれ車体に番号がふってあって、走る路線は決まってます。乗降場所と方向さえ間違わなければ便利。でも車内アナウンスなんてものはなく、停留所もわかりづらくて、慣れないと大変です。路面はしっかり整備されている所があまりなく、結構ボコボコ。石畳だかレンガ畳だかわからないけど、どんなところでも関係なく飛ばすので、乗っている時はしっかり手すりなどにつかまってないと吹っ飛ばされます。
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生活全般について。お湯が突然水になる、水が突然出なくなる、電気が突然消える、ということを聞いていたんですが、事務所で1度短い停電にあっただけで、それ以外ではお目にかかってません。баня(お風呂)は、シャワーのみ(のところがほとんどだと思います)、1週間に1回くらいしか入ってないんじゃないかなぁ。自分は2・3日に1回はシャワーを浴びさせてもらってますが。洗濯は基本的に風呂場で。桶で手洗いしてます。ただ、乾燥機みたいな洗濯機もあるので、この前は一部の洗濯物をそこで洗ってもらいました。парно(パルノ:集中暖房)が各部屋にあり、それの助けを借りて洗濯物を乾かすのが一般的のようです。風呂場のпарноでいつも乾かしてます。円筒状のに靴下を縛り付けると早く乾いてgood。部屋には屏風みたいなпарноがあって、その上に服をのせて乾かしたりもしてます。
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お金について。単位はлев(レフ、複数形はлева:レヴァ)で、紙幣は50,20,10,5,2,1лева/лев、硬貨は1лев,50,20,10,5,2,1стотинки/стотинка(ストティンキ(複数)/ストティンカ(単数)、1лев=100стотинки)。レートは1ユーロ≒1.95лева、1ドル≒1.62леваくらい、ちなみに日本円だと多分1лев≒70円くらいだと思います。1лев=1マルクという話も聞きました。物価的には、電化製品は高めですが、その他のものは安いです。昼食は大体外で食べてますが、2леваでお釣りが来ます。前に書いた定期は、1ヶ月で37лева、定期なしで乗る時は、40стのбилет(ビレット:切符)を買います。切符は車内で刻印しないといけません。検札がたまにあるけど・・・タイミング次第ではタダ乗りできそう(やらないけど)。ちなみに今まで2回しか定期を見せてません。タダ乗りがばれると10倍の4леваを罰金として払わないといけません。
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電話事情。携帯電話が結構普及してます。自分も持たされています。国際電話もかかります。番号知りたい人はメールでも下さい(笑)。街で見かける公衆電話は3種類。Мобика(モビカ)、Булфон(ブルフォン)、БТК(ベテカ)ですが、自分はまだモビカしかつかったことありません。カードしか使えないようで、そのカードはどうやらIC埋め込み型のようです。買っているのは300度数で18левくらい、日本にかけると4度数くらいずつすごい勢いで減っていきます。
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トイレについて。水洗ですが、流れが良くないところが多いようです。紙を流すと詰まるらしく、ゴミ箱を別に置いてあって、そこに紙を入れるようになっているところが多いのかな。自分のホストファミリーの家は、普通に流してもOKでした。
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文字について。街中にキリル文字が溢れ返っています。誰もがものすごい勢いでブルガリア語を喋っています。基本的には、文字の発音さえ知っていれば読むことができます。文中にたまに出てくるので、書いときます。大文字,小文字,読み方、の順。А,а,ア、Б,б,(子音、баでバ)、В,в,(ваでヴァ)、Г,г,(гаでガ)、Д,д,(даでダ)、Е,е,エ、Ж,ж,(жеでジェ)、З,з,(зеでゼ)、И,и,イ、Й,й,(弱いイ)、К,к,(кеでケ)、Л,л,(леでレ)、М,м,(меでメ)、Н,н,(неでネ、単体でン)、О,о,オ、П,п,(пеでペ)、Р,р,(реでレ)、С,с,(сеでセ)、Т,т,(теでテ)、У,у,ウ、Ф,ф,(феでフェ)、Х,х,(хеでヘ)、Ц,ц,(цеでツェ)、Ч,ч,(чеでチェ)、Ш,ш,(шеでシェ)、Щ,щ,(щеでシュテ)、Ъ,ъ,(アとウの中間)、(大文字なし),ь,(単体では発音しない、тьоでテョ)、Ю,ю,ユ(子音が前だとュ)、Я,я,ヤ(子音が前だとャ)。英語と同じでмはンと読むこともあるし、уがなくても子音単独でуを補った読み方(例:бだけでブ)もします。зとかжとかвは発音が濁ったり濁らなかったりしますが・・・その辺は慣れですね。
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日本との時差は7時間、日本時間から引いて下さい。日本が20時の時、ブルガリアは13時です。サマータイムもあるようで、その時は時差は6時間だそうです。3月最終日曜の2時から10月最終日曜の2時までだそうで・・・結構長いのね。
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電気・電話について。電圧は220V(公称)、たまに変動するらしいです。パソコンを壊さないように変圧器を持って来ました(300W、結構重いです)。プラグはCタイプ、ごついです。電話はロシア式の5本足(4本接点、1本ダミー?)が多いみたいです。ホームスティ先もこれ。モジュラジャック変換は持ってきたけど、まだ使ったことがありません。「部屋でインターネットをやりたいです。電話代は別で払います。いいですか?」ってブルガリア語で何て言ったらいいんだろ(爆)。ちなみに、日本とは使っているラインや極性が違っていると何もできないので、ライン切替機能付のモデムセーバも持って来ました。ブルガリアに着いて最初に泊まったホテルで、チェッカ機能を使ってみただけで、まともに使ってません。・・・折角なので、これを書いている途中でしたが、変換コネクタとモデムセーバを家の電話線に繋いでみました。極性逆転でOKになりました。ということは、切替できなかったらアウトだったということだな。
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犬について。たくさんいます。街のいたるところで見かけます。見た限りではおとなしそうですが、かなりの人が噛まれているそうです。しかも、狂犬病の疑いがある犬がいっぱいだそうで。ワクチンを打っているとはいえ、近寄らないに越したことはなさそうです。噛まれたら痛いし。
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テレビについて。ホームスティ先はケーブルテレビです。当然、ほとんどのチャンネルはブルガリア語。英語の場合は、下にブルガリア語の字幕スーパーが出ます。どっかで見たような音楽番組があったり、ブルガリア版のミリオネアがやってたり、p○kem○nのブルガリア語吹替え版やってたり、なかなか面白いです。何喋ってるかはわかんないですけど。ちなみに、今「V○LCAN○(ブルガリア語吹替え)」らしきものをやってます。日本でも見たことなかったので、あらすじすら知りません。内容がわかってれば、ちょっとは勉強になったかも知れんのに。
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無線について。学校に行く途中の乗換場所から、ビルの上にあるログペリらしきアンテナを見ました。アマチュアかどうかはわからないけど、無線はできそうです。事務所の人に話を聞いた時、公的にはスパイ行為とみなされて無線ができない、と聞いていたので、どうなることやら、と思ってたんですが、個人的にはできるんでしょうね、きっと。日本を出る前に見た関係雑誌にも、ソフィアから無線した人の記事が載ってたし。まぁ、落ち着くまで当分は無理でしょうけど。
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趣味に走りそうなので、今日はこの辺で。

2003年12月11日(木) ブルガリアに着いて、はや1週間、相変わらず語学能力は上達しません。まぁ、その内慣れるでしょう。ブルガリアについての情報を述べよ、という意見が散見されますので、とりあえず「なんぞ」書くページを作ってみました。自分が書かなきゃいけない報告書のためでもあるし。そんなわけで、「つれづれ」はしばらくお休みのようです。悪しからず。
12月3日、日本を出発しました。フランクフルトで1泊です。総勢7人なので、英語ダメな自分は、みんなにくっついて行くだけです。でも、機内食が中途半端な時間に出たのと時差ボケで眠くてしょうがなかったので、夕食は食べずに1人部屋で寝てました。後で聞いたら、なかなか美味しい食事だったようです。まぁ、過ぎたことはしょうがない。明けて4日、ホテルで朝食を済ませ、ブルガリアに向かいます。日本を出て丸1日、首都ソフィアに着きました。結構寒いですね〜。時期も時期だし、ソフィア自体標高500m以上だし、当然といえば当然。関係者の方に迎えに来てもらっていたので、そのまま事務所へ。諸々説明を聞いて、ブルガリア料理の店に連れてってもらって、近くのホテルで泊まり。どっちを向いても聞こえてくるのはブルガリア語ばかり。さっぱり聞き取れない。ちと不安になる。料理は美味しかったですよ。量がすごかったけど。次の日5日も、朝迎えに来てもらって事務所へ。諸説明を聞いた後、ホームスティ先へ移動。付き添ってくれた人とホストの人との会話が全く聞き取れない。こんなんで大丈夫かや。とりあえず、事務所で、辞める人の送別会があるので、出席するために、服を着替えて、車に乗ります。パーティーの料理もやっぱり多め。バイキング方式だったので、食べる量のセーブはできました。その後、ホームスティ先まで送ってもらい、初ホームスティ開始。さっぱり聞き取れないけど、身振り手振りでなんとか寝ることはできました。6日は土曜日、事務所まで1人で行けるように経路を確認しておかないといけないので、家の人に付いて来てもらって教えてもらいました。ソフィアには、公共の交通機関が幾つかあって、その中でもよく使う路面を走っているものが3つ、трамвай(トラム)という路面電車、тролей(トロリー)というツノの生えたバス(そこから電気供給)、автобус(バス)という2両連結のバスです。事務所へは、最初автобусに乗って、次にтрамвайに乗り換えです。1時間弱の行程、大丈夫かな。その日は帰って家でおとなしくしてました。翌7日、語学教室の場所も確認したかったので、また付いて来てもらい、探索。ここにはавтобусとтролейを乗り継いで行きます。近くまでは行ったけど、この日は発見できず。後日確認することに。この日も帰ってからはおとなしくしてました。8日月曜日、無事、事務所まで行けました。午前中は諸説明、午後は大使館。立場が立場だからでしょうね、意外とフレンドリー。帰りも何事もなく家に帰れました。9日火曜日、午前は諸説明、午後は語学教室見学です。先生達と対面、ボスはなかなかパワフルな人です。この人たちに教わるのね、よろしくお願いします。その後、危険地帯見学、ということで、пазар(市場)とцентрална гара София(ソフィア中央駅)とその周辺に連れて行ってもらいます。大して危なそうには感じなかったんですが・・・自分だけでしょうか。一旦事務所に戻り、家に帰ります。10日水曜日、いよいよ語学が始まります。と言っても、午前はテスト、午後は屋外教室ということでнационален исторически музей(国立歴史博物館)に行っただけ。実際の机上勉強は明日から。博物館は、なかなかすごかったです。流石国立。ちなみに、ガイドが付いてくれたんですが、日本語だったので、説明はわかったけどさっぱり勉強になりませんでした。11日木曜日、午前中は机上勉強。日本での語学訓練をすっかり忘れてます。やばいです。午後は昨日と同じように屋外。ソフィア市中心地を散策、その後事務所へ行ってメールチェックをしました。帰りは初めて違う経路(автобус--->автобус乗り継ぎ)で帰ってみたら、いつもより早い気がする。今度からはこっちかな。そんなわけで、これで1週間。
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全体の印象としては、まず気候ですね。最初にも書いたように、寒いです。緯度的には北海道と同じ、南に2000m級の山脈を抱えているからか、建物がない場所では冷たい風が吹きます。町の印象は、なんていったらいいのかな、風景がもったいないとでもいいましょうか、人の動きと景色がミスマッチのような気がします。歴史的におそらく価値があると思われる建物を背に、せわしなく動き回る人や車、美しい自然の中に無造作に捨てられているゴミ、そうそう、この国には「ゴミの分別」という概念がないらしく、何でも一緒に捨ててしまいます。また、「危険場所見学」とちょっと前に書きましたが、日本に比べるたら治安が良いとはいえません。でも、随所に人のやさしさ、あたたかさを見ることができます。ホームスティ先のホストファミリーは、もう申し訳なくて逃げ出したくなるくらいにやさしいです。当然自分は「外国人」という立場だから、周りから奇異の目で見られるのはしょうがないですが、親日感情は高いそうなので、そんなに心配することもないかな、と思ってます。
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また時間がある時に、レポートします。


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